この時期になると神戸方面では1995年1月17日早朝5時46分に起きた「阪神淡路大震災」のニュースで新聞紙面やネットでも連載があったり、大きな話題にもなり、何かしら緊張感が漂います。
明日はいよいよあの大震災から25年を迎える1月17日です。
昨年から、今年には何か「祈念」になるようなことをしたいと、私もずっとあれこれ考えて意識していたのですが、
オーリングテストではどれもオッケーが出ませんでした。
もちろん、そういうオーリングテストに頼るのではなく、本当に自分がやりたければやればいいのですが、
自分の中でも(頭ではいろいろ計画しても)なぜかあまり心が動きませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
理由はわかりませんが、実際には私の周辺の人たちもとても静かで、先日あった仲間の「新年会」でも、
震災自体の話よりも、その時に起きた「性暴力」のことが話題に上がっていました。
そして、また昨日は、私の住む団地の「新年会」というか、交流会があったのですが、
大正琴の演奏を聴いたり、みんなで一緒に歌ったり、お茶を飲みながら席の近い人とお互いに自己紹介などの話をするだけで、
全く震災の話は出ませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
自治会長さんは90歳、お世話される方(自治会の役員さんたち)もみんな70前後の高齢で、
私の前に座っておられた(偶然同じ棟の)住民の方も80歳の一人暮らしの女性でした。
この団地は震災後に建て直されたので、ということは、震災を経験された方も多い筈ですが、
建て直しの際に他へ転居されたり、またこの25年の間に引っ越して出て行かれたりして、
新しく越して来たその後の入居者はほとんど若い子連れ世代の人たちで、
このような自治会の集いに参加されるのはお年寄りばかりなのです。。
なので、自治会長さんも誰もあえて阪神淡路大震災の話はされなかったのかもしれません。。
まさしく世代断絶というか、震災体験が若い世代に受け継がれにくいのも無理ないのかもと感じました。
ニュースなどでは連日のように震災の話が大きく取り上げられていても、事実はこのように風化していっているのだと思います。
だからこそ「天災は忘れた頃にやってくる」と言われるのでしょう。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
震災後、広島に一年住んだ時も、広島の人たちから原爆の話を直接に聞くことはほとんど無く、
スピリチュアルな集いに出かけても、被爆された親を持つ人たちであっても、
その親からあまり体験を聞いたことは無い(親が語りたがらない)方がほとんどのようでした。
ある人が言ってましたが、「語れる人はまだマシ」というか、(語弊や失礼があればご海容ください)
あまりにも壮絶な経験をすると、とても人には語れない(わかってもらえない)ということでしょうか。。
だからこそ、勇氣を出してみんな死ぬ前になって、ようやく初めて口を開く人も多いのかもしれません。。
ところで、自然災害と「原発」や戦争とは、同じような被害に見えても、物凄い違いがあります。
天災は人の力では止められず、予想もしにくいけれど、「原発」も戦争も人が作ったものであり、
止めようと決意すれば止めることが出来るからです。
防災を叫ぶことも大切でしょうが、戦争反対、原発反対、リニア反対を叫ぶことは、それ以上に大事なことだと私は思います。
むしろ天災や防災ばかりを強調(誇張)して、政治の過ちや怠慢から国民の目を逸らしていないかと感じることも多いです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
天災はいつか必ずどこかで起きるものだから、起きた後にどう復興を支援するのか(特に、住居や仕事などをどう保証していくのか)という後のフォローの方が、ずっと大切だと感じます。
特に(私の体験ですが)その後25年経っての「経済生活の質の差」はかなり大きなものがあります。
今からでも、その時の保証をしてもらえるものなら、(その頃は一切経済的支援は無く、仕事も無く、年金も支払えず免除申請しましたが、そのために今は受け取る年金が少ないわけですから)被災した全員を綿密に調査すれば、
現在生活が困窮している高齢者の中には相当数のそのような震災の被害者も多いのではないでしょうか。。
(これは神戸に限らず、全国の天災のどんな被災者にも言えることだと思います。後でツケが回って来るというか、、)
特に住居に関しては、「家賃補助」をするだけでも皆さんかなり助かることと思います。
(例えば建て直し前の団地に住んでいた人は家賃が安いようですが、他から移って来た人たちの中にも、自助努力で私と同じようにあちこち転々として、被災後長年経ってからようやく神戸に戻って来た人たちもいるのですから。。)
ブログが長くなりましたが、以上、自治会の交流会に参加してみてのささやかな感想です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、昨年は17日に自宅でお祈りをした後、神戸(長田地区)に出かけたのですが、
明日はもう街には出かけないで、地元で自分なりに過ごそうと思っています。
前から行ってみたかった「大歳山」(古墳)に登り、それから朝霧(震災前に住んでいたところ)の辺りをぶらぶらし、
垂水の「海神社」にもお参りしてこの「祈念」の日を過ごそうかと。。
皆さまにとってのこの25年間はいかがだったでしょうか。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人はなぜ人を失うのか。。
それは「生者必滅会者定離」という「真理」を知るためなのかもしれません。。
娘の死を私の長年の親しい友人に知らせた時に、電話の向こうで彼女が呟いたのがこの言葉でした。
その時は、「なんてひどい!」
と思って、それ以来その友人とは心が離れてしまったのですが、
今になってようやく彼女の氣持ちがわかるようになりました。
彼女もその時、長年連れ添ったパートナーを失って間もない頃だったのです。
きっとそれは彼女が自分自身に向けて語りかけ続けて来た言葉だったのだと思います。
今はその言葉によって慰められている私です。
そして彼女にも感謝出来るようになりました。
人は同じ体験をしないと(否、同じ体験をしたとしても)人の心はわからないものですが、
自分のことが深くわかるようになると、人のことも少しはわかるようになるものなのかもしれないですね。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回はもう少し楽しい話題にしますね。。
