☆ ブログ光のチャレンジ ★「魂の似顔絵」テレパスアートは「テレパスアート」のHPからお問い合わせ&お申し込み出来ます♪

1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

☆ 今年の読み納めの本は何?

2016-12-18 | 本の紹介
今年はなぜかあまり本を読まなかったような?

皆さまはいかがですか?


つい、最近ある方から『年収90万で東京ハッピーライフ』(太田出版)という本を紹介され、それを読み終えたところですが、もしかしてこれが今年の「読み納め」になるかも!?


この本は今年の6月出版ですが、前著『20代で隠居 週休5日の快適生活』も評判になったようです。

著者の大原扁理さんは1985年生まれ。やっと30代になったばかりの若者です。

驚いたことに「ホリエモン」(堀江貴文さん)が帯文を書いてこの本を推奨しておられます。

「働かざるもの食うべからず」なんて、古い。 と。



この言葉には胸がチクリとしました。

なぜって、私は父からこの「働かざるもの食うべからず」を骨の髄まで叩き込まれて育った世代だからです。

何か文句を言おうものなら、「自分で食べれるようになってから言え!」の一言で却下。


なので、私は自分で働いて食べていくことは(女性であっても)当然というふうに思って育ちました。

だから、まして男性が(というと男性差別のようですが)、「働かない」なんて絶対に嫌! という感覚が、今もどこかに残っています。


でも、今はかなり考え方も柔軟になって来て、「人それぞれの人生だから。。」と思えるようになりました。

この本の内容については、各自アマゾンで見ていただくこととして、下記は勝手な私の感想です。


いつもの如く、メッチャ長文ですので関心の無い方はワープしてくださいね♪

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

一言で言うなら、この人の暮らし方は、私にとっては「特に何も目新しいことでは無い」ということです。

「そういう暮らしが当たり前だった昔」を私はすでに経験しているからです。
(「おしん」や「がばいばあちゃん」にはとても及びませんが・・・)

私たちが子どもだった頃には、土手のヨモギを摘んだり、川岸でセリを採ったりして、普通にさまざまな「野草」を食べていました。

海が近かったので、海草を採ったり、潮干狩りをしたり、釣った魚を食べたり、田んぼをしている親戚から米を送ってもらったり、近所の畑をしている人から芋や余った野菜をもらったり、、、 そんなにお金はかからなかったのではないでしょうか。

何せ川で洗濯をしたり、野菜を洗ったり、水遊びをしたり、、で、自宅では井戸水を使い、薪や石炭(コークス)でお風呂を湧かし、土間ではカマドでご飯を炊いていましたから、、。

その頃はテレビはもちろんのこと、まだ炊飯器も洗濯機も電子レンジも、冷蔵庫も何も無かったのですから!


なので、「おしん」の世界ほどではありませんが、この著者が今やっているような「シンプルな暮らし」は、どこもみんな同じくそんな感じでしたよ。

プールなんてもちろんありませんから、海へ泳ぎに行ったり、小さい子どもたちは盥(たらい)に水を入れて行水をしたり、大人は夕涼みしつつ路地で将棋を指したり、みんなで線香花火をしたり、、、お金はそんなに無くても、ガムシャラな働き方ではなく、実にのんびり、ゆったりとしていました。


私の幼い頃の記憶の中で鮮明に覚えているのは、「日向ぼっこ」の氣持ち好さです。

この著者もそんな話を書いていて共感しましたが、それって、何も特別なことでは無くて、昔は当たり前に誰もがしていたことだし、知っていたことだったのです。

「ぼろ買い」(不要になった布、衣類などを集める)の人もいたし、「鉄くず」を集めに来る人もいたし、「リサイクル」だってちゃんと自然に成り立っていたから、余分なものなんて何も無かったのです。


薬だって、「置き薬」で使った分だけ払う合理的なシステムというか、「富山の薬売り」の人が各家庭を回って定期的に新しい薬と交換してくれたりしていました。

そのついでに例えば日めくりカレンダーをくれたり、時には縁談を持って来てくれたり、いろんな情報交換も出来るという、うまく出来たシステムだったように思います。

村には「頼申講」(タノモシコウ〜もしかしたら漢字が違っているかもしれませんが)という、相互扶助システムがあって、必要な時はそこでお金を借りて、余裕が出来たら返すという、そんな仕組みもありました。


