船井幸雄さんのブログ(毎月曜日更新)の中に連載されている、池田整治さんの『21世紀 ヤマトごころの部屋』を愛読している。
本日は「ガイアのつぶやき・・・その1 」として、昨年の3・11から1年が経ったフクシマの現状と原発の実態、放射能のことなど、広島の原爆の話も含めて、非常に役立つというか、今私たちが知っておく必要のあることが簡潔に分り易く書かれ、しかも今後のことに関する深い内容の提言もあり、本当に心動かされた。
この記事はぜひぜひ読んで欲しいと思う。
そして自分に何が出来るかを考えた時に、あまりの困難に打ちのめされ、多くの人がたぶん「あきらめの気持ち」を持ってしまうかもしれない。
これだけのひどい現実があるのに、なぜまた原発再稼働に賛成する人がいるのか。
どうしてみんなもっと怒らないのか!?
60年安保や70年代の全共闘運動のような社会的に影響力を及ぼすような直接行動がもっと起こっていい筈なのに、「大人し過ぎるのはなぜなのか」と誰もが不思議に思っていながら、(自分自身も含めて)もう一歩前に踏み出せず、思い切った「直接行動」に出られないのはなぜなんだ!?と我ながらはがゆく感じつつも、忸怩たる思いのまま、ただ「様子眺め」?をしている人も多いかもしれない。
このことに関して、前回も紹介した『ヤスの備忘録 歴史と予言の間 』に、「日本に関する思考実験 1 」という大変優れた考察が掲載されているので、まだ読まれていない方はこちらもぜひ読んで欲しい。
「いまの危機を作り出している最大の要因は、実は我々自身」 という、ヤス氏の指摘に、私は非常に納得がいったので、下記一部抜粋をして紹介する。
(ほんとうは全文をそのままご紹介したいのだが、かなりの長文にわたるため、各自でアクセスの上ご参照ください)
「不行動原則」
集団的な直接行動を通して社会的現実を変更することを放棄する態度。
(言い換えると)日常と社会的現実の分断を受け入れ、なんにも行動しないことを選択する態度。
(このような)「不行動の原則」が一般化している理由は、我々の心理に、「何をやっても変わらない」という強い諦めの気持が存在しているからだ。(というふうにヤス氏は鋭く洞察し、その心理の奥に何が存在しているかについて詳細に分析していく)
もっと怒るべき、もっと行動すべきということは誰でも分っている。
(それなのに動けないのはなぜかについての、下記はヤス氏の考察である)
それはだれでもよく分っている。
しかし直接行動を一瞬でも考えると、「何をやっても変わらない」という思いが、心の底から込み上げてくる。この思いが一度込み上げると、すべてのエネルギーが失われ、とてつもない諦めの気持ちが身体を駆け巡り、現実を変革する力が失せてしまうのだ。
(中略)
ボールが顔に向かって飛んでくると咄嗟に避けようとするが、それと同じぐらい(これは)咄嗟の自動化された反応なのだ。そうでないと、社会の現実を変えるために動こうとするときに沸き起こってくる諦めの気持ちの強烈さは説明できない。
(中略)
すべてが(まるで)ゲームのように進行 → 生み出され続ける無変化の日常という幻想 → 諦めの気持ちの基礎にある(日本人の)「世界の感じ方」
(中略)
我々(日本人)は世界や社会を、個人をはるかに越えた生きた有機体のように実感している。
それは独自の意思と法則で変化している全体的ななにものかである → それぞれの個人は、(欧米人のように)自我として自立した存在ではなく、全体的ななにものかと紐帯でつながりながら、かりそめに個人として分化している淡い存在
(中略)
日本人として社会の現実は、背後にある超越的な存在が作り出したものとして実感される 。我々自身もこうした全体の一部である → (淡い)個我でしかない個々の人間は、変化の方向をいち早く感じ取り、それに合わせて一緒に変化することができるぐらいで、ましてや人間の意志で全体性に働きかけ、変化を押し止めたり、方向を変更することなどできるわけがない → (社会的な現実を変えるための直接行動は)最初から負けが決まっている不適切な行動(という心理をほとんどの日本人が持つ)
というふうに、ヤス氏は見事に深く考察している。
このような「不行動原則」とその元になっている我々の日本人の心理(世界の感じ方)を、ではどうやったら変えることが出来るのか?
それについてはこれからまだまだ続く彼の「日本に関する思考実験」において明らかにされていくことだろうが、早く続きが読みたいものだ。
さて、このような厳しい現実の中においても、少しは「希望」の持てるこれまでとはまた違った新しい動きや、私が参考にしている興味深いブログなどを次回にいくつか紹介したいと思う。
最後にひとつ勇気の出る話題を。
実の親から2度も殺されかけたいう、信じられないようなひどい虐待から生還して、自身の体験を『 e love smile 』(パレード発行)という本にされた島田妙子さんのことを、今日のサンケイニュース(虐待をこえてータエコの40年)で知った。
その記事を読みながら涙が出て止らなかった。この本が評判になり彼女は今あちこちから呼ばれて講演されているそうだが、私はこの彼女の生き方の中に、きっとこれからの日本人の生き方のヒントがあるのではないかと直観的に感じた。さっそく本を注文して読んでみようと思っている。
本日は「ガイアのつぶやき・・・その1 」として、昨年の3・11から1年が経ったフクシマの現状と原発の実態、放射能のことなど、広島の原爆の話も含めて、非常に役立つというか、今私たちが知っておく必要のあることが簡潔に分り易く書かれ、しかも今後のことに関する深い内容の提言もあり、本当に心動かされた。
この記事はぜひぜひ読んで欲しいと思う。
そして自分に何が出来るかを考えた時に、あまりの困難に打ちのめされ、多くの人がたぶん「あきらめの気持ち」を持ってしまうかもしれない。
これだけのひどい現実があるのに、なぜまた原発再稼働に賛成する人がいるのか。
どうしてみんなもっと怒らないのか!?
