たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

報道を見た感慨あれこれ <時代の風 所有者不明の土地>など昨日から今朝にかけての報道を見て

2017-03-26 | 不動産と所有権 土地利用 建築

170326 報道を見た感慨あれこれ <時代の風所有者不明の土地=増田寛也>など昨日から今朝にかけての報道を見て

 

今朝は穏やかな日和というか、少し暖かく感じてしまいました。ほんのちょっと枝打ちをするともう汗ばむほど。実はヒノキの細い幹が大きく曲がりながら伸びていて、いままでその枝張りの具合を気にしながらも、夏場は日陰になると思い残していたのですが、周辺の少しきれいにするついでに、そこもバサッと3本のヒノキの枝打ちをしました。ぶり縄で登るのですが、曲がっていると体が回転しそうになるので、一方の手は幹を掴んでおかないといけません。少々緊張しながら、やり終えました。

 

さて、今日はとくにこれだという記事もないと思いつつ、いやいやそれぞれ興味をそそる部分もあり、えいやと気になったものを全部、とりあえずまな板に載せてみようかと思っています。できあがりは、てんこ盛りの雑多さで困惑させるか、いろいろあって面白いと思うかは、それぞれの読み人の感覚でしょうか、いや筆者のお粗末なできによることは否定しませんが。

 

最初に見出しの<所有者不明の土地>について取り上げたいと思います。この問題は、これまでもブログで何回か言及しているので、増田氏が指摘するような現状については、とくに目新しい話しではないでしょう。私の記憶でも、遅くとも四半世紀以前から問題になっていたわけですから。いやさらに本質的なことをいえば、仮称「大化の改新」で始まった公地公民制であっても、所有権の把握が容易でなかったわけですね。むろん従前の私有地を取り上げて国有化し、それをみんなに分け与えることですら、うまくいかなかったわけですね。

 

所有権制度については、維新後に初めて近代的所有権が導入されたという理解が一般ですが、それが妥当するか疑問をもっています。そのことはちょっと脇に置いて、維新政府が当時ほとんどの土地は農地とその土地利用に随伴する関係にあった林地でした(奥山は別)が、その土地所持に所有権を認めると引き換えに、地租を課したことにより、近代所有権が確立した、あるいはその後の旧民法の所有権制度の法典化により、確立したといわれるかもしれません。

 

しかし、そのとき認められた所有者は人口比で100分の1程度だったとも言われています。そして、農地改革で、3町歩以上の地主について(北海道や在地していない地主など別)極めて廉価で小作人に譲渡されましたが、そのとき地主小作関係がほとんどの地域で問題となり、農地委員会裁決を経て解決したものがある一方、かなりの程度ではっきりされなかったというか、隠蔽されたものがあったと推測しています。

 

なぜこのようなことが所有者不明に関係して言及するかというと、その理由や背景を簡単に説明できるわけではないですが、このような所有権制度についえt規範的意識を理解する前提を欠いたまま、所有者になった人が少なくないと感じているからです。

 

もう一ついえば、相続制度も影響していると感じています。旧民法では家制度を確立させるため、多くは長男一人が相続するという家督相続制度を用意しました。戦後、日本国憲法の下で、家制度、家督相続制を廃し、新民法で共同相続制、さらに子がない場合に代襲相続制を用意しました。

 

これらはある意味では形式的平等を認めることができ一定の合理性があるものの、所有権という制度自体が公共の福祉の制限を伴い、一定の責任をも負担するということについて、適切な教育の機会や知識の普及のないまま、国が(一方的にと一応指摘しておきます)決めた法律による制限以外は自由勝手でよいといった思想もいつの間にかはびこってしまったように思うのです。

 

増田氏によると<本年1月に筆者が座長となり自治体や不動産鑑定士など関係士業団体、研究者をメンバーとし、関係する各省をオブザーバーとして「所有者不明土地問題研究会」を発足させた。>ということで、それ自体は前向きに評価してよいと思います。ただ、なぜか登記だけを問題にしているように思うのです。むろん売買による所有権移転といった場合は登記手続きが一般に行われるのと比べ、相続の場合に登記されないことが多いのは確かですし、とくに農地、林地ではかなりの割合になっていることから、また、東日本大震災の復興事業に支障となったことからも、(相続)登記に着目することは正鵠を得ていないわけではありません。

 

しかし、なぜ相続登記が行われないかについては、単に登記の懈怠といった問題にとどまらず、相続紛争や、長い間登記されていないこと、利用されていない遠隔地の問題など、多様な背景があります。

 

そして私自身、時折経験しますが、生涯単身、あるいは夫婦がいても子どもがいないといった場合に、兄弟姉妹が残っていてもさほど親族的な結びつきがないと、そして高齢で亡くなった場合、兄弟姉妹もすでに亡くなっているだけでなく、それらの子も亡くなっているということもあります。相続人を探し出すだけでも大変な作業となります。こういった場合欧米では遺言制度が割合利用されてきたかと思うのですが、わが国では所有権思想とその相続制度への理解が必ずしもよく理解されないできたため、また、遺言書に対する理解も進んでいないこともあり、まだまだ遺言書を残すということは少ないように思うのです。

 

で、所有者不明の土地問題は、同時に、多くの場合、農地であれば耕作放棄地、林地であれば荒廃した森林、宅地建物であれば倒壊寸前の空き家やゴミ捨て場となった宅地などなど、数々の社会問題をおそらくは数十年前から起こっています。それを放置した?行政の対応に問題の一端があるようにも思います。

 

所有権というものについて、登記義務を課すといった小手先の対応では解決するものではないと思っています。むろんそれだけでも一つ前進ですが、より本質的な議論をするときではないかと思うのです。

 

ちょっとこの問題を長く書きすぎたので、他の問題をどの程度言及できるか、少々心配になって来ました。とりあえず今日、この後取り上げるのは

2番目として、東芝の巨額損失の背景と、東芝改善の見極め

3番目として、<コンビニ弁当ドローン宅配!? 米セブンの試験好評>

4番目として、『ドラッグと分断社会アメリカ-神経科学者が語る「依存」の構造』の書評

5番目として、『安倍三代』の書評

6番目として、<姫路の私立こども園不正 運営ずさん隠蔽周到>

です。

 