電話なんて携帯どころか、村全体の中で何軒かしか無くて、そこで借りたり、餅つきの臼や杵もお互いに貸し借りしたり、冠婚葬祭の衣服も自前で持っている人は少なかったように思います。

だから、家の中に余分なものなんて、何も無く、掃除もとても楽でした。

もちろん、その頃はほうきとチリトリ、雑巾だけで、例えば、畳の上に絞った茶殻を撒いて、ホコリを立てないようにしながら掃除していました。

それで何も不満も無く、十分に幸せな暮らしだったように思います。

ただし、トイレだけはやっぱり今の水洗の方が好きですけどね。。。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

というわけで、私の年代のような者にとっては、特に何も珍しいことは書かれてなかったのですが、「住まい」の見つけ方に関しては大変参考になりました。

私は自分の体験から、「家は結婚と同じだ」と考えていましたが、この著者は「住まいは『恋人』」と言っているのが、ちょっぴり新鮮でした。

そうか、家=「結婚」では無く、永遠の恋人だとしたら、また「住まいの見つけ方や暮らし方」も少し違って来るかもしれないなと感じました。

もしも「住まいが恋人」だとしたら、もっと純粋に「好き」だから一緒に暮らし、もっと「愛」を交わせる氣がします♡

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私の子どもの頃の唯一の不満は、「独りになれない」(そういうスペースが無い)ことでした。
「自分の居場所」と言えるところがどこにも無かったのです。

親や姉妹、親戚、近所の目、ともかく村中で誰にも会わないことなんて不可能で、「プライバシー」なんてものは一切無く、自分の部屋ももちろん無くて、私はずっと「独りで暮らす」というのが、子どもの頃の夢でした。

私にとっては、「働く」というのは、好きだからするのでは無く、ともかく「自由」を得るため、「独立」するためには、どうしても必要不可欠なことだったのです。

ともかく私は「窮屈」な暮らしというのがとっても苦手でした。どこにも逃げ場が無かったからです。

人も時間ものんびりしているのに、なぜかその頃はみんなが人に干渉したがるというか、お互いに関心を持つのが普通のことだったからです。


人間関係が今よりももっともっと濃密だったのです。

ですから、この本で一番感心したことは、人と付き合わず、友だちを作らず、「ずっと独りでいてもかまわない」ということです。

私たちの時代はそういう人は「変わり者」として、村八分になって、生きていきにくい環境だったのです。
否応無しにみんなと仲良くする必要があったのです。

今の時代の好いところは、人に関心を持たなくていいし、人から認められなくてもいいし、親や姉妹や近所の人からあれこれ言われて「比較される」ことも無いし、、、もしも自分が自分を好きでいられるなら、一人暮らしも愉しくやっていけるという「自由」がある(「個」としてのプライバシーが保てる)ことではないでしょうか。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

だから、いきなり話が飛躍しますが、戦争になると、この「自由」が奪われ、人の目が厳しくなり、お互いに監視し合って、息苦しい=生き苦しい そんな社会になってしまうので、私はこの著者の生き方がどうであれ、誰もが自分の好きなスタイルで、それなりに幸せに生きられる、そんな「平和」な社会であることを、心から願っています。


ちなみに、本のプレビューを見ると、他の人たちも私と同じようなことを思うらしく、著者はまだ若いから、、この人の歳取ってからの姿や暮らし方を見てみたいという、そんな意見もありました。

余談ですが、私は20代の前半は、この人よりもっとシンプルな生活をしていました。

共同トイレしか無いアパート生活や、シャワーどころかお風呂も無い暮らし、、その後居候生活も経験しましたし、阪神淡路大震災後の広島では小さなワンルームでコタツも無いような暮らしでした。


