「環境の事を考えてこなかったのでこれからは環境を守ります。」 良心が麻痺し懺悔もできない教会は十字架を背負いキリストに付いて行く、贖罪の旅へ出る事ができていない。「イエス・キリストを贖い主として受け入れれば赦される」 …………というが……意味が分かりません。 何をしてきたのか 一つの理として、殺し合いを要求する悪魔に従事しながら平和を祈念する事は矛盾している。快楽浸りになりながら日本の治安の向上や、神の国の到来を祈る事はおかしい。極端な話、 砂糖捨てますか?平和捨てますか?の問いに「平和捨てます!」と即答してきたのが日本の教会だ。真理に気付かない者が飽食するたび社会は荒れていた。今の悲惨な日本社会は当然の帰結でもある。 若者の性の乱れに物申す! このような闘争なしに平和は守られないという事を知らなかったらしい。面倒な道を避け平和に安住して居れば、放置された悪魔達が勝利するのは必然だ。 イエス、モーセ、パウロ、ペテロらの人生を「苦」、「闘」、「癒」とすれば 日本のキリスト教が歩んできた道は「安」、「楽」、「戦」である
|