東芝問題もこれまで何回か取り上げてきましたが、昨夜BS1の経済フロントラインで「巨額損失・東芝の誤算」として、ウェスチングハウスWHの原発事業についての誤算の背景を取材し、解説した報道がありましたので、ちょっと言及してみたいと思います。

 

東芝がWHを買収して子会社にしたのが2006年で、いわゆる原発ルネッサンスと言われ、わが国では地球温暖化対策の切り札として、国が全面的に支援し、事業の将来性が最も高かった時期ではなかったでしょうか。そしてアメリカもブッシュJrらしい?スリーマイル島原発事故以来事業停止状態だった原発事業を再スタートさせる施策にでてときでした。オバマ政権ではあり得ない選択でしたでしょう。

 

それよりも何よりも、当時WHは原発建設について、最新技術をうたい、短期間で安価に出来る、そしてエネルギー効率が格段に違う新型炉の事業化をPRして、全米のみならず世界市場を狙って意気揚々だったわけですが、そのWHを東芝はどのような合理的な裏付けがあったのか不明ですが、信頼し、他の競争業者が相手にしなかったのに、評価額の倍近い価格で買収したのですから、不思議というしかありません。

 

そして今回NHKが取材したの原発事業が行われている現場でしたが、工場労働者を含めだれも取材に応じる人がいませんでした。大幅な工事の遅れ、大量のレイオフという事態も、WH自身からの回答ではないようです。取材で得た情報では、WHの新企画の中核であったモジュール規格が、工場でほぼ製品化し、現場で組み立てるということでしたが、実際は製品化したものが基準に適合しないなど杜撰なもので、現場でやり直しをするという、それだけで手間と時間がかかる、大本の新規格によるコストダウンや工期短縮が破綻したというのです。

 

このこと自体、はたして福島第一原発事故による規制強化とどう関係するか、私は疑問を抱いています。それ自体あまり詰められていないように思うのです。WH自身、凍結していた30年間、原発建設の経験がありません。施工業者も当然、そうでしょう。それを一挙に新企画の事業化といった危険な綱渡りといってよい事業について、一体東芝はどのように的確に判断できたのでしょうか。東芝自身がこれまで建設してきた原発炉とは全く異なる炉型であり、かつ、建設方式もむろん経験のないものです。なんという大ばくちをうったものかと思うのは、まだ資料が公表されていない段階では、早計といえるかもしれませんが、信じがたい経営陣の判断です。

 

この点、経済フロントラインでコメントした崔 真淑氏は、買収そのものには言及せず、福島以後も事業拡大を継続した経営判断について疑問を投げかけ、トップの判断に異議を述べる社外取締役など、第三者的な意見を言える経営組織の必要性を指摘していたように思います。

 

東芝のように超大企業の舵を切るのは、実際、大変困難な判断だと思います。しかし、少なくとも福島以後は日本だけでなく世界中で原発事業の推進に大変革が迫られていたのですから、途上国的な規制制度をいまなおもつ中国などの市場で受け入れられたとしても、WHの事業遂行について、きちんとコントロールする必要があったと思いますが、WHは自社の独立性を固辞して東芝の介入を阻止したと言われています。そうであれば、より一層、コーポレートガバナンスの徹底を図るべきだったと思うのです。残念です。

 

さて、東芝は風前の灯火で、上場廃止になる瀬戸際にあると思いますが、日本取引所グループは企業審査体勢を強化して、東芝の審査に当たるとのこと。日本の屋台骨の一角を占めるとはいえ、安易な容認は避ける必要があり、公正な審査を期待したいと思います。

 

次の<コンビニ弁当ドローン宅配!? 米セブンの試験好評>は、やはり人気の的ですね。ドローンの利用価値は多様に考えられてよいと思います。とりわけへき地や災害時での利用など、現在試験的な試行過程だと思いますが、より行政的なサポートにより、可能な制度化を期待したいところです。宅配というのは、どちらでもよいと思いつつ、ネット販売も含め今後の配達システムのあり方を大きく変えるかもしれないと注視しています。

 

毎日・日曜の本棚は割合好きでよんでいます。今日は<内田麻理香・評 『ドラッグと分断社会アメリカ-神経科学者が語る「依存」の構造』=カール・ハート著>が面白いと感じました。

 

ドラッグの効用と有害性・依存性について、自ら体験してきた著者の神経科学的考察という視点は、新たな切り口かと思います。タバコと違法ドラッグとどこが違うのか、といった質問はまじめに考える人であれば、悩ましい問題と思うのです。国がどのような基準や政策で、違法・合法を決めるのか、その場合のサンクションは何が適切か、また治療のあり方など、その有害性と依存性をどう神経科学的に考察すると、本質が見極められるかというか、本質に近づくかといったことに関心を抱きます。いつか読んでみたい書籍です。

 

さて<中島岳志・評 『安倍三代』=青木理・著>は、安倍首相の国会答弁・対応などを見ていると、少し腑に落ちる家系図というか家系と安倍氏の成長の関係を示しているかなと思うのです。安倍首相は、昭恵夫人と同様に、どうも普通の人といった雰囲気を感じつつも、本質は戦前の体制を擁護するような政治家のリーダーを固執するようにも見えるのです。

 

森友学園問題などで、質問者などに対して、しきりに繰り返すレッテル貼りといった美しくない表現、激高して、関係しないと述べて、関係していたら総理の職ばかりか議員の職もなげうつといった極端な発言、不思議な方です。小泉政権のときたしか官房副長官として登場したときは、若々しく、理路整然としていて、下手な政治家よりずっとまともと思ったりしていたこともあります。むろんその意見に同調するわけではありませんが。

 