でも、「いいじゃないの、幸せならば♪」という感じで、若い頃って、あまりつらさを感じ無いのかも?しれません。

それはやはり(無意識的であっても)未来に「希望」というものを抱いているからではないかと思います。

けれども、もう人生の残り時間が限られ、肉体的な衰えを感じて来る年代になると、「精神力」とか、ボジティブシンキングなんかではやっていけないぐらいに、人生の下り坂は何よりも「体力」が要るのです。

そういうわけで、今はとっても健康な生活を送られているらしいこの著者も、いつかは歳を取るし、病氣もするだろうし、自分の看取りは誰がしてくれるのか? 等々、年齢がいかないとわからないこともたくさんあると感じます。


ですから、氣持ちは「生涯青春」!!って確かに素晴らしいですが、体力が衰えるとやはり「氣力」も衰えがちですし、歳を取ってから、真のその人の「実力」が試されるというか、生死の「覚悟」が要るのだと思います。

ただ、著書は壮絶なイジメにも遭遇しておられ、その中でよくぞ生き延びて、自死することなく、こんなに愉しい幸せな暮らしを得ることが出来たことは、ほんとうによかったなと心からうれしくなりました。

今イジメに遭っていたり、借金で困っていたり、いろいろつらいことがある人は、この本を読むと少しは元氣が出て、もう少し生きてみようと思われるのではないでしょうか。


年内の「読み納め」にどんな本を読むか?

それが案外「来年の指標」になることもあるのかもしれません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

長くなりますが、最後に、下記の本も面白かったので(マンガですが)ご紹介致します。

★ 『やめてみた。』 本当に必要なものが見えてくる 暮らし方・考え方 (幻冬舎)
  著者は わたなべぽん。


「生きるのがラクになる31のやめてみたこと」というキャッチコピーが付いています。

私はこの本を読んで、年末の忘年会を二つキャンセルしました♪
墓参も回数を絞りました。


いろいろやめてみると、本の表紙に書かれているように、「心の中まですっきりしていく」ようです。

2017年は、もっともっとシンプルに! 楽に愉しく生きたいですね♡


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さらに余談が続きます。

自分には出来無いことだけど、スピリュアルTVで藤木吾呂さんの番組を視聴して以来、吾呂さんのような生き方もとっても素晴らしいなと思いました。

大原扁理さんも面白いとは思いますが、もし自分に残された最後の食べ物を誰かにあげるとしたら、私は吾呂さんのような人にあげたいです♡

吾呂さんは「みんなのペットになりたい♪」という願いを持っておられますが、ほんとうに人からの「愛」によって活かされ、また、人からの「愛」を引き出すことがとっても上手に出来る人です。

そこにイヤラシサや卑屈さ、計算とかが全く無くて、こんなふうに人との繋がりによって生きることが出来たら、どんなにか幸せだろうな〜と思います。

吾呂さんは、どんなことにも決して「NO」を言ったことが無いそうで、 どんなことも全て受け容れて生きていて、それでいて「自分ほど幸せな人間はいない」と、とっても感謝して生きておられます。

生き方の達人!?というか、ほんとにこんなふうに生きられたら(人を愛し、人からも愛されたら)毎日がどんなにか愉しいでしょうね!


★ 藤木吾呂さんに興味を持たれた方はぜひ下記の番組をご覧ください。

☆ 週末はいらっしゃい! 154 『人との繋がりだけで生きていきたい』の巻



最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

来年はもっと短く!? いや、いや、さらに長くなるかも・・・。
これからもどうぞよろしくお付き合いくださいね♪



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★「ガイドの絵」キャンペーン、本日終了。

2016-12-15 | お知らせ&催しのご紹介
皆さま ありがとうございます。

おかげさまで「ガイドメッセージアート」が大変ご好評をいただき、うれしいことに、ぎりぎりまでお申し込みが続いておりますが、

本日(12月15日)の24:00をもちまして、半額キャンペーンは終了とさせていただきます。

今回ご利用いただきました皆さま、ほんとうにありがとうございました!!!

