今日はもう学校も始まり、お正月氣分もすっかり抜けて皆さまもお仕事にお出かけのことでしょう。。
私も今日から仕事始め。
ですが、まだ終わっていない「初日の出と年賀状」の話の続きをまず書きますね。
このブログは自分自身の記録(日記代わり)なので、ささやかな私事ですが、
興味のある方はどうぞお付き合いください。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
毎年初日の出を拝む時に、「今年はどんな年になるかな〜」という氣配を何となく感じるのですが、
2019年の大晦日が過ぎて2020年が始まった時、時間の流れの止まったような「静謐さ」を感じました。
(周囲の雑音が全て消えて、物質も消え、何も無いスペースだけが存在しているような。。)
今年はオリンピックも予定されているし、何かと慌ただしく賑やかな年になるのでは、、
という「氣配」を予想していましたが、それはどうやら私の思い込みだったようで、
なぜか初日の出の時にも「清涼な氣」がありました。
そして不思議なことに、初日の出を眺めていると、どんどんとあくびが途切れなく出ました。
初日の出を見てのこんな経験は初めてで、ビックリ!でした。
三次元的には周囲に漂う「臭い」が氣になっていたにも関わらず、この大あくびと「清涼な氣」は
「光のくに」に入った太陽の「浄化」の力が、これまで以上にUPしたことの証しなのでしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
また、もう一つの不思議は、年末年始の前後4、5日の間、
どういうわけか、太陽が割れて、「二つの太陽」を見る機会がとても多かったこと。
例えば雲に遮られて、太陽が二つになることはよくありますが、そういう時だと半円となって、
上半分、下半分に分かれて、あまり丸くなることはないですが、
私が見たのは、大小の違いはあっても、どちらの太陽も丸かったのです。
そして、少し離れた場所に(雲に光が反射して起きる現象と思いますが)もう一つの太陽が見られる
ということも多かったです。
またそれは夕陽の沈む時とは限らず、朝や日中にもそのような二つの太陽を何度か見かけました。
伊豆に住んでいた頃にも太陽が二つある現象を見たことはありましたが、
(それは大変珍しかったのでよく覚えているのですが)
昨年末から今年にかけてはほぼ毎日のように続けて見たので、ただの天体現象とは思えず、
もしかして「これは何かの天からの印!?」のようにも感じられたのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そしたら、いきなりのトランプの暴挙による米国とイランの関係性の悪化、核戦争の危機にも
なりそうな大きなニュースがあり、もしかしてこの「二つの太陽」はそのような「分裂」や「分離」の象徴なのかも!?とも思えました。
けれども、元々は「一つの太陽」であり、分かれて見えるのは「幻影」に過ぎないのです。
あるいは、少し小さな一つの太陽は少し大きなもう一つの太陽の「反映」に過ぎないのです。
そのような宇宙の「真理」を知れば、戦争が如何に愚かなことかがよくわかります。
相手が消滅する時、自分もまた消滅するかもしれないのですから。。
つまり、この「二つの太陽現象」は、「統合」に向かうようにと天が人類を導き、
覚醒を促している「シンボル」なのかも!?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
三っつ目の不思議は、年末に急に、全く何の脈絡も無く「知床」のことが氣になり、
ユーチューブで「知床岬の唄」を検索して、声を出して一緒に歌ったりしたこと。
その意味がその時はわからなかったのですが、
今年初めて萬葉講座の先生の方から! お年賀状をいただき、何とそこには
先生が昨夏「知床岬」を訪れた時の話が書かれていたのです!
