昨日もそうだったけれど、ここ最近の私は比較的、誰と比べるでもなく普段の自分と比べてという意味で、真面目に家事をしているように感じます。
季節の変わり目でやらなければならないことが多いということもありますけどね。
それでも昔の主婦に比べたら(あ、また比べている:笑)、家電製品の発達でどえりゃあ楽になっていると思います。
家事に関する本などのタイトルでも、「ラク」とか「ゆる」とか「しない」とか、家事の前につく枕詞?は家事の手間を出来るだけ省く方向に向かっているなと
つくづく思いますが、核家族化でワンオペ育児だったり、仕事を持っているのが当たり前になりつつある現代社会においては、当然の成り行き。
私もそういうのを否定しません。特に歳をとってきた今、ラクなほうが絶対ありがたい。今やワンオペ家事だし。
義母がまだ元気な時はある程度家事の分担をしていて、それがかなりラクだったということに気づいたのは義母が、認知症になったこともあるけれどやはり
高齢になってそれまでやっていたことがやれなくなったり、やろうとしなくなったりしてから。
昔の義母はそれはそれは真面目な主婦でしたから、毎日廊下と台所の床の拭き掃除を欠かさず、廊下はさしずめお寺のそれのように黒光りしていたものです。
40代半ばくらいまで仕事をしながら家事もして、継母の介護もしていたことを考えると、すごく頑張っていたんだなと改めて尊敬しますね。
私の母親は大正9年生まれで、生きていたら満100歳。スペイン風邪にも戦争などにも負けずよく生き残ったと思います。生き残っていなければ私も今こうして
ブログなどのほほんと書いていないわけで。
そんな古い親に育てられてきたからと言うのもあるだろうけれど、いかにも、と言った感じの、丁寧な家事や暮らしをしていた方の書いたものにとても惹かれます。
この2冊の本、元々は上製本のものを持っていて、一旦手放したもののやっぱり手元に置いておきたくなり、どちらも文庫化されていたので買い求めて今に
至ります。左側の町田貞子さんの本は続編も持っていて、どちらも何度も読み返しています。
まだ家電製品も今ほど整っていない時代に書かれたものなので、今ではちょっと参考にならないこともあるけれど、それだからこそ工夫を凝らして家事の効率化を
はかったり、季節に応じた家仕事を丁寧にこなす様子を読むたび、そういう暮らしかたにあこがれも感じます。
おふたりとも明治生まれ。同じく明治生まれの沢村貞子さんの書かれたものも好き。
明治の女は強いから、と義母がよく継母のことを愚痴っていましたけど、確かにお姑さんにするには相当手強そうではありますね。
義母が今の私の年齢のときには、家事も私と分担していたとは言え真面目にやっていた上に、義弟の店の手伝いにも度々出かけていましたっけ。
そういうことを考えるにつけ、現在の自分について、これでいいのか!?と自分ツッコミ入れることが多いです。時に自分がとても怠け者のように思えて
しまうことすらありますが、あまり自分を否定するのもそれはそれでよろしくない。
丁寧な暮らしとラクな暮らし。その間であっち行ったりこっち行ったりを繰り返しながら日々過ごしている気がします。どっちかと言ったらラク寄りかも。
でも時折丁寧な暮らしを思い出して、ちょっとやってみる。これくらいが今の私には合っている気がしています。