伝統的なキリスト教と聖書は、決して天から降ってきた物ではなく、ユダヤ教徒同士の仲違い、競合する様々な思想、文化的要因の中に長い醸造期間が見出される。そして最終的に発展したのはイエス自身が奉じていた宗教からは大きく乖離して成立した、人間の創造物であった事に疑いの余地はない。 出来合いの既製品に対して「懐疑」の勇気を人類が持てていたなら、起きないでいい悲哀史は幾らもあったであろうに。あらゆる不条理も悪徳も神の名で正当化できてしまうキリスト教だけに、激動する暗黒の波動を支え切る一切の観念は登場し得なかったのかもしれない。 第1次大戦後、人種差別撤廃の理想を掲げた日本の提案は既にアジアを奴隷工場として所有する西欧の警戒で却下された。"戦犯""侵略者"と呼ばれていようとも、異国にたかる差別主義者の帝国主義時代を生きてくれた先人には感謝の念を捧げる事しか私にはできない。たじろがずに書く事ができない歴史の一つが下記サイトに簡潔に記されているので勇気のある方はご覧になっていただきたい。 黒人奴隷クンタの20年間=「世界商品」の生産と黒人奴隷制度= 第1章 襲撃 第2章 奴隷船への「積み込み」 第3章 奴隷船上の反乱 第4章 大西洋の三角貿易 第5章 奴隷船での日常 第6章 奴隷市 第7章 砂糖プランテーション … 「どっちなんだ?人間が神の失敗作なのか、それとも神が人間の失敗作なのか」フリードリヒ・ニーチェ 史上実在した神はさながら史上最大の怨霊であった。ここからは歴史化された神話、呪詛の紙を人類が如何にして捨てる事が出来るのかを模索する事にしたい。直解型キリスト教という汚れの除染が人類の明るい未来への第一歩となる。 例えば裏切り~十字架刑が異教神話の再現なら、あまりにも有名なキリストを裏切ったユダは実在していたのだろうか。セトの一党がホルスを捕える場面とユダの一党がイエスを逮捕する場面は酷似しているという。
ユダの史実性を揺るがせる今一つの論拠はその死に方である。『マタイ』27:5では首吊り、『使徒行伝』1:18では地に落ちて体が裂けた(飛び降り?)と不一致になっている。 イエスの元型の一つである旧約聖書のヨセフにも12人の兄弟がおり、銀貨20枚でイシュマエル商人に売られた(イエスは30枚)。ヨセフを「売ろう」と言ったのは弟のユダだった。(創世記37:27) 既存の書物の改訂版という事実が示すのはそれが歴史上起こった出来事ではないということだ。 中世以降強権を得たローマ教皇が富貴に狂乱しながら人民を残虐政治で痛めつけた痕跡の残る欧州では、キリスト教に対する疲弊感も根強い。 18世紀には遂に欧州人も聖書を焼き払うようになり、 空気の美味しい新天地米国へ競って移住して行った。割と敬虔な仏国でも現在毎週礼拝へ通う信徒は全体の1割強ほど。英国では5%を割っている。 グロテスクな積年の残虐行為の反省もなくキリスト教勝利主義、聖書原理主義へ返り咲くなどはあって良いことではないだろう。イエスが架空か実在かはキリスト教にはあまり関係のないことでもある。ナザレのイエスがこれ以上キリスト教徒の振り回す玩具であってはならないのだから。 画像出典:Sainte Eglise du Monstre en Spaghetti Volant NNDB: Tracking the entire world |
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ローマ法王が手から「デムパ」を放出している絵、しばらく笑ってしまいました(笑。
15世紀以降、暗黒卿皇帝とフォースの申し子が銀河帝国の支配に乗り出していました。
現在キ教が老いぼれたのは、大量のダーク・フォースを消費したためです。人類を暗黒面に引き入れる侵略宗教を復活させてはいかんでしょう。
BBCによるイエスの顔
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb616.html
kill人教の残虐史を知ってからはコーカソイド風の肖像画を見ると抵抗感を覚えるようになりました。