野生の熊の親子に偶然出くわし、先を行く母熊が子熊を何度も振り返りながら去って行く姿を見て、とても感激されたそうで、
先生が撮られた遠望の写真も添えられていました。
そういうシンクロがあって、隠された目に見えない「繋がり」をしみじみと感じました。
自分が何氣無くとる行動や、想いや選択も、誰かの何かの影響かもしれないのですね。。
また逆に言うと、如何に自分のする選択や行動が人に影響を与えているかもしれないということ。
そんなことを改めて感じた新年でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それからまたもう一つ、娘の友人(山仲間)からの年賀状に
今年3月にはマチュピチュに行くと書かれてあり、
「◯◯ちゃんの歩いた道を歩いてみたい・・」と。
「そんなにも亡娘のことを想ってくれるなんて。。」と有難さにうれし涙が止まりませんでした。
他にも今年の年賀状は心に残るものが多くて、新年から「初泣き」の感動の連続でした。
絵のお客さまからも真心のこもったお年賀状をいただき、まことにありがとうございました!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そしてさらに不思議な出来事が。。
初日の出を見て帰宅後、年賀状の返信を書いていると、猛烈に眠くなり
(前夜あまり眠っていなかったこともあり)ちょっと仮眠したのです。
「仮眠」と言いながらいつも長時間寝てしまう癖のある私なので、
しっかりと歯磨きもして、目覚まし時計もセットしてから横になりました。
いつもは目覚ましが鳴ってもベルを止めてまた寝てしまうのですが、
この時はもう2、3時間は経ったと思うぐらいぐっすりと氣持ちよく眠れたので、
自然にふと目が覚めたのです。
それで時計を見ると、驚いたことにほとんど時間が経ってなくて、セットした時刻よりもずっと早く、
まだほんの30分ぐらいしか眠っていなかったのです。
思わず「エエッ!」とビックリ!!
新年早々、時間の流れというものが随分と変化して来ていることを感じさせられた出来事でした。
皆さまはいかがでしょうか?
「光のくに」に入った実感はありますか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
というわけで、一周遅れの「初日の出と年賀状」のご報告です。
本日も「光のチャレンジ」をご訪問くださってありがとうございました。
「昨年の振り返り」の続きと「今年の抱負」などについてもまた書きますね。
それから、手作り一品持ち寄り「新年会」のご報告も。。
「エエ〜もうそんな話は十分過ぎる」と思われるかもしれませんが(笑)、
私の個人記録としてブログに残しておきたいので、またおひまな時に覗いていただけましたら幸いです。
私も今日から仕事始め。
ですが、まだ終わっていない「初日の出と年賀状」の話の続きをまず書きますね。
このブログは自分自身の記録(日記代わり)なので、ささやかな私事ですが、
興味のある方はどうぞお付き合いください。
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毎年初日の出を拝む時に、「今年はどんな年になるかな〜」という氣配を何となく感じるのですが、
2019年の大晦日が過ぎて2020年が始まった時、時間の流れの止まったような「静謐さ」を感じました。
(周囲の雑音が全て消えて、物質も消え、何も無いスペースだけが存在しているような。。)
今年はオリンピックも予定されているし、何かと慌ただしく賑やかな年になるのでは、、
という「氣配」を予想していましたが、それはどうやら私の思い込みだったようで、
なぜか初日の出の時にも「清涼な氣」がありました。
そして不思議なことに、初日の出を眺めていると、どんどんとあくびが途切れなく出ました。
初日の出を見てのこんな経験は初めてで、ビックリ!でした。
三次元的には周囲に漂う「臭い」が氣になっていたにも関わらず、この大あくびと「清涼な氣」は
「光のくに」に入った太陽の「浄化」の力が、これまで以上にUPしたことの証しなのでしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
また、もう一つの不思議は、年末年始の前後4、5日の間、
どういうわけか、太陽が割れて、「二つの太陽」を見る機会がとても多かったこと。
例えば雲に遮られて、太陽が二つになることはよくありますが、そういう時だと半円となって、
上半分、下半分に分かれて、あまり丸くなることはないですが、
私が見たのは、大小の違いはあっても、どちらの太陽も丸かったのです。