明日はいよいよあの大震災から25年を迎える1月17日です。
昨年から、今年には何か「祈念」になるようなことをしたいと、私もずっとあれこれ考えて意識していたのですが、
オーリングテストではどれもオッケーが出ませんでした。
もちろん、そういうオーリングテストに頼るのではなく、本当に自分がやりたければやればいいのですが、
自分の中でも(頭ではいろいろ計画しても)なぜかあまり心が動きませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
理由はわかりませんが、実際には私の周辺の人たちもとても静かで、先日あった仲間の「新年会」でも、
震災自体の話よりも、その時に起きた「性暴力」のことが話題に上がっていました。
そして、また昨日は、私の住む団地の「新年会」というか、交流会があったのですが、
大正琴の演奏を聴いたり、みんなで一緒に歌ったり、お茶を飲みながら席の近い人とお互いに自己紹介などの話をするだけで、
全く震災の話は出ませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
自治会長さんは90歳、お世話される方(自治会の役員さんたち)もみんな70前後の高齢で、
私の前に座っておられた(偶然同じ棟の)住民の方も80歳の一人暮らしの女性でした。
この団地は震災後に建て直されたので、ということは、震災を経験された方も多い筈ですが、
建て直しの際に他へ転居されたり、またこの25年の間に引っ越して出て行かれたりして、
新しく越して来たその後の入居者はほとんど若い子連れ世代の人たちで、
このような自治会の集いに参加されるのはお年寄りばかりなのです。。
なので、自治会長さんも誰もあえて阪神淡路大震災の話はされなかったのかもしれません。。
まさしく世代断絶というか、震災体験が若い世代に受け継がれにくいのも無理ないのかもと感じました。
ニュースなどでは連日のように震災の話が大きく取り上げられていても、事実はこのように風化していっているのだと思います。
だからこそ「天災は忘れた頃にやってくる」と言われるのでしょう。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
震災後、広島に一年住んだ時も、広島の人たちから原爆の話を直接に聞くことはほとんど無く、
スピリチュアルな集いに出かけても、被爆された親を持つ人たちであっても、
その親からあまり体験を聞いたことは無い(親が語りたがらない)方がほとんどのようでした。
ある人が言ってましたが、「語れる人はまだマシ」というか、(語弊や失礼があればご海容ください)
あまりにも壮絶な経験をすると、とても人には語れない(わかってもらえない)ということでしょうか。。
だからこそ、勇氣を出してみんな死ぬ前になって、ようやく初めて口を開く人も多いのかもしれません。。
ところで、自然災害と「原発」や戦争とは、同じような被害に見えても、物凄い違いがあります。
天災は人の力では止められず、予想もしにくいけれど、「原発」も戦争も人が作ったものであり、
止めようと決意すれば止めることが出来るからです。
防災を叫ぶことも大切でしょうが、戦争反対、原発反対、リニア反対を叫ぶことは、それ以上に大事なことだと私は思います。
むしろ天災や防災ばかりを強調(誇張)して、政治の過ちや怠慢から国民の目を逸らしていないかと感じることも多いです。
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天災はいつか必ずどこかで起きるものだから、起きた後にどう復興を支援するのか(特に、住居や仕事などをどう保証していくのか)という後のフォローの方が、ずっと大切だと感じます。
特に(私の体験ですが)その後25年経っての「経済生活の質の差」はかなり大きなものがあります。
今からでも、その時の保証をしてもらえるものなら、(その頃は一切経済的支援は無く、仕事も無く、年金も支払えず免除申請しましたが、そのために今は受け取る年金が少ないわけですから)被災した全員を綿密に調査すれば、
現在生活が困窮している高齢者の中には相当数のそのような震災の被害者も多いのではないでしょうか。。
(これは神戸に限らず、全国の天災のどんな被災者にも言えることだと思います。後でツケが回って来るというか、、)
特に住居に関しては、「家賃補助」をするだけでも皆さんかなり助かることと思います。
(例えば建て直し前の団地に住んでいた人は家賃が安いようですが、他から移って来た人たちの中にも、自助努力で私と同じようにあちこち転々として、被災後長年経ってからようやく神戸に戻って来た人たちもいるのですから。。)
ブログが長くなりましたが、以上、自治会の交流会に参加してみてのささやかな感想です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、昨年は17日に自宅でお祈りをした後、神戸(長田地区)に出かけたのですが、
明日はもう街には出かけないで、地元で自分なりに過ごそうと思っています。
前から行ってみたかった「大歳山」(古墳)に登り、それから朝霧(震災前に住んでいたところ)の辺りをぶらぶらし、
垂水の「海神社」にもお参りしてこの「祈念」の日を過ごそうかと。。
皆さまにとってのこの25年間はいかがだったでしょうか。。
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人はなぜ人を失うのか。。
それは「生者必滅会者定離」という「真理」を知るためなのかもしれません。。
娘の死を私の長年の親しい友人に知らせた時に、電話の向こうで彼女が呟いたのがこの言葉でした。
その時は、「なんてひどい!」
と思って、それ以来その友人とは心が離れてしまったのですが、
今になってようやく彼女の氣持ちがわかるようになりました。
彼女もその時、長年連れ添ったパートナーを失って間もない頃だったのです。
きっとそれは彼女が自分自身に向けて語りかけ続けて来た言葉だったのだと思います。
今はその言葉によって慰められている私です。
そして彼女にも感謝出来るようになりました。
人は同じ体験をしないと(否、同じ体験をしたとしても)人の心はわからないものですが、
自分のことが深くわかるようになると、人のことも少しはわかるようになるものなのかもしれないですね。。
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長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回はもう少し楽しい話題にしますね。。