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『ルカ』と『使徒行伝』

2012-03-28 01:51:31 | 焚書/解体


『マタイ』は不当な脚色を加えたために叙事の正確性が疑わしい物になってしまった。『ルカ』+『使徒行伝』(ルカの第2巻:文体、語彙、序文が類似)も同様に不安定な存在を確立している部分に触れてみたい。


 住民登録令
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が
出た」 (ルカ2:1)
 
"自分の出身地へ赴かなければならない登録令のためにヨセフとマリアはナザレから生まれ故郷ベツレヘムへ旅立った。"
ナザレ-ベツレヘムの距離は約150㎞(直線距離120㎞弱)。地図で分かる通りがそびえ立つ臨月を迎えた妊婦には厳しい道程だ。(やるせない事に『マタイ』の一家は移動するまでもなくベツレヘムに(マタイ2:11)を持っている)

徴税目的である戸籍登録は居住地(ナザレ)で行えば良く、ルカ方式で仕事と居住地を離れて全住人が移動を始めた際の
全ローマ的な大混乱は想像に難くない。歴史に痕跡がないこの話はやはり創作色が強いだろう。


 ルカの加筆
マルコ15:31-32
「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
ルカ23:39-43
「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
ルカの2書はテオフィロという人物(地域の支配者?)に献呈する形で記されている。当時からキリスト教は世間体が悪く、教祖を“無実の人”(十字架刑は国家反逆罪に適用)として強調する事に労を割いたような跡が見られる。
「百人隊長が.....「本当に、この人は神の子だった」と言った。」(マルコ15:39)
「百人隊長は.....「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。」(ルカ23:47)


 復活後顕現するイエス
マタイ28:10、16-17
イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」
… さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。
ルカ24:49
「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、にとどまっていなさい。」
使徒1:4
彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」
『マタイ』ではイエスが二人の女性の前に現れ、その指示通り(エルサレムから)ガリラヤへ向かった弟子達がイエスと山で再会を果たす。
『ルカ』のイエスはエルサレムにいる弟子達にそのまま現れ、エルサレムに留まることを命じる。弟子達は100km以上離れたガリラヤとエルサレムのどちらでイエスに会ったのだろうか?

 ユダの死
マタイ27:5
そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首を吊って死んだ。
使徒1:18-19
(彼は不義の報酬で、ある地所を手に入れたが、そこへまっさかさまに落ちて、腹がまん中から引き裂け、はらわたがみな流れ出てしまった。)
記者は互いの福音書を知らなかったと考えられ、家系の他、ユダの死についても示し合わせる事ができなかったようだ。

 血の土地
マタイ27:6-8
祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、 相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。
使徒1:19
そして、この事はエルサレムの全住民に知れわたり、そこで、この地所が彼らの国語でアケルダマと呼ばれるようになった。「血の地所」との意である。)
両者ともユダの報酬を「血の土地」の逸話に結び付けている。しかし土地を買ったのが祭司なのかユダなのか、名の由来は血の金だからなのかユダの血が飛び散ったせいなのか、両者は齟齬を来している。

 回心後のパウロの行動
ガラテヤ人への手紙1:15-20
神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、
すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、 ほかの使徒にはだれにも会わず、
ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。 わたしがこのように書いている事は、神の御前で断言しますが、嘘をついているのではありません。
使徒9:18、26-27
すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、…

サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。
神秘体験によって改宗した後のパウロはエルサレムには「向かわず」、使徒とも「会わなかった」点を強調している。自身の教義が他の誰にもよらない“天から下された啓示”であることを権威付ける目的で神にまで誓っているのではないだろうか。

ところが、使徒行伝では改宗後一路エルサレムへ向かい、使徒とも協議した事になった。恐らく何らかの理由で『使徒行伝』作者は事実を改竄したのだろう。

 ダマスコ途上の幻視
使徒9:3-5
ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」
サウロの神秘体験は3度この使徒行伝において語られ、相互に矛盾する内容になっている。
1) 降り注いだ光によって、サウロは地に倒れた。同行者はイエスの声は聞こえても、光や人の姿は見えず、ただ突っ立っていた。(使徒9:4-7)
2) 一緒にいた人々は、その光を見たが、パウロに語りかけたイエスの声は聞かなかった。(使徒22:9)
3) 「私達が皆地に倒れた時」(使徒26:14) (1)"他の人は立っていた"という記述と矛盾する。

パウロに比重がある時点でルカグループは異邦人伝道を趣旨とする姿勢が鮮明だ。マタイが地震を起こしたように、ルカも奇跡の安売りをして墓穴を掘ったのだろう。


『使徒行伝』は他にもパウロの真筆と食い違う部分が多く、記述の正確性が疑問視されている。『使徒行伝』のみを典拠とする事実 
・パウロがタルソス出身であること ・ローマ帝国の市民権を持つこと ・テント造りが生業であること ・エルサレムで逮捕され投獄されたこと― 等について批評家は懐疑的だという。

画像出典: Cherished Travel 

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