またこれからもこのような機会がありましたら、今回見送られた方もぜひどうぞお試しいただけましたら幸いです♪


今回「テレパスアート」をご利用いただきました皆さまにも心より感謝申し上げます。


通常のガイドの絵、そして「テレパスアート」は、年内27日(火)まで受付けております。

来年の営業は1月10日(火)からとなっております。



今後共にどうぞよろしくお願い致します。



ブログに遊びに来てくださった皆さま、いつもありがとうございます。

仕事休みの年末年始も出来るだけ更新しますので、どうぞお楽しみに〜♪




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ 今夜は今年最後のスーパームーン♪

2016-12-14 | 日記
暖冬だと思っていたら、今日はいきなりの寒波で、もの凄く寒かったです。

皆さまのところはいかがですか?

ところで今夜は今年最後の満月でしかもスーパームーンということで、今さっき(午後8時半過ぎ)外に出てみたら、とってもきれいなお月さまが東の空に。

あまりにも美しくてもっとじっと眺めていたかったのですが、かなり寒くて、、。


夕方買い物に出かけたら、いつも行くスーパーの広場で、ペルー人兄弟がアンデスのフォルクローレを演奏していました。
寒さのせいかお客さんが少なくてせっかくの好い演奏がもったいないぐらいでした。

だんだんこのような活動というか、フリーの仕事も厳しい時代になって来たのかもしれませんね。

カルチャー教室でも生徒が集まりにくいと聞いています。


今年の漢字は「金」だそうですが、ガイドの絵や「テレパスアート」のお申し込みでも経済的なことや仕事に関するご質問も多いです。
(「ガイドメッセージアート」キャンペーンは明日15日で受付終了です 

けれども、ほんとうはこれからは「恋愛」や結婚などにとっても好い時期らしくて、天下泰平さんのブログによれば、来年の秋10月ぐらいまで最高に良い時期らしいのです☆

すでにお相手のおられる方や既婚の方でもその関係性がさらにより好くなりますよう、いい感じに深まっていくといいですね。

今夜はぜひそんなお祈りもされてはどうでしょうか。


私も、異性、同性を問わず、自分と同じ星(いったいどこなんでしょう!?)の出身の人と、ぜひ「魂の出逢い」があるといいな〜と願っています♪

誰でもみんな地球に転生する時に、出逢うべき人とは必ず出逢うように設定(約束)して来ているのではないでしょうか。

今すでに目の前に居る人、これまで出逢った人たちにも心から感謝ですね♡



ブログをご訪問くださった皆さまにも・・・ありがとうございます!!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ 波動が違うと・・(ツイテナイことがツイテルことに♪)

2016-12-12 | 日記
室内でも寒さが身に沁みるようになってきましたね。

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、私は先日墓参に行って来ました。

今日はその時の「ツイテナイ体験」で得た「氣づき」について書きます。

長文ですので興味の無い方はスルーしてくださいね♪

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いつも行くのは私の郷里の実家の墓ですが、今回は亡娘の祖父母方のお墓に参りました。

大阪府下ですが、遠くは金剛山にまで繋がる飯盛山の麓辺りにその墓はあり、近くにはOO霊園があります。


十数年ぶり?ぐらいに行ったのですが、人々の意識というか、波動がすっかり違っていることを、その日の体験から感じました。

駅前の花屋さんは昔と変わらぬ場所にありましたが、墓花はとても高くお店のおばさんも商売氣たっぷりでした。

(お墓のあるお寺でも花は売られているのですが)ここで買ったのは手持ちの「グリーンカード」を使おうと思ったからなのですが、このお店では残念ながらグリーンカードの扱いがありませんでした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

駅前のタクシーは小型が無くて(駅裏に行くと小型も時々来るそうですが、表のロータリーでは中型がほとんどということでした)、お墓のあるお寺まで千円で行くというので乗ったのです。

実は、駅からそのお寺まではバスが出ているので、最初はバス停に行ったのですが、今はコミュニティバスに変わっていて、私の降りたいバス停には市営バスは停まらないということでした。
そしてそのコミュニティバスも駅裏から出ているというのです。

