神に感謝しつつ世界中を踏み荒らしていた西洋人も、聖書自体は殆ど読んでいなかったという。(17世紀の欧州の識字率は2割未満) 結局キリスト教が神の前に曝したのはあるキーワードを覚えた人間の霊性がどこまで朽ちて行くのかという事でしかなかった。 現在聖書には鋭い宗教批判のメスが入り、新約27書の大半が著者名を偽った偽名書という有力説を否定する事は難しくなっている。(使徒マルコもヨハネも文書を書いていない) 考古学研究によれば1世紀のガリラヤ地方はアラム語を話すユダヤ教徒の田舎集落で、イエスが連れ添った貧しい農漁民達に識字と筆記の能力は乏しかったとされる。アラム語が書けないのに流暢な外国語で長編文芸を綴る事など不可能に近い筈だが、キリスト教文書は高い教養を持つギリシャ語を話すキリスト教徒によって記されたというのが現代聖書学の通説だ。 偽書の山 『コリント人への手紙III』 『ペテロの福音書』 『ヨハネ行伝』など驚くほかない大量の偽造文書の主要な発生源は、宗派間闘争にあったと言われる。 外典・偽典群 新約聖書を開くと「イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから...」(ペテロII 1:1) などとなりすまし犯が白々しく登場し、中途から異端への攻撃が始まる。まず自分自身に省みるべき処があるのでは?と促したくなると同時に、意図的な偽証という破廉恥に属する文書が「聖」の書を名乗っている歪さへの違和感も湧いて来る。 イエスは“預言のメシア”か ユダの裏切りの銀貨30枚で畑が買われる場面、マタイは満を持して「こうしてエレミヤの預言が成就した」(マタイ27:9)と宣言する。ところが、エレミヤ書のどこを探してもそのような記述はない。 ユダヤ教の「旧約は何らイエスという男を預言していない」という主張の検証はせず、キリスト教徒はユダヤ教徒を聖書で殴殺し続けた。これはキリスト教が現実を直視できない、論理や理性から隔たった幻覚の世界であるが故の不条理だろう。 新約が人工の書物群(同時にヤーウェの敵)である事を認識できたら、キリスト教は聖書を返却しより真実の神を求めて独立し出直すのが善かろう。復活如きに重点を置いた哀れな信仰体系がイエスに認められる筈もない。 世界人口の推移 1500年 5億人 1700年 6億人 1900年 16億人 1980年 45億人 2011年 70億人 2050年 93億人 18世紀以降の差別と腐敗に端を発する悪しき支配モデルの継承により商品作物の集中的栽培(プランテーション)を命ずる奴隷制は現在も隆盛が続いている。強欲を容認する紙屑が神威を放っている限り、この軌道は正せそうにない。 日本人は聖書に馴染みが薄いけれども、無制限の肉食、人権侵害、金銭の勢力という西方の伝統に染まりつつある現状を凝視すれば、その正体を知る事には益もあるはず。問題は根幹部分から修正すべきであって、この国は政治が歪んでいるのではなく人間が歪んでいるのだ。 画像出典: Church of the Flying Spaghetti Monster World’s Population Graphs |