60年安保や70年代の全共闘運動のような社会的に影響力を及ぼすような直接行動がもっと起こっていい筈なのに、「大人し過ぎるのはなぜなのか」と誰もが不思議に思っていながら、(自分自身も含めて)もう一歩前に踏み出せず、思い切った「直接行動」に出られないのはなぜなんだ!?と我ながらはがゆく感じつつも、忸怩たる思いのまま、ただ「様子眺め」?をしている人も多いかもしれない。
このことに関して、前回も紹介した『ヤスの備忘録 歴史と予言の間 』に、「日本に関する思考実験 1 」という大変優れた考察が掲載されているので、まだ読まれていない方はこちらもぜひ読んで欲しい。
「いまの危機を作り出している最大の要因は、実は我々自身」 という、ヤス氏の指摘に、私は非常に納得がいったので、下記一部抜粋をして紹介する。
(ほんとうは全文をそのままご紹介したいのだが、かなりの長文にわたるため、各自でアクセスの上ご参照ください)
「不行動原則」
集団的な直接行動を通して社会的現実を変更することを放棄する態度。
(言い換えると)日常と社会的現実の分断を受け入れ、なんにも行動しないことを選択する態度。
(このような)「不行動の原則」が一般化している理由は、我々の心理に、「何をやっても変わらない」という強い諦めの気持が存在しているからだ。(というふうにヤス氏は鋭く洞察し、その心理の奥に何が存在しているかについて詳細に分析していく)
もっと怒るべき、もっと行動すべきということは誰でも分っている。
(それなのに動けないのはなぜかについての、下記はヤス氏の考察である)
それはだれでもよく分っている。
しかし直接行動を一瞬でも考えると、「何をやっても変わらない」という思いが、心の底から込み上げてくる。この思いが一度込み上げると、すべてのエネルギーが失われ、とてつもない諦めの気持ちが身体を駆け巡り、現実を変革する力が失せてしまうのだ。
(中略)
ボールが顔に向かって飛んでくると咄嗟に避けようとするが、それと同じぐらい(これは)咄嗟の自動化された反応なのだ。そうでないと、社会の現実を変えるために動こうとするときに沸き起こってくる諦めの気持ちの強烈さは説明できない。
(中略)
すべてが(まるで)ゲームのように進行 → 生み出され続ける無変化の日常という幻想 → 諦めの気持ちの基礎にある(日本人の)「世界の感じ方」
(中略)
我々(日本人)は世界や社会を、個人をはるかに越えた生きた有機体のように実感している。
それは独自の意思と法則で変化している全体的ななにものかである → それぞれの個人は、(欧米人のように)自我として自立した存在ではなく、全体的ななにものかと紐帯でつながりながら、かりそめに個人として分化している淡い存在
(中略)
日本人として社会の現実は、背後にある超越的な存在が作り出したものとして実感される 。我々自身もこうした全体の一部である → (淡い)個我でしかない個々の人間は、変化の方向をいち早く感じ取り、それに合わせて一緒に変化することができるぐらいで、ましてや人間の意志で全体性に働きかけ、変化を押し止めたり、方向を変更することなどできるわけがない → (社会的な現実を変えるための直接行動は)最初から負けが決まっている不適切な行動(という心理をほとんどの日本人が持つ)
というふうに、ヤス氏は見事に深く考察している。
このような「不行動原則」とその元になっている我々の日本人の心理(世界の感じ方)を、ではどうやったら変えることが出来るのか?
それについてはこれからまだまだ続く彼の「日本に関する思考実験」において明らかにされていくことだろうが、早く続きが読みたいものだ。
さて、このような厳しい現実の中においても、少しは「希望」の持てるこれまでとはまた違った新しい動きや、私が参考にしている興味深いブログなどを次回にいくつか紹介したいと思う。
最後にひとつ勇気の出る話題を。
実の親から2度も殺されかけたいう、信じられないようなひどい虐待から生還して、自身の体験を『 e love smile 』(パレード発行)という本にされた島田妙子さんのことを、今日のサンケイニュース(虐待をこえてータエコの40年)で知った。
その記事を読みながら涙が出て止らなかった。この本が評判になり彼女は今あちこちから呼ばれて講演されているそうだが、私はこの彼女の生き方の中に、きっとこれからの日本人の生き方のヒントがあるのではないかと直観的に感じた。さっそく本を注文して読んでみようと思っている。