駅裏に行くにはとても遠回りになるので、荷物も多いし、ともかく早く行きたかったのでタクシーにしました。
(花屋のおばさんも、「そのお寺なら千円もかからない筈」と言っていたからです)



すると、運悪く渋滞にひっかかり、運転手さんが千円では無理と言い出したのです。
私は小銭が千円しか無かったので、「では千円のところまで行って降ろしてください」とお願いしました。

運転手さんは「横道を通って行く」と言って急に違う道へと車を走らせました。
(元々その道を通れば空いていたのに?と私は少しは道を知っているのでふと疑問に思ったのですが)

そして、もの凄い坂道のところで、突然に降ろされ、「ここからもうすぐそこだから、、」と。

ところが、昔は大した距離では無いと思えたその道が、歩けど歩けどお寺はかなり遠くて、駅からはほんのちょっぴりしか来ていないので、

「はは〜ん、これはタクシー代をボラレタのかも!?」とやっとわかったのです。

乗った時から(目的地が近いところなので)運転手さんは嫌な顔をして、「墓参ですか」と言ったきり、私が話しかけても口もきかず、かなり愛想が悪かったのです。

「あ〜ぁ、昔はもっと親切だったのになぁ〜よほど売り上げを上げたいのだろうな〜 仕方無いよね、稼ぎも大変なんだろうナ」と、「舐められた自分」に半分肚を立てながらエッチラオッチラ坂を上って、やっと目的地に辿り着きました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

帰りは下り坂なので、バスに乗りました。

幸いにもあまり待たずにバスが来たので、乗り口で整理券を取って乗りました。

その時の番号は3番だったので、表示を確かめてずっとそこを見つめながら料金分の小銭を掌に握りしめていました。


そして降りる時にその料金を払うと、20円不足だと言われてびっくり!!

その番号通りの料金なのに??と思って不思議な顔付きをしていたら、運転手さんが「それは1番の料金」と言ったので二度びっくりしました。

いつのまにか料金表示の仕方も変わったのでしょうか?

まさか、バスの運転手さんが間違った金額を言う筈も無いし、、、ね。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そんなトホホの連続ながら、やっと駅に着き、時刻掲示板を見ると、今度は私の乗る予定の電車があと30分以上も待たないと来ないことがわかったのです。

「そんなに待つのかぁ〜」(かなわんな・・)と思って、それじゃあ、ついでに隣の駅まで行って時間つぶしに喫茶店にでも入って休憩しようと思い付きました。

もちろん水筒に入れたお茶は持参していたのですが、もう冷めてしまっていて、お昼ご飯も食べていなかったので何かあったかいものが欲しかったのです。

(そこは昔私たち家族が住んでいたことのあるところで)隣の駅近くには私の好きなレストランもあるので、わざわざそこまで、(ホームにちょうど停まっていた反対方向行きの普通電車に乗って)行ったのです。

すると、そのレストランでは惜しいことにランチタイムがちょうど終わったところでした。
(手作りのお惣菜で玄米ご飯のとても美味しい店なのです)

それで、豆乳とケーキのセットを頼みました。
そしたら、以前はとても美味しかった筈のケーキも豆乳もなぜかあまり口に合いませんでした。

私の味覚が変わったのでしょうか?

あるいはもしかしたらお店の経営者が変わったのかも!?

以前は女性ばかりでしたが、今は男性が厨房に立っていました。


そして、他にはお客さんが誰も居ず、がら〜んとしていて氣の沈んだような印象を受けました。

店の隅っこには近くのお店のオーナーさんたちが何人か集まっていて、(年配のおばさんばかりでしたが)何か会議?をしている様子でした。

その声があまりにも大きいので、筒抜けで聞こえて来たのですが、ほとんどが自分たちの店で働いている従業員の態度の悪いことを嘆き、自分たちオーナーに対する相手からの「感謝の足り無さ」の話題で盛り上がっていました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

たまたまであれ「そんな話を聞かされるはめになる」ということは、理由はわからないけれど、私もおそらく「それを聞く必要があるのだろうな〜」と思って耳を傾けつつ、心の中で(その話が早く終わるように)お祈りをしていました。