そして、少し離れた場所に(雲に光が反射して起きる現象と思いますが)もう一つの太陽が見られる
ということも多かったです。
またそれは夕陽の沈む時とは限らず、朝や日中にもそのような二つの太陽を何度か見かけました。
伊豆に住んでいた頃にも太陽が二つある現象を見たことはありましたが、
(それは大変珍しかったのでよく覚えているのですが)
昨年末から今年にかけてはほぼ毎日のように続けて見たので、ただの天体現象とは思えず、
もしかして「これは何かの天からの印!?」のようにも感じられたのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そしたら、いきなりのトランプの暴挙による米国とイランの関係性の悪化、核戦争の危機にも
なりそうな大きなニュースがあり、もしかしてこの「二つの太陽」はそのような「分裂」や「分離」の象徴なのかも!?とも思えました。
けれども、元々は「一つの太陽」であり、分かれて見えるのは「幻影」に過ぎないのです。
あるいは、少し小さな一つの太陽は少し大きなもう一つの太陽の「反映」に過ぎないのです。
そのような宇宙の「真理」を知れば、戦争が如何に愚かなことかがよくわかります。
相手が消滅する時、自分もまた消滅するかもしれないのですから。。
つまり、この「二つの太陽現象」は、「統合」に向かうようにと天が人類を導き、
覚醒を促している「シンボル」なのかも!?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
三っつ目の不思議は、年末に急に、全く何の脈絡も無く「知床」のことが氣になり、
ユーチューブで「知床岬の唄」を検索して、声を出して一緒に歌ったりしたこと。
その意味がその時はわからなかったのですが、
今年初めて萬葉講座の先生の方から! お年賀状をいただき、何とそこには
先生が昨夏「知床岬」を訪れた時の話が書かれていたのです!
野生の熊の親子に偶然出くわし、先を行く母熊が子熊を何度も振り返りながら去って行く姿を見て、とても感激されたそうで、
先生が撮られた遠望の写真も添えられていました。
そういうシンクロがあって、隠された目に見えない「繋がり」をしみじみと感じました。
自分が何氣無くとる行動や、想いや選択も、誰かの何かの影響かもしれないのですね。。
また逆に言うと、如何に自分のする選択や行動が人に影響を与えているかもしれないということ。
そんなことを改めて感じた新年でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それからまたもう一つ、娘の友人(山仲間)からの年賀状に
今年3月にはマチュピチュに行くと書かれてあり、
「◯◯ちゃんの歩いた道を歩いてみたい・・」と。
「そんなにも亡娘のことを想ってくれるなんて。。」と有難さにうれし涙が止まりませんでした。
他にも今年の年賀状は心に残るものが多くて、新年から「初泣き」の感動の連続でした。
絵のお客さまからも真心のこもったお年賀状をいただき、まことにありがとうございました!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そしてさらに不思議な出来事が。。
初日の出を見て帰宅後、年賀状の返信を書いていると、猛烈に眠くなり
(前夜あまり眠っていなかったこともあり)ちょっと仮眠したのです。
「仮眠」と言いながらいつも長時間寝てしまう癖のある私なので、
しっかりと歯磨きもして、目覚まし時計もセットしてから横になりました。
いつもは目覚ましが鳴ってもベルを止めてまた寝てしまうのですが、
この時はもう2、3時間は経ったと思うぐらいぐっすりと氣持ちよく眠れたので、
自然にふと目が覚めたのです。
それで時計を見ると、驚いたことにほとんど時間が経ってなくて、セットした時刻よりもずっと早く、
まだほんの30分ぐらいしか眠っていなかったのです。
思わず「エエッ!」とビックリ!!
新年早々、時間の流れというものが随分と変化して来ていることを感じさせられた出来事でした。
皆さまはいかがでしょうか?
「光のくに」に入った実感はありますか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
というわけで、一周遅れの「初日の出と年賀状」のご報告です。
本日も「光のチャレンジ」をご訪問くださってありがとうございました。
「昨年の振り返り」の続きと「今年の抱負」などについてもまた書きますね。
それから、手作り一品持ち寄り「新年会」のご報告も。。
「エエ〜もうそんな話は十分過ぎる」と思われるかもしれませんが(笑)、
私の個人記録としてブログに残しておきたいので、またおひまな時に覗いていただけましたら幸いです。