で、『安倍三代』では、いつも注目される母方の祖父、岸信介氏と異なり、父方の祖父、安倍寛(かん)氏について、安倍首相はほとんど語っていない(私はこの紹介で初めて知りました)点を指摘しています。

 

<寛は戦前・戦中に衆議院議員を務めた。彼は平和主義者で反戦を貫き、東条内閣の方針に真っ向から刃向った。庶民目線で「富の偏在」に憤り、権力の専横に全力で抗(あらが)う反骨者として地元から敬慕された。>これだと岸伸介氏とまるっきり反対ではないかと思ってしまいます。

 

寛氏の子、晋太郎氏は<バランスのとれたリベラル保守の政治家だった。極端を嫌い、独善を避けた。その政治姿勢は地元の在日コリアンにも受け入れられ、幅広い信頼と共感を獲得した。

 晋太郎がよく口にする言葉があった。「オレは岸信介の女婿じゃない。安倍寛の息子なんだ」。晋太郎は、戦争に反対した父を誇りにしていた。>そうですね、晋太郎氏のイメージはまさにそうです。そこがどうも子である安倍首相と大きく違うように思うのです。

 

この点、<政治家になる直前に生まれたのが次男・晋三だ。彼は凡庸で目立たない子どもだった。政治家になった晋太郎は忙しく、子供と触れ合う時間はほとんどなかった。代って晋三を溺愛したのが岸信介だった。

 著者は、晋三の関係者を訪ね歩く。同級生や母校の教員に取材をするが、ほとんどの人の印象に残っていない。どこを調べても若き日に自らの意志によって政治意識を育んだ様子は見られない。ましてや現在のような政治スタンスは見られない。>

 

つまりは母方の祖父の影響が大、しかも父はほとんど家にいないわけでしたので、安倍首相にとってはあまり好ましい父親と映ったかどうか、それと反対に日常的に接していた祖父信介氏であったとしたら、その影響は極めて大であったかもしれないと思ってしまいました。

 

最後までやってこれました。<兵庫・姫路の私立こども園不正運営ずさん隠蔽周到 30項目違反>これは酷すぎますね。私のブログで、森友学園の小学校設立認可に関連して、私が経験した保育園設置認可と借地契約の問題を少し取り上げたことがあります。松井知事は、こういった認可制度では、申請者が教育者で性善説で対応すると言い訳気味に話していました。しかし、そのような言い訳は果たして妥当するのでしょうか。

 

この姫路の市立こども園園長の事例はとりわけ酷く、まるで独裁者的で、しかも園児を保育する責任者の意識が皆無に近いと言ってよいかと思います。しかし、園長が教育者として熱心であったとしても、経営者としては素人です。会計士なりが作成した資金計画があったとしても、それは会計士としては過去の事業を会計基準に則って、適正な会計処理することは専門領域として信頼できますが、将来事業の計画については、専門的な知見があるとはいえないと思います。むろん同種事業を多数経験していて、需給予測もきちんとデータで収集し、資金確保の方法も合理的な裏付けがあるのであれば、その会計士の資金計画も妥当性があるといえるでしょうが、会計士が作成したものだから、信頼性が高いといったのでは、審議会の審理の意味がなくなります。これは森友学園の問題ですが、この市立こども園も同様の問題を抱えていると思うのです。

 

この園設立を認可するに当たり、収支計画を適切にチェックしていれば、このような独裁的かつ無謀な定員外の園児を入園させたり、保育士の無理な確保もありえないことだと思います。こども園の園舎建設や敷地確保の資金繰りが杜撰なものであったことが推測されます。行政の事前チェックの責任が大だと思うのです。むろん園の開設後のチェックもなってなかったわけですから、猛省を促されるべきでしょう。白鷺城のあの美しい白さに恥ずかしくないのか、姫路市は全面的な見直しを検討してもらいたいです。

 


大畑才蔵考その5 <本日開催の大畑才蔵顕彰フォーラムを振り返って>

2017-03-25 | 大畑才蔵

170325 大畑才蔵考その5 <本日開催の大畑才蔵顕彰フォーラムを振り返って>

 

先日、隣地境界との関係で、隣地の果樹園に隣接している斜面地が誰か別の方の所有地であるかのような話したことを取り上げたことがあります。

 

その後地番図、公図、登記事項証明書を改めて確認し、現地で自分なりに調べたところ,私の感覚が当地に来たときの状況から判断したもので誤りであったことが分かりました。公図を見ても、土地の形状も一致するところがなく、登記簿上の地積からも推測できる状況ではなかったのです。一部はまったく境界が分かりませんでした。それで地番図を参考にしながら、おおよそ当てはめていったのです。20箇所を超えていたので、なかなか簡単ではありませんでした。

 

そして当地にやってきとき笹藪が高さ1ないし2mで密集している状態、密林状態を2年あまりかけて少しずつ整序していくうち見通しがきくようになった後、残ったのが問題の土地でした。地番図ではそこはどうもわが家の土地ではないとみるほかなかったのです。

 

地番図は、市役所税務課で、地籍調査が行われていない地域では、公図が古い手書きの状態を反映しただけで、現状と適合していないため、航空写真を投影したような図面として出来上がっているので、現況の地形や植生を反映しているので、参考としては使えます。

 

しかし、公図をよく見ると、現況地形とはかなり異なるのですが、この間に竹林を大幅に伐採して、南北・東西方向の見通しがかなりよくなったので(棚からボタ餅?)、公図通りの境界を確認することができました(登記簿上の地積や公図の形状とは似て非なるものとの印象を持ちつつそれが正しいと判断)。そして、関係する境界線の筆が10筆近くあり、現況地形とは著しく異なりますが、やはり問題の斜面がわが家の土地の一角に入っていることがわかりました。丘陵地の少し複雑な尾根の両側とさらに別れた尾根筋という、少し複雑なため見分けが容易でなかったのです。

 

これをうれしいと考えるのは都会的発想で、斜面地で、実測で100㎡もないくらいでしょうか、平面にするとわずかです、それが所有地になることは負担が増えることに繋がるのです。前に紹介したターシャの庭みたいなのが作れる能力と意欲があればいいのですが、そう簡単にいきません。

