反省の念がない為に未だ人殺し教&貪欲な狼の群れという性質も変わっていない。やはり善悪の追求をしていない宗教は終わっていると思わせます。 ちなみに我々が正邪の判断を付けるのはただ良心によるのであり、天の意思を知るのも良心、真理を見出すのも良心によっている。 ちょうど裁判官が己の良心に基づいて裁決を下すように、我々も裁きの日には己の善心によって完璧に裁かれるであろう。神にミスジャッジがあると思うなら良心の塞がれた現状を維持して居れば良い。 貪欲さを追いかけながら平和を祈願する事は正しいのだろうか?若者が何も考えていないのは大人が何も考えていないからに違いない。お金や命より大事な物を失った国民の為に首相も靖国を訪れるのではないのか。良心に答えを求め善悪の追求を行わない事には同じ過ちを繰り返すのは時間の問題と思える。
|