冬至も過ぎ、今年最後の仕事も終わり、今夜はクリスマスイブ。
思いがけないサンタさん(絵のお客さま)からのうれしいクリスマスプレゼントのチョコも届いて、
最高の氣分! の筈なのに? アレ?? なぜかあまり元氣出ず・・不思議。
それで、他にもいっぱい書きたいことや、書く必要のあることが溜まっているのですが、それは後回しにして、
今日はふと思い出したことというか、「ものの見方が変わった過去の出来事」について書きますね。
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この話はこれまでも何度か書いたことがあるのですが、同じ過去の出来事に対して
今年の冬至にはまた「新たな氣付き」があったのです。
小学何年生の頃だったか、家庭科で「ロールキャベツ」を習い、それを家でも作ろうとしたのです。
私が自宅で自分一人で料理をしようとしたのはその時が初めてでした。
そしたら、台所にいた母から、邪魔だと言われ、
とてもショックを受けたのです。
その頃、我が家はいわゆる街角の小さな「おうどん屋さん」だった(父は石材店を経営)ので、
お店に出すものを作る場所が自宅の台所兼用だったため、母はとても多忙で、
台所も狭くて余裕が無かったのです。
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もちろん、そんなことは大人になってから理解したことで、当時のアスペっぽい私には、
その時、「自分の存在自体が全否定された!」と思い込んでしまったのでした。
それまでにも事ある毎に、「自分なんかおらん方がいいんや!」とひがんでばかりいたので、
積もり積もっていた不満が大爆発!
とっさに衝動的に駆け出して、泣きながら自宅すぐ横の踏切に行き、
向こうからやって来る電車に飛び込もうとしたのです!!
その時、うちで飼っていた「クロ」という犬がワンワン吠えて、私はハッと我に返ったのでした。
その踏切は駅にもすぐ近い距離だったため、ラッキーなことに電車はかなり速度を落としていたのです。
電車の警告のクラクションが大きく鳴り、車窓から人がジロジロ私の方を何事かと見ていたことを覚えています。
そして、姉が私を追いかけて来て、その後、母に取りなしてくれて、私の氣持ちをなだめてくれたのですが、
(そのことには今でも感謝していますが)それ以来、料理が私の「トラウマ」になってしまったのでした。
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そういうわけで、今に至るも料理に対して人一倍「緊張」してしまうのです。
(これは人前だけで、自宅で一人で好きなものを作って食べるのは平氣なのです)
そんな私なので、今回、読書会の忘年会でそれぞれ一品持ち寄りで、「オープンサンドパーティー」をすることになった時は、
親しい友人に電話で相談して、どんなものを作ったらいいか、私にも出来る簡単な料理をいくつか教えてもらったり、
隣町まで買い出しに出かけて、事前にいろんな食材を見たり、近くのお店で、とりあえず、缶詰とか、そのまま使えるようなものを準備して、
万が一何も料理が出来なくてもその日に持参するものなどあれこれ考えたりして、
日夜頭を悩ませていたのです。
そんな苦労というか、料理が得意な人には決して想像もつかないことでしょうが、
私はブログにもこの話を書いて、最終的に、「もしどうしても嫌だったら欠席する」ということまでも考えていたぐらいです。
けれども、ふと考えが変わり、思い切って行くことにしたら、それが意外に楽しくて、
今回は自分にとっては、「成功体験」となって、「そうか、場数を踏めばいいんだ。。」とわかったのです。
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今回気づいたことは、実はそのことでは無くて、自分が子どもの頃に、初めて料理を作ろうとした時の「動機」についての発見!です。
それは、料理に関心があり「自分一人で料理を作ってみたかった」とか、「チャレンジしたかった」
というわけでは無く、また母に自分の手料理を食べさせてあげたいとか、日頃の恩返しをしたいとか、、
そんな殊勝な氣持ちはさらさら無くて、
ただ、「自分にも何か出来ることをアッピールしたい」とか、「自分を認めて欲しい」という、
ともかく「自分の存在を肯定してもらいたい」という、そんな切実な想いが根底にあったのだと。。
だから、それがたまたま料理であったというだけで、実は他のことでも、何でもよかったわけなんですね。。
「そうか、そうだったのか、、」と氣づいたら、そんな子どもの私がとてもいじらしく、愛おしくなったのです。
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そして、さらにわかったことは、もし自分がどんなに美味しいものを上手に作ったとしても、
例えば人の口に合わなかったり、好みが違ったり、相手はお腹が空いて無かったり、、
さまざまな理由で、食べてもらえなかったとしたら、そしたら自分はどう感じるのか?