それでもあまりにも居心地が好く無いので、洗面所だけ借りて、豆乳も半分残したままお店を出ました。

しかしそのままではどうも氣持ちが重たいので、通りすがりの八百屋さんで大好きな漬け物を買い、それから駅前で「たこ焼き」を買って
(なぜか私のミニリベンジ!?はいつもささやかな「たこ焼き」です)、、、

またしてもなかなか来ない電車を待ちつつホームでたこ焼きをほおばりました。
(電車は事故のために遅れがあったようでした)


そして粉のゆる〜いたこ焼きを食べながら、またしても、「昔はもっと美味しかったのにな、たこ焼きって、外側がカリッてしてて、中がほんわりしてるからこそ美味しいのに、今は外皮もどこもみんなゆる〜いのはどうして!?」「それに青のりもかかっていないし」と、心の中でぼやきながら・・。

おまけにようやく辿り着いた自宅で、お漬け物(たくわん)を味見すると、かなり塩っぽかったので、今も水にさらしてから食べています。

そんな「ハズレ」ばかりで、皆さまもここまで読んでうんざりされた?ぐらいに、その日は私にしては珍しく? これでもかというぐらいに「ツイテナイ」ことの連続の一日でした。


でも、それでよかったのです! それこそが正解だったのです!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

なぜなら、もしもその日、花屋も運転手さんも親切で、料金はおまけしてもらえ、電車はタイミング好く来て、たとえ隣町に寄り道したとしてもレストランではバッチリ美味しいランチが食べられ、お漬け物も最高の味だったりしたら!?


そしたら私はもしかしたら、「やっぱりこの町はいいなあ!!」と勘違いして?
もう一度その町に住んだかもしれません。


私のイメージの中では、それまでその町はずっとそんな好い想い出のまま、変わらずに心の中に残っていたからです。


でも、実際はそうでは無かったのです!!!

町も人々も変化し、古い「記憶」だけが私の中に残っていたのです。



今回はそれを修正するかのように!?タクシー料金はぼられるわ、花代は高いわ、バス代だって追加料金が必要だったということは、例えばこの町で暮らすと「高く付く」(エネルギーが出ていくばかり!?)ということを教えてくれたのかもしれません。

塩っぽかった豆乳やお漬け物、ゆる〜いたこ焼きもみんな、その町は「私の口には合わない」(波動が違う!?)ということを伝えてくれていたのでしょうか、、。


「そんな甘いもんじゃ無いよ」(しっかりよく見て目を覚ましなさい)と。

「もっと氣の引き締まった、清々しい、人々の意識の高いところに住んだ方がいいよ」と、私のガイドさんやハイアーセルフさんが私の氣持ちを切り換えるように手伝ってくれていたのかもしれません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

このことの真実はわかりませんが、私は自分なりに「そんなふうに考えることが出来た」ので、(たとえそれが寓話の「すっぱいぶどう」のキツネのような合理化だとしても)この日の「ツキの無さ」が、逆にとてもありがたく思えたのでした。

その町にはその町の波動にふさわしい人たちが集まっていて、人の悪口で盛り上がり、またそれを楽しむ人が居て、それもまたそれでいいのです。

ただ、自分はもう二度とこの町に憧れることも無く、また来ようとも思わないし、「引っ越すならここでは無いな」ということがよくわかったのです。


要するに体験自体には好いも悪いも無く、その起こった出来事を自分自身がどう考えるか、どう解釈するか、

そしてそこから何を学ぶか、その体験をどう思うかが大事ということではないでしょうか?
皆さまならどんなふうに感じられるでしょうか。


例えばなぜかあまり好い事が続かない時、人は「ツイテナイのはご先祖に守られていないからか?」と氣にしたり、自分を責めたり、氣分が沈みがちになったりしますが、大丈夫!!!

「これは何を教えてくれているのか」と、好い面を探すと、必ず出て来ますから。

そしたらそれでよかったのだとわかり、その体験を出来たことに感謝の氣持ち♡ が湧きますよ。


私もこのことで、ブログのネタが出来たし、万事めでたし、めでたし☆


「ツイテナイ話」を最後まで読んでくださったあなたは、ツイテル、ツイテル!?