 

いずれにしても今朝は半日、その草刈と野焼きをして少々へとへとになりました。

 

その後シャワーを浴びて、見出しの<大畑才蔵顕彰フォーラム>が開催された学文路公民館を訪れました。少々疲れ気味でしたが、すでにスタッフの人たちが大勢詰めかけていてその熱意に驚きました。フォーラムは1時半開始ですが、スタッフの集合は1130分。でもみなさんこの時間までにやってきているのです。うーん今日は期待できると即座に感じました。

 

開始時刻近くになると、会場はたしか100人分のイスを用意していましたが、追加しても足りないほど、小さな公民館の中は熱気が一杯でした。主催者側の一人として、一体何が困難に魅了したのだろうと半分不思議に思いました。といっても私の才蔵考を読んでもらった人なら、私がいかに彼に惚れ込んでいるか少しは分かっていただけると思うのですが、会場を訪れた方も郷土の偉人のことを知りたいという熱情があったのでしょうか。

 

フォーラムのメインは、瀬崎浩孝氏による「大畑才蔵、その業績と生涯」で、瀬崎氏は膨大な資料を紹介しながら、簡潔にユーモアを交えて大勢の笑い声が漏れる中、多少、吉宗像を俯瞰しつつ、流れるように概説されました。

 

才蔵の業績としては、普請という潅漑工事がメインです。資料では、藤崎井、小田井、六箇井、新井、それぞれの概要を示されましたが、とくに橋本市にある小田から岩出市の根来側まで延長32.5km、潅漑面積712.1haが偉大な成果といえるかと思います。

 

もう一つの業績として、村々見分を上げています。将軍綱吉が吉宗(当時頼方)と兄頼職にそれぞれ越前3万石を与えたことから、その領地の検分のために訪問し、田畑の評価をして石高を確認しているのです。そして紀州藩のもう一つの領地、勢州の検分も行っています。これは才蔵の仕事としても早い時期だと思いますが、このとき新井では先だってすでに潅漑事業が行われていて、そこの技術を才蔵は相当修得したのではないかと思うのです。

 

才蔵は、「積方見合帳」など多くの古文書を残した数少ない、百姓の一人で、とりわけ近畿圏の特徴である商業化が最も進んでいた農業の生業を、その百姓という立場で書き残した希有な一人ではないかと思っています。江戸時代は平和がやってきて、和紙も広まり、農書も盛んに書かれ始めた時代ですが、多くは武士ないし医師が書いたものではないかと思います。

 

さてそろそろ才蔵の農業土木技術の優秀さに触れておく必要があるかと思います。フォーラムを終えた後、私たちのスタッフ(みなさん技術系の職員)の手作り水盛台を使って、参加者が測量体験をしました。距離にして10mくらい離れた高低差を測るのですが、参加者の方が挑戦して、初めての人ばかりでしたが、測量誤差が少ない人を3人選びましたが、なんと3番目の人で0.7㎝でしたか、次が0.5㎝、そして誤差が一番少ない1等賞はなんと誤差0でした。

 

初めての方でもこれだけ正確に測量できるのですから、いかに測量技術の高い能力を持った器械として、「水盛台」が考案され、利用されたかを知り、改めて驚愕しました。おそらく18世紀初頭の時代、世界中で、これだけ精度のある測量機器はなかったのではないかと愚考します。ちょうどそういった感想を話していたとき、一緒に参加していた県職員の方の話しだと、正式な名前はちょっと聞き逃してしまったのですが、世界的な農業土木技術遺産のようなものに、この水盛台と他のものを登録申請をしているとか話していました。

 

私は、水盛台自体が素晴らしいと思うと同時に、おそらく測量できる距離はせいぜい10間(20m程度)ではないかと思います。それを根気強く継続していく作業は並大抵ではないと思うのです。まず、今日の実験でも水盛台を水平にする作業も微妙な誤差がないよう慎重を要しますし、さらに水盛台を通して眼で高さを測り印をつける作業も大変です。

 

そしてさらに言えば、掘削する場所によっては、より大変な土木技術を要します。県の職員の方もお話ししていましたが、土質が軟弱な場合もあれば、岩盤のような場所もあり、その状態で、勾配を設計通り維持するために、水漏れのない土質(粘土質でしょうか)などに入れ替えたり、その作業は並大抵ではないでしょう。

 

より問題と思うのは、橋本市小田井の地元から笠田町あたりまで、わずかの例外を除き、受益地はありません。普通、潅漑用水路を作る場合に、その用地取得をすることがまず大変です。まったく受益のない用水路に土地を差し出せと言われてはいそうですかという農家はいません。江戸時代においても、百姓の意思を無視して強奪するようなことは領主といえども出来ません。それは江戸時代の裁判記録などからも分かることで、封建時代を色目で見るような理解は最近の歴史学の発見などからいって通らないと思います。

 

それはともかく、そこにもう一つの才蔵の能力が発揮されていたのではないかと思うのです。才蔵は、当時巷に人気であった和算を自然にか意図して学び、農業土木に見事に応用したのだと思うのです。ロジステックの重要性は、戦国時代の秀吉が、あるいは石田三成が見事に証明しているとおり、相当な軍事技術としても蓄積されていたのではないかと愚考します。そのような知見を才蔵は農業土木に開花させ、潅漑用水路の遠大な距離を、工区設定し、それに必要な人工を明らかにし、短期間で農閑期の百姓等を使って完成させたのではないかと思うのです。

 

そして職員の方がヒントで話したように、受益のない橋本市の百姓には、その人工代として稼ぎ賃をもたらすことで、事業の遂行を可能にした一因があるかもしれません。

 

うっかり忘れるところでしたが、小田井の施設管理をされている方の話しでは、小田井の堰から小田を走っている潅漑用水路は、現在、ボックスカルバートという2.1m幅で四角く囲んだコンクリートの中を走っていて、地上からは用水の流れは見えません。それまで洪水で浸水があったりということで、こういう措置になったそうです。昔の面影が見えないのは残念です。

 

しかし、ちょっと先を行くと、用水路は地上に現れます。ところがそこに最近は問題が起こっているようです。いろいろなゴミを用水路(排水路ではありません)に投げ込む人がいて、その清掃・管理のために施設職員が日夜働いているそうです。これは恥ずかしいことです。不法投棄するのは、地域の人だけとはいえないと思いますが、まず地域の人が率先して、用水路をきれいにすることが大事ではないかと思うのです。

 

また、生活排水が相当入り込んでいて、そのため富栄養化で藻が繁殖するため、水の流れを止めて、藻を切り取るそうです。これこそ「柳川掘り割り物語」の昔の姿です。いま柳川はきれいな姿で蘇り、掘り割りを観光船が楽しそうな旅人を乗せて風流を楽しませてくれています。イギリスのテムズ川上流のようにボートが行き交う美しい情景は見ることは困難としても、なんとかならないものかと思う次第です。

 

さらにいえば、笠田駅周辺では用水路は、サイホン式で川を横切るようにしていますが、そのサイホン式の入り口付近にいろいろなゴミが溜まるそうです。それはそうでしょう。サイホン式は流れる水量をある種堰止め、幅を細めて横切る川の下に流すわけで、大きなゴミは流れ込めなくなるわけです。結局、これもゴミが問題です。

 

私は、才蔵を顕彰する会の一人ですが、会の立場としても、才蔵を顕彰するためにも、小田井用水路の美しい状態を再生する必要があるかと思っています。


歩くことと人生行路 <正しく歩いて痛み知らず>を読んで

2017-03-24 | 健康に生きるとは

170324 歩くことと人生行路 <正しく歩いて痛み知らず>を読んで

 

今日もどんよりした曇り空。でも仕事が忙しくて、風景を楽しむ余裕がないのが残念です。

仕事が終わったら、もう帰る時間。これからブログを考えるのはちょっと厳しい思いです。

 

それで今日も安直に、見出しの記事を取り上げて、手っ取り早く仕上げようかと思っています。

 

歩き方によっていろいろなところに痛みが生じるとか、歩いていないとぼけやすいとか、いろいろ言われていますので、私も経験的に感じてきました。

 

この記事では、歩く場合の足の踏み入れ方に重点が置かれた解説ですが、それはそれで面白い視点だと思うのです。私の場合靴底の減り方がかかとの外側が少し減る程度ということで、ここでいう「理想型」です。そして今はいている靴はなんと10数年使っています。といってもとくに当地に来てからはこの靴で長く歩くことはありませんので、いわゆる万歩計で測るまでもなく、たいした距離を歩いたわけではないことがわかります。その靴底が理想型というのはうれしい限りです。でもほんとかなと思うのは偏屈でしょうかね。

 

というのはたしかに靴底の減り方はそのとおりですが、体調不調の中で、足に極めて重症状態になることもありました。ほとんど歩けない状態ということもありました。それは歩き方が原因ではないのかもしれませんが、歩き方がよければ痛みがなくなるとは限らない一つの例です。

 

足の裏がぱんぱんに近い状態で腫れたこともあります。あるいは脹ら脛はちょっちゅうおかしくなり、歩くのが大変なこともあります。それが歩き方に問題があるのかどうかはわかりませんが、どこかおかしいところがあるのでしょう。

 

ただ、この解説をされている医師の言わんとすることは理解できます。正しい歩き方をすることにより、重心の移動が足の機能にマッチすることになり、一部の部位に変に荷重がかかり、そのために足や脚の変形に繋がることがすくなくなるだろうなとは思います。

 

とはいえ、歩き方として、よく話題にされる美しい歩き方の代表?のモデルなどの歩き方が理想的かというと、この医師の見解を待つまでもなく、そうではないように思うのです。私自身、美しいとも思いません。テレビで偶然少し見る程度ですから、よく分かっているわけではありませんが、とてもきれいな、魅力的な歩き方という風には私の場合感じません。

 

さてそろそろ歩き方の形の話しはこの程度にして、私がこのテーマを取り上げた理由を述べたいと思います。歩くと言うことは、人間の進化にとっても、また成長にとっても、極めて重要なことだと思います。

 

赤ん坊が立っただけでだれもが喝采します。まして歩いたりしたら、それこそ両親はじめ家族は有頂天になるでしょう。しかし、それは赤ん坊本人にとっても、頭脳の働きが急速に活発になる契機になるのだと思うのです。

 

そして歩くことにより、人はより創造的であったり、いわゆる発見的なものを見いだすことに繋がりやすいのではないかと愚考しています。むろん病気で寝たきりになってしまった人の中にも素晴らしい才能を開花させることができた方も大勢います。しかし、普通の人にとって、歩くことこそ、頭脳を明晰にする重要な要素ではないかと思うのです。

 

維新前は、誰もが歩いていました。龍馬や海舟が歩いた距離はいまでは想像出来ないほどの距離だと思います。彼らは歩きながら世の中をどうしようかと考えたに違いないと思っています。そして歩くことによりひょいといいアイデアが突然出てくることも少なくなかったように思うのです。

 

ところで、高齢になり、次第に歩くことが少なくなり、いや歩けなくなったとき、認知症の症状も早まるのではないかと思っています。卑近な例でいえば、母親はとっくに90歳を過ぎて、いまは歩くことが出来なくなり、認知症の症状も次第に悪化しつつあります。ただ、彼女はなんとか歩こうと努力します。私が手をとってあげると、歩くのです。必死に自分の足で歩こうとするのです。それは赤ん坊がそうであるのと似たような状況かもしれません。

 

歩き方はともかく、その歩こうとする情熱は、彼女の認知症の症状をさほど悪化させていないように思うのは誤解かもしれませんが、そう信じています。その歩くことに対する熱意は、普通の食べ物を自分で箸を使って食べることへのこだわりにも繋がっているように思うのです。私のことはなかなか思い出してもらえませんが、それでも会話は普通にできます。

 

それはまさに歩くこと、歩くことのへの熱意があるからではないかとおもっています。そのように断片的な経験ではありますが、歩くことは人間にとってとても大切なことだと改めて感じています。

 

そして正しい歩き方をすることは、ほんとは姿勢も正しくなり、その心自体も正しいものになると信じたいところです。しかし、森友学園の理事長が国会で証人として証人席に行ったり、戻ったりする姿勢、歩き方は、なかなか堂々としていることが外観上はそういえるように思うのです。しかし、その証言の内容、いや彼が報道陣に対してとった態度、その前に幼稚園における退園児童に対する言動などを見聞する限りは、歩き方や姿勢だけでは、その心の中は清浄となることは簡単でないことを示しているようにも思えるのです。

 

彼の言動は、私のように紛争事案を手がけてきた人間にとっては、多様な表現の有様をみていると、紛争事案によく出てくる人の類型の一つかなと思うのは少し一面的な見方かもしれませんが、そう感じてしまう内容です。

 

それはともかく、本来、人は正しい歩き方、姿勢をとっていれば、人生における個々の選択においても大きく道を誤ったり、関係する人を傷つけるといったことは、通常あまり起こらないように思うのです。

 

ただ、作られた形、強制的にか、意図的に作った形の場合、それは砂上の楼閣に過ぎないのですから、当然、実態のある正しい方向性を示すことにはならないように思うのです。

 

私も、そうはいいながら、森友学園事件など、最近起こっているさまざまな事象、人の有様を見て、他山の石として、我が身に問題がないか、鏡に向かって問いかける必要を感じています。そして鏡に向かわなくても、正しい歩き方を日々心がけていれば、自然に、正道を外れることもなくなるように思うのです。

 

見出しの記事から大きく外れた独り言でしたが、正しい歩き方を心がけることは、呼吸法とともにしっかり身につけ、日々精進を繰り返せば、死そのものも気持ちよく受け止めることができるのはではないかと期待して、今日はおしまいとします。


妄想による殺傷(医療と法の狭間) <淡路島5人刺殺 死刑判決 裁判員、判断負担重く・・>を読んで

2017-03-23 | 医療・介護・後見

170323 妄想による殺傷(医療と法の狭間) <淡路島5人刺殺死刑判決 裁判員、判断負担重く・・>を読んで

 

今日も柔らかそうな雲が大きく空を覆っていました。今にも降り出しそうという感じがない分、のんびりとした気分になれるのでしょうか。

 

さて今日は午前中から仕事が細々とあってなかなか終わらず、そして相談案件も少し時間がかかり、いつの間にか夕方です。今日のテーマに考えようかと思っていた材料開発におけるAI、「マテリアルズ・インフォマティクス」(MI)はいまから検討するとうまく整理できそうもなかったので、見出しの重たいテーマ、これもしんどい話題ですが、身近で事件が話題となっていることもあり、簡単に(問題は深刻ですが)触れてみたいと思います。

 

淡路島での5人刺殺事件では神戸地裁が死刑判決を言い渡しました。そして和歌山地裁では今、紀の川市での小五の児童刺殺事件の審理では先日懲役25年の論告求刑がなされました。そして相模原知的障害施設での障害者19人の刺殺事件の衝撃は甚大でした。

 

いずれの事件でも犯人は妄想を抱いていました。これまでも同種の事件はありましたし、今後も起こりうることを否定できる人はいないでしょう。

 

淡路島5人刺殺事件では、<精神障害を巡る責任能力について裁判員は困難な判断を迫られ、遺族は「ただただむなしい」とやるせない思いをコメントで寄せた。>と記事冒頭で指摘があります。

 

責任能力の有無・程度について、裁判員が判断することはとても大変なことでしょう。むごい刺殺の写真などを見るだけでもぞっとするのが普通です。その加害者の言動を冷静に観察して、責任能力を判断するというのは一般の方である裁判員にとっていかに過酷な精神状態になるか、相当程度理解できます。

 

そもそも裁判官にとっても、専門医にとっても、その判断は簡単ではないでしょう。

 

判決では、<長井裁判長は「『被害者は工作員で、自分への攻撃に対する報復』との動機は、妄想を前提とするものだ」としたうえで、「被告の犯行前後の行動は合理的で一貫していた」と指摘。被害者の就寝時間を狙ったことや、逮捕時に「弁護士が来るまで答えない」と話したことなどを列挙し、「計画性があり、殺害を決意し実行した行動に病気は大きな影響を与えていない」と断じた。>とされています。

 

被告人の妄想を認めつつも、その犯行前後の行為態様を見て、合理的一貫していたということで、責任能力を認めています。妄想性といっても多様ですから、計画性があることや犯行前後の言動から、責任能力を認めるとの判断も一定の合理性があるといえるでしょう。

 

しかし、それほど簡単とは思えません。計画性のあることが責任能力を認める根拠として本当に有効か、精神医療や犯罪心理学など多様なの知見として確立しているのか、なお検討を要するのではないかと思っています。

 

たしかに結果はあまりにむごく、非人道的という言葉だけでは物足りないでしょう。到底許せない行為と言わなければなりません。ただ、それが妄想によって生じた加害意思であった場合、より慎重な責任能力についての判断が求められるのではないかと思うのです。

 

私はこの事件の被告人の言動や責任能力について、事実関係を知っているわけではないので、安易な発言は慎むべきだと思っています。ただ、<神戸学院大の内田博文教授(刑事法)は「精神障害者は『人格が危険』と判断されがちで、量刑が重くなる例が多い」と分析。今回の判決でも犯行動機は妄想が前提にあったと認めつつ、「結果の重大性」が重視された。内田教授は「こうした運用が続くと、『精神障害があるがゆえに減軽される』という従来の責任能力規定の廃止という議論にもつながりかねない」と懸念している。>との指摘は、詳細な分析の上での議論かはっきりしませんが、そのような懸念を抱かせる判決だったのではないかと愚考しています。

 

また<岩波教授は司法と医療の連携の不十分さも指摘する。心神喪失者医療観察法は重大な他害行為をした精神障害者への医療提供と社会復帰を促す制度だが、「司法と医療の縦割りは変わっていない」と嘆く。平野被告への治療は事件の約8カ月前に途絶え、県と県警との情報共有に不備があったと指摘されている。岩波教授は「精神医療の人員は全く不足している。司法ともしっかり連携しないと、同種事案は何回も起こる」と訴えている。>との指摘は、平成15年に新設された心神喪失者医療観察法の医療観察が有効に機能していない問題を取り上げており、この問題は多少とも相模原障害者施設19人刺殺事件とも関連する内容だと思います。

 

専門医の判断においても妄想性と他害性との関連性がそれほど簡単に判断できないことを裏付けているように思うのです。それが裁判員や遺族の方にとって、より厳しい現実として対応しないといけないことになっているのではないかと感じます。

 

といって私は裁判員制度において、この責任能力問題のある事件を対象から外すべきとの考えにたつのではありません。むしろ専門家と言われる、専門医、そして裁判官にとっても簡単でない問題を彼らだけに任すのではなく、社会の一員として一緒に考えてもらいたい、判断してもらいたいと思っています。そして社会全体で考えていく契機なることを期待しているのです。

 

相模原障害者施設事件では、加害者は精神保健福祉法に基づいて緊急措置入院した後、退院後に事件を犯しています。精神保健福祉法では、心神喪失者医療観察法と異なり、重大な犯罪を行い、心神喪失等で責任能力がないなどと司法判断がなされた者は対象でなく、自傷他害の疑いがある人が対象ですので、専門医の判断だけで医療措置が行われ、その措置の解除も行われます。

 

そのような重大な判断を専門医とはいえ、医師一人の判断に委ねたり、社会的な連携システムを構築しないで対応することの問題が指摘されています。

 

紀の川市の小5刺殺事件では、やはり被害妄想が起因となって犯行を行っていますが、かなり以前から被害妄想があったとのことで、犯行までになんらかの対応ができなかったのか、社会システムの問題をも感じます。

 

いずれの制度もこのような妄想による重大な死傷事件に対して、有効に対応できる状況にはないということを私たちがまず意識し、理解することが大事ではないかと思うのです。

 

このことから妄想患者に対して、予防的措置として不当な拘束や強制的な治療を行うような制度設計は、妄想の多様な症状からみて妥当とは思われません。私たちは現状、現在の具体的な実態を把握することが肝要であり、その対応を検討することが求められていると思うのです。

 

なお、参考までに心神喪失者医療観察法の概要をウェブ情報をアクセスしていただければと思います。この検討はいずれまたとします。


命と人と農 <健一自然農園 生やし放題で大和茶「長寿」>を読んで

2017-03-22 | 農林業のあり方

170322 命と人と農 <健一自然農園 生やし放題で大和茶「長寿」>を読んで

 

今朝は少し薄曇りでしょうか。それでも薄明が窓の外に感じられると、自然に眼が冷めてしまいます。人間の懐中時計が自然な生の循環を促しているのかもしれません。

 

昨夜は辛い決定をして、そのせいかほとんど眠れない夜を過ごしたのですが、眼は閉じたままだったせいか、自然に目が開いたようです。

 

人は進化とともに煩悩の世界と直面して常にその生き方に悩むのかもしれません。以前書いた扁桃体の発達と過度で継続的な反応がうつ状態を招いているというのも人間の性かもしれません。同時に、進化を拒否して自らの安定や民族の平穏を選んできたアフリカのハッザ民族のように、時間の拘束もなく、日々の営みに幸せを感じ、仲間との分かち合い、平等の実践こそを大切にする生き方も学ぶところがあるように思うのです。

 

さて見出しのテーマでは、命というあらゆる生命体、それには無機質も観念的には考えてよいと思いますが、その命と人、それをどのような絆というか触れあいを共同体として形成できるか、いま新たな段階にあるのかもしれません。

 

見出しの青年の葉っぱビジネスではなく、自然茶事業を取り上げる前に、先日NHKが放映していたBS1スペシャル「“異人”がやってきた町~りんごの里・幸せの行方~」を少し紹介したいと思います。

 

都会の大学を出たばかりの青年がたしか200円の手持ち金でふらっと東北の小さなにやってきました。彼は生活の糧を得る手段を知らないというか、そこに意欲がないようです。集落は20戸あまりの小さな、過疎地に見られるいわば70代を優に超える人々ばかり。そこにずけずけと入っていき、出された食事を食べる。何をするでもない。ただ老人夫婦の話を聞き、出された食事をおいしいとうれしそうに食べるだけのようにもみえるのです。農業の経験もなければその意欲や熱心さも欠けている印象。なんとま、いい加減な生き方でしょうか。

 

でも村人は彼の怠け者的生き方に少し小言を言うものの、まんざらでもない様子で、彼の相手をする。彼もあまり役に立たないものの農業の手伝いもどきをする。それが5年も続いているというのです。彼はなにか仕事といった明確な物ではないものの、作業らしい物を自分なりにやっています。農家の高齢者たちもどうしようもないと言いつつ、彼を受け入れています。

 

最近、彼はネットで民泊を募集し、外国人数人が訪れ、案内しました。そこで外国人が農家の手料理を食しながら、農家の人たちと交流を始めたのです。彼自身が異人ともいうべき人物ですが、外国人との交流も農家の人たちにとっては初めての経験で楽しい一時を過ごしました。

 

ついちらっと途中からちらっと見た放送でしたが、なにか心温まる彼と集落の人々とのやりとりでした。

 

これを見ながら、またイザベラ・バードの東北紀行を思い出しました。過疎地に暮らす人々は維新10年後でも維新世界とは断絶して飢餓と困窮の中にあったのですが、異国人バードを迎える人々の彼らが精一杯行う心温まるもてなしは、バードをして、英国貴婦人としての気品を失うことなく、日本人の礼節さ、もてなしに深い感銘を記録させています。

 

長々と前置きを述べましたが、人の営みのあり方の一端をここに感じるからです。もう一つ、本題に入る前に、残業時間規制を扱った<水説以下でも未満でもなく=中村秀明>について少し触れておきたいと思います。そこでは<残業の上限規制づくりの終盤でもめた繁忙期の100時間「以下」と「未満」の差は何なのか。労働担当の論説委員に聞くと「1秒の違いですね」と苦笑した。>と100時間の攻防について取り上げられています。

 

新日鉄を含む大企業労働者の問題と中企業労働者の問題を比較しつつ、あくまで労働者の多くを占める立場からの議論が強調されているように思えます。そこには大企業か中小企業家を問わず、強いられた労働、大事な生き方の一部を制約された労働という形で、労働時間問題が取り上げられているように思うのです。

 

パワハラ・セクハラ・過労による物心両面の疲労困憊など、扁桃体が機能しなくなり、うつ状態になるリスクが高まっていることへの配慮は、容易に認めることが出来ません。むろんそこで取り上げられている<ヤフーの宮坂学社長>の<長時間労働が常識のIT業界に一石を投じ、週休3日制も可能な新しい人事制度を進める。日本記者クラブで先日、記者会見し、「働く者の3割が疲れている。労働者の心身状態の改善も企業の役割です」などと話し、100時間問題に見解を述べた。>という考えも次第に増えてきていることは確かでしょう。

 

しかし、振り返って、現代の企業による「働き方改革」という呼び声だけに頼るのでは、これからの生き方を改善するのは見通しが暗くないでしょうか。いま求められているのは、働く人、それぞれの意識改革ではないでしょうか。

 

先に取り上げた、怠け者のような異人である若者も立派に自ら選択して自分にあった生き方を選択しているように思えるのです。過疎の集落はこうだ、電気・水道・トイレなど充実していないから、いやさまざまなエンターテインメント施設がないからとか、いろいろ必要と思えばそれらが欠けているかもしれませんが、はたしてそれぞれの生き方において必須のものがなにか、その程度は、それぞれの考え方次第ではないかと思うのです。

 

そのような自分なりの生き方は、その人のまさに選ぶ人生です。その一つの例として、<健一自然農園(奈良県大和郡山市) 生やし放題で大和茶「長寿」>は参考になるように思うのです。まだ35歳の健一氏は、<中学時代に学校教育に矛盾を感じ、「環境問題にコミットしたい」と15歳で畑を借り、17歳から自然農の塾に通った。実に早熟だ。>というのです。15歳からすでに20年の自然農法の実践者です。

 

彼の言葉は、自然の命を讃え、その生命力で活かされている自然生命体とともに、自らも生かされ、その成果物を人にも分け与えようとするものではないでしょうか。その言葉をそのまま引用しましょう。

 

<「お茶の木は枯れないんです。自然に生やしとけば長寿。なんで農薬が要るかわからない。子どもと一緒っすよ。勉強せえとばかり言ってお坊ちゃまにしてしまうんじゃなく、自然に生きる力を大事に」

 「元を汚さない方が手間がかからない。環境、作り手、食べ手の三方よしになる」

 「農薬をやると、そこだけ肥えた状態になるので虫がわく。うちの畑はクモやバッタやカマキリはいるけど、嫌な虫はいない」>

 

以上は、私が学んだ川口由一さんの自然農法とほぼ同じです。川口さんは、同じ奈良県の纏向を拠点にして、三重県名張市赤目で全国から外国人も含め多くの参加者を得て、耕作放棄地における自然農法を実践されています。

 

その骨子は

<●耕さない

大地を耕すことは不自然なこと

たくさんの生命が生きる舞台を壊すのはやめよう>

 

<●肥料・農薬を用いない

だれも肥料や水をやらないのに

山の木の実はなぜ毎年実を付けるの?>

 

<●草や虫を敵としない

草を「雑草」と分類するのは人間の都合

生態系のバランスが取れていれば「虫害」もない>

 

というものです。彼の言葉は宗教的色彩を帯びているように感じることもありますが、常に飄々として、穏やかで、自然体、そして土の中の生命体を、土から育つ生命体を、さらにこれらの生命体とともに生きるさまざまな生命体との共生を基本としています。

 

そして基本的なエネルギー使用は、自然です。ま、いえば人力です。老若男女、いろいろな人が来ますので、多少、機械を使うことは大目に見ているようですが、彼は基本的に手作業です。エネルギーの大量消費で、原発がベースロード資源として不可欠との前提は、わが国の多くの国民が現在の消費方法を継続する限り、打ち破るのは容易でないでしょう。

 

加重労働を続ける社会構造も、簡単には変わりそうもありません。でも健一氏のように、農業のあり方を、働き方のあり方を変える人も、そういう節目の時だからこそ、オルタナティブとして出現するのではないかと思うのです。

 

このような新たな働き方、事業のあり方、それを支援する制度論といったことも検討する必要があるかと思います。

 

<農業ファンド参入促進へ 「特産」耕す地域金融 成長支え、収益拡大狙う>という記事では、これまでJA銀行が独占的に行ってきた、農業法人への融資などに、新たな事業への選択の幅を広げるものとして注目してもよいかもしれません。JAが生産者側の視点で主に事業支援を行ってきた中、地域の中小企業相手に融資実績のある信用金庫や地銀など地域金融が農業分野に入っていくこと自体は、消費者目線など異なるアプローチや事業継続性といった面で有効な側面があると思います。

 

ただ、それだけだと、JAバンクもこれまでさまざまな努力を重ねてきているので、本当に新規参入の手助けになるかはまだわかりません。というか、農業価値をどう新たに設定できるか、それが消費者意識の改革や、新たな市場開拓など、大胆な新規事業化が図られないと、絵に描いた餅になるかもしれません。できれば、というか、自然農法といったこれからの自然との調和と人間力の復活を目指すような事業に新たな支援の触手を上すだけの胆力を期待したいと思うのです。