相手が認めてくれたら自分の肯定感が高まり、相手が認めてくれなかったら、自分の価値は下がるのか?
相手には相手の自由があり、「どう思うかは相手の自由」であって、それによって自分が一喜一憂し、
まして、死のうとまで思い込んだり、自分を全否定してしまうなんて、
そんなことはおかしなことだということに、この歳でやっとやっと氣づいたのです!!!
このことに氣づかないまま、あの時、母を恨み、自分を嫌ったまま、死んでしまわないで、
ホントによかった!!!
生きていたからこそわかることが、何歳になろうが、いつかわかることがあるのです!!!!!
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話は元に戻りますが、なぜ「オープンサンドパーティー」に「行こう!」という前向きな氣持ちに切り替わったかというと、
料理以外に、どうせ行くなら何か「クリスマスプレゼント」をしようと思いついたからです。
それで、うちにあったものをいろいろ探し出して、(新品では無く)これまでとても大事にしていた好きなものだけど、
「もう自分は手放してもいいかな」と思えるものを組み合わせて、可愛くラッピングしたりしていたら、
何だかワクワクしてすっかり楽しくなってきたのです。
それで、それを渡したくて、料理のことは二の次になり、知らないうちに緊張感が取れたのでした。。
バシャールの言うように、「ワクワクすること」をやっていると、苦手な他のことも結果的にうまくいくのですね。。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ということで、今年の冬至は私にとって忘れられない「氣付き記念日」となりました。
何せ50年以上も前の「トラウマ」の元にあったものが、何だったのかということにようやく氣づいたのですから。。
要するに、人に自分を認めてもらう必要は無く、自分が自分を認め、自分の好きなことをすればいいという、
ほんとうにシンプルなこと。
そしてそれが幸せへの近道でもあるのですね。。
だから、料理も同じく、自分の作りたいものを作り、もし作りたくなければ、他のものを用意すれば大丈夫!
「自分自身が楽しくなる工夫」をすれば、それで全てオッケー!!ということ。
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本日も超長いブログにお付き合いくださってまことにありがとうございます。
おかげさまでブログも氣を遣わずに、自分の好きなことを自由に書けるようになりつつあります。
「自分自身の記録のために書くように。。」と宇宙さんに教えてもらったことの意味が、さらによくわかってきました。。
思いがけないサンタさん(絵のお客さま)からのうれしいクリスマスプレゼントのチョコも届いて、
最高の氣分! の筈なのに? アレ?? なぜかあまり元氣出ず・・不思議。
それで、他にもいっぱい書きたいことや、書く必要のあることが溜まっているのですが、それは後回しにして、
今日はふと思い出したことというか、「ものの見方が変わった過去の出来事」について書きますね。
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この話はこれまでも何度か書いたことがあるのですが、同じ過去の出来事に対して
今年の冬至にはまた「新たな氣付き」があったのです。
小学何年生の頃だったか、家庭科で「ロールキャベツ」を習い、それを家でも作ろうとしたのです。
私が自宅で自分一人で料理をしようとしたのはその時が初めてでした。
そしたら、台所にいた母から、邪魔だと言われ、
とてもショックを受けたのです。
その頃、我が家はいわゆる街角の小さな「おうどん屋さん」だった(父は石材店を経営)ので、
お店に出すものを作る場所が自宅の台所兼用だったため、母はとても多忙で、
台所も狭くて余裕が無かったのです。
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もちろん、そんなことは大人になってから理解したことで、当時のアスペっぽい私には、
その時、「自分の存在自体が全否定された!」と思い込んでしまったのでした。
それまでにも事ある毎に、「自分なんかおらん方がいいんや!」とひがんでばかりいたので、
積もり積もっていた不満が大爆発!
とっさに衝動的に駆け出して、泣きながら自宅すぐ横の踏切に行き、
向こうからやって来る電車に飛び込もうとしたのです!!