本日も遊びに来ていただきありがとうございました。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆クリスマスには・・

2016-12-10 | 日記
日中はあったかいお天氣が続いていますが、夕方になると急に冷え込んでだんだん師走らしくなって来ましたね。
札幌は凄い雪のようですが、皆さまのところはいかがですか。


ところで、あと2週間するとクリスマス☆ ですね。
クリスマスが来るとテディさんが亡くなられてからちょうど半年になるんですね。

私はテディさんの命日をいつのまにか5月だと思い込んでいて、もしかしたら四十九日とか、百日を間違えてお祈りしていたかも?しれません。
実にいい加減な私です。


これまでスピTVをよく観られていた方々は「テディさんロス」 から少しは回復されたでしょうか?

私はテディさんが居なくなってから、スピTVを観るのがすっかり減ってしまいました。
その代わりというわけでは無いのですが、最近は「藤木吾呂さん」の出演される番組を見て心慰められています。


藤木吾呂さんは、先日の番組で言っておられましたが、希望される方には全員に手作りの年賀状を送ってくださるそうで、その申し込みのメールアドレスも番組の中で紹介されていたので、私もさっそく申し込みました。


そしたら、何と!吾呂さんから即返信メールが届き、今年2月に京都の「鈴虫寺」に行って来たことなどが丁寧に書かれていました。

私の住所が京都府なっていたので、京都の話題を書いてくださったのだと思いますが、繊細で優しい方だなと感じました。
とってもうれしかったです♪

年賀状が届くのが楽しみです♡


もちろん、私も吾呂さんに年賀状を出すつもりですが、もし絵のお客さまで私に年賀状など送ってくださる方があれば、私の方からも「宇宙画ポストカード」で返信の年賀状を送らせていただきますね。

もしよろしければぜひ「手作り手書きの年賀状」など、宜しくお願いいたします♪
(ただし、子どもさんとか家族の写真とか、、印刷文のみの年賀状などは、せっかくですが辞退させてくださいね)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

話は変わりますが、いつも愛読している「JES社長さんのブログ」で、「生体ミネラル水」の「希望の命水」をプレゼントしてくれるということを知り、それにも即応募しました。

そしたらすぐに資料と共に「希望の命水」のサンプル(100ml)が送られて来て、そのスピードにびっくり!!

それでさっそく飲み始めたのですが、すっぱさがとってもいい感じ♡ でした。


そして、ブロッコリをゆがく時にも少し入れてみたら、普段よりもゆであがりが早く、しかもいつもよりも柔らかく美味しく出来て、おまけにそのゆで汁もそのまま使えるので、とってもお得な氣がしました。

私は日頃から野菜をゆがく時にも水道水では無く、市販のミネラル水を使っているのですが、ミネラルは単体ではあまり効果が無いそうで、いろんな種類のミネラルが入っていることが大事らしいのです。

そういうわけで、いつもはそのまま捨てていたゆで汁も、今回はせっかくの貴重なミネラル入りのため、もったいないので大事に使おうと思ったわけです♪



この「希望の命水」の効果が果たしてどんなものか? はまだ全部はわかりませんが、「考える前にからだが動く」というか、(何となくですが)これまでよりもおっくうがらずに、「腰軽く氣軽に動けている」ような?感じがします。
(氣のせいかもしれませんが・・・)


皆さまももしよろしければ一度お試しになられてはいかがでしょうか?

藤木吾呂さんの年賀状の件も、JES社長さんの「希望の命水」プレゼントの申し込み期限も、どちらもまだ大丈夫だったと思いますが、

興味を持たれた方は出来るだけお早めにどうぞ♪



本日もブログに遊びに来ていただきありがとうございました。

ちなみに「ガイドメッセージアート」半額キャンペーン☆ は12月15日までです♪

お申し込みはテレパスアートのHPから〜 どうぞ宜しくお願い致します♡



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする