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やっぱり書いちゃおう・・・
「千の風になって」という詩が流行っています。
こちらであったコンサートでも歌われました。
でも、この詩が話題になるたび、気持ち悪くなるのです。
だいじな宝物の光が、ぼやけてくるような・・・
『あとに残された人へ 1000の風』 南風椎訳 三五館
という美しい本を、ご主人を亡くされた同僚へ贈ったのは、もう10数年前のことでした。彼女はとても喜んでくれて、しかも元気になってくれました。
A THOUSAND WINDS を初めて邦訳したこの本は1995年6月が初版で、いまでも入手できます。
雑誌「文芸春秋」で河合隼雄氏がとりあげたこともあります。
もとの詩が作者不詳だからといって、日本に紹介した詩人とその本を、
新井満氏をはじめとして無視していることが、とても気もち悪い。
さらに原詩の由来について、不確かなことがまことしやかに話されていることも。
南風椎氏は<ぼくの調べた限りではカナダ先住民マカ・インディアンに伝わる祈りを100年前に英語圏の人が美しい英語の詩にしたようだ>と言っています。
彼の本は、その<祈り>をたいせつにしているイメージがあります。
これまでのところ、いまの流行について彼はなんにも発言していません。
「いいものは、時を経て、いろいろな人の手で伝えられていく」
と喜んでさえいるらしいです。
注: AMAZONで「千の風」と検索しても、南風椎氏の本はでてきません。著者名で探します。
「千の風になって」という詩が流行っています。
こちらであったコンサートでも歌われました。
でも、この詩が話題になるたび、気持ち悪くなるのです。
だいじな宝物の光が、ぼやけてくるような・・・
『あとに残された人へ 1000の風』 南風椎訳 三五館
という美しい本を、ご主人を亡くされた同僚へ贈ったのは、もう10数年前のことでした。彼女はとても喜んでくれて、しかも元気になってくれました。
A THOUSAND WINDS を初めて邦訳したこの本は1995年6月が初版で、いまでも入手できます。
雑誌「文芸春秋」で河合隼雄氏がとりあげたこともあります。
もとの詩が作者不詳だからといって、日本に紹介した詩人とその本を、
新井満氏をはじめとして無視していることが、とても気もち悪い。
さらに原詩の由来について、不確かなことがまことしやかに話されていることも。
南風椎氏は<ぼくの調べた限りではカナダ先住民マカ・インディアンに伝わる祈りを100年前に英語圏の人が美しい英語の詩にしたようだ>と言っています。
彼の本は、その<祈り>をたいせつにしているイメージがあります。
これまでのところ、いまの流行について彼はなんにも発言していません。
「いいものは、時を経て、いろいろな人の手で伝えられていく」
と喜んでさえいるらしいです。
注: AMAZONで「千の風」と検索しても、南風椎氏の本はでてきません。著者名で探します。
ほんとにおひさしぶりです。
>ハッキリ分らなくてもいい事って・・・あるような
そうですね。
起源をはっきりさせるかどうか、なんて、ビジネスの世界ならだいじかもしれないけど。
南風さんのように生きたいと思っています。
”千の風”は新井満さんの本を買って以来・・・ついに歌まで・・・となると、最近私も何だかね・・・(;一_一)・・・
英語の響きがとてもいいので、あんまり訳す必要はないのかもしれない・・・なんて思ったり、
あんなに浪々と歌われてしまうと・・・
興醒めするというか・・・逝く人をおくる思いが何処か別世界になるような・・・
こういうのって、心の中で暖めておきたい感じがしてます・・・
しっかりハッキリ分らなくてもいい事って・・・あるような気がするのは我がままかしらね・・・((苦笑
英語詩も紹介されています。
MIXI で「南風椎」を探してみてください。
TVでちらっと聞いたことがあり、また歌も耳にしたことがありましたが、
こういう背景だとは全く知りませんでした。
本、読んでみたいです。