その時、うちで飼っていた「クロ」という犬がワンワン吠えて、私はハッと我に返ったのでした。
その踏切は駅にもすぐ近い距離だったため、ラッキーなことに電車はかなり速度を落としていたのです。
電車の警告のクラクションが大きく鳴り、車窓から人がジロジロ私の方を何事かと見ていたことを覚えています。
そして、姉が私を追いかけて来て、その後、母に取りなしてくれて、私の氣持ちをなだめてくれたのですが、
(そのことには今でも感謝していますが)それ以来、料理が私の「トラウマ」になってしまったのでした。
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そういうわけで、今に至るも料理に対して人一倍「緊張」してしまうのです。
(これは人前だけで、自宅で一人で好きなものを作って食べるのは平氣なのです)
そんな私なので、今回、読書会の忘年会でそれぞれ一品持ち寄りで、「オープンサンドパーティー」をすることになった時は、
親しい友人に電話で相談して、どんなものを作ったらいいか、私にも出来る簡単な料理をいくつか教えてもらったり、
隣町まで買い出しに出かけて、事前にいろんな食材を見たり、近くのお店で、とりあえず、缶詰とか、そのまま使えるようなものを準備して、
万が一何も料理が出来なくてもその日に持参するものなどあれこれ考えたりして、
日夜頭を悩ませていたのです。
そんな苦労というか、料理が得意な人には決して想像もつかないことでしょうが、
私はブログにもこの話を書いて、最終的に、「もしどうしても嫌だったら欠席する」ということまでも考えていたぐらいです。
けれども、ふと考えが変わり、思い切って行くことにしたら、それが意外に楽しくて、
今回は自分にとっては、「成功体験」となって、「そうか、場数を踏めばいいんだ。。」とわかったのです。
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今回気づいたことは、実はそのことでは無くて、自分が子どもの頃に、初めて料理を作ろうとした時の「動機」についての発見!です。
それは、料理に関心があり「自分一人で料理を作ってみたかった」とか、「チャレンジしたかった」
というわけでは無く、また母に自分の手料理を食べさせてあげたいとか、日頃の恩返しをしたいとか、、
そんな殊勝な氣持ちはさらさら無くて、
ただ、「自分にも何か出来ることをアッピールしたい」とか、「自分を認めて欲しい」という、
ともかく「自分の存在を肯定してもらいたい」という、そんな切実な想いが根底にあったのだと。。
だから、それがたまたま料理であったというだけで、実は他のことでも、何でもよかったわけなんですね。。
「そうか、そうだったのか、、」と氣づいたら、そんな子どもの私がとてもいじらしく、愛おしくなったのです。
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そして、さらにわかったことは、もし自分がどんなに美味しいものを上手に作ったとしても、
例えば人の口に合わなかったり、好みが違ったり、相手はお腹が空いて無かったり、、
さまざまな理由で、食べてもらえなかったとしたら、そしたら自分はどう感じるのか?
相手が認めてくれたら自分の肯定感が高まり、相手が認めてくれなかったら、自分の価値は下がるのか?
相手には相手の自由があり、「どう思うかは相手の自由」であって、それによって自分が一喜一憂し、
まして、死のうとまで思い込んだり、自分を全否定してしまうなんて、
そんなことはおかしなことだということに、この歳でやっとやっと氣づいたのです!!!
このことに氣づかないまま、あの時、母を恨み、自分を嫌ったまま、死んでしまわないで、
ホントによかった!!!
生きていたからこそわかることが、何歳になろうが、いつかわかることがあるのです!!!!!
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話は元に戻りますが、なぜ「オープンサンドパーティー」に「行こう!」という前向きな氣持ちに切り替わったかというと、
料理以外に、どうせ行くなら何か「クリスマスプレゼント」をしようと思いついたからです。
それで、うちにあったものをいろいろ探し出して、(新品では無く)これまでとても大事にしていた好きなものだけど、
「もう自分は手放してもいいかな」と思えるものを組み合わせて、可愛くラッピングしたりしていたら、
何だかワクワクしてすっかり楽しくなってきたのです。
それで、それを渡したくて、料理のことは二の次になり、知らないうちに緊張感が取れたのでした。。
バシャールの言うように、「ワクワクすること」をやっていると、苦手な他のことも結果的にうまくいくのですね。。
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ということで、今年の冬至は私にとって忘れられない「氣付き記念日」となりました。
何せ50年以上も前の「トラウマ」の元にあったものが、何だったのかということにようやく氣づいたのですから。。
要するに、人に自分を認めてもらう必要は無く、自分が自分を認め、自分の好きなことをすればいいという、
ほんとうにシンプルなこと。
そしてそれが幸せへの近道でもあるのですね。。
だから、料理も同じく、自分の作りたいものを作り、もし作りたくなければ、他のものを用意すれば大丈夫!
「自分自身が楽しくなる工夫」をすれば、それで全てオッケー!!ということ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本日も超長いブログにお付き合いくださってまことにありがとうございます。
おかげさまでブログも氣を遣わずに、自分の好きなことを自由に書けるようになりつつあります。
「自分自身の記録のために書くように。。」と宇宙さんに教えてもらったことの意味が、さらによくわかってきました。。