たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

医療とAI <AIが病理診断 専門医不足カバー>を読んで

2017-03-21 | 医療・介護・後見

170321 医療とAI <AIが病理診断 専門医不足カバー>を読んで

 

今日は久しぶりに朝から雨。といっても小雨というか、小糠雨というか、いや雨など降っていないというか、いろいろかもしれません。異国の中では、この程度の湿りを雨と表現しないか、あるいはそう感じない感覚もあるように思うのです。でも日本人は、雨に対して敏感で多様な表現を、絵画や和歌、詩などさまざまな分野で示してきたように思います。

 

それはともかく今日も午前、午後と相談があり、いろいろ調査に出かけたりで、いつの間にか夕方が近づいてきました。本日のブログテーマを何にしようか考えないと、と思いつつ、安直に見出しの一面記事を取り上げることにしました。

 

実は毎日大阪版では「認知症で困らない社会に」というタイトルで、日本医科大学特任教授の北村伸氏のエッセイが掲載されていて、私が先日取り上げた疑問とほぼ似たような内容を指摘されていましたので、これを再度取り上げようかと思ったのですが、ウェブ情報では見つからなかったので、別の機会にすることにしました。

 

ただ、一言付け加えれば、バリアフリー化を推進する声が高まっているのはいいのですが、身体障害者用のスロープなど、それ自体はいいことですが、見えるバリアについて少し偏重していないか気になっています。認知症対策など、見えにくい分野はどうも見捨てられていないか、あるいは意識改革が進んでいないのではと思ったりしています。

 

その点、以前も取り上げたように、北村氏が指摘しているように、認知症には多様な症状があります。他方で、交通事故との因果関係が明確でないですし、疫学的調査もされているとはいえないと思われる段階で、今回の改正道路交通法は、バリアフリー化の流れに逆行するおそれも感じています。この点は、これからもよく議論を尽くしてもらいたいと思っています。

 

さて、見出しのAIの医療分野での進化に入る前に、今日から始まる囲碁世界大会こそ、AI棋士と日中韓のトップ棋士との戦いで、その力量が遺憾なく発揮されることを期待したいと同時に、井山棋聖のそれを上回る力を見たいものです。

 

さて毎日一面は、がん大国シリーズの一つとして、病理医の不足をとりあげ、AIがこの分野で進展することを期待する内容です。病理医というと、普段私たちのような患者側の人間にとってあまりお目にかかることがなく、仕事も人と直接対面することも少ない、結構、きつい作業を強いられつつも、その検査結果で病気の有無、がん等の進行段階を決定するわけで、最後の決め手を提供する重要な仕事だと思うのです。

 

ところが、先に述べた仕事の内容のせいもあるのでしょうか、人気がなく、不足気味と言うことのようです。それでは折角、主治医が生検したりして細胞採取しても、直ちに結果が判明できず、診断が遅れることにもなりかねないことは記事にあるように予想できます。

 

大量の画像の認識、識別判断は、AIがもつディープランニングで得意の分野というのも理解できますし、ましてやその診断の基礎となる大量に発行される雑誌や文献を即座に読み取り整理・解析し、事例に当てはめる作業も可能になるというのも、なんとなくわかります。

 

そうなるとほとんどはAIが代替して病理診断結果を作成してしまうと思いそうですが、当分は(あるいはずっと?)病理医の診断の補助として役立つということのようです。ま、膨大な画像データや文献データから、おおよその病態を識別するといったことになるのでしょうか。最終的には病理医が自己の判断で決定するということでしょうか。

 

まだこのあたりの状況はよく分かりませんが、いずれにしても、AIは病理医を含めさまざまな医師の診断の補助としてはますます必須のものになるように思われるのです。

 

そこで人間としての医師の役割は、今後どうなるのかという点を少し考えてみたいと思います。素人の考えですから、当たるも八卦当たらぬ藻八卦でしょう。

 

以前、医療事件を取り扱ったとき、本来なら病理に回して最終診断をすべきなのを怠ったか否かが争点の一つになったケースがあります。私自身、人間の細胞が60兆でしたか、その器官・部位でも膨大な細胞の数で、その一部を採取して病理検査しても、当該器官全体の病態を見極めることは病理では困難であると思っています。生検すること自体が身体への侵食ですから慎重にすべきであるとともに、その前提の検査は適宜適切に行う必要があったのに、それが行われていたかが争われ、その過失が問われた事案でした。

 

病理に行く前に、適切な検査・診断が行われていないと、病理医を増やしても、直ちに問題解決とはなりません。そして病理医に回ってくる対象はほんの一部です。それを画像診断が迅速に出来るようになったからと言っても、まだまだ適切な診断がそれだけで有効に出来ることにはならないと思うのです。

 

また、別の事案で、生検自体が問題になったことがあります。生検の結果、その部位に多大な後遺症が残ったというものです。生検はマニュアル通りやれば、手技では問題になることは少ないと思いますが、患者は個々特性があり、微妙に違います。そのときの体調や精神状態もあったかもしれません。重大な後遺症が発生するような危険は、おそらくAIの知見がかなり進化したとしても、容易に予測することも困難と思われますし、生検や手術を行うまでに到るのは、当分先の話かもしれません。まったくありえない世界ではなくなると私は思っていますが。そのとき誰が責任を負うかといった問題より、AIの将来の可能性をどこまで認めるか、これも慎重に検討しておく必要があると思うのです。

 

国家試験合格を目指すという記事については、それはそれほど遠い将来ではない時期に達成する目標ではないかと思うのです。他方で、では医師はどうなるのかについて、<「AIの開発が進んでも、医師が不要になることはない。医師は患者の体の状態や職業など一人一人の情報も加え、総合的に診察する。AIは医師と同じレベルを目指すのではなく、画像の判読の手助けなど、医療者の負担軽減の役割を担っていくことになるだろう」>

 

そうですね、医師は人としての能力をより求められるのではないかと思うのです。それは患者個人について、体全体を診るというだけでなく、その家族関係や背景事情も斟酌する、問診するといった、ある意味「赤ひげ」ごとき能力が求められるかもしれません。むろん、AIを十分に補助手段として使いこなせることも求められるでしょう。

 

とはいえ、AIに頼らない、まさに「赤ひげ」そのもののような医師の存在も今後基調になるのではないかと思うのです。そういえば少し前のNHKサキどりで、瀬戸内海の孤島で活躍するパイロットドクターが紹介されていました。

 

彼は以前は飛行機の曲芸までやっていた経験があり、今は外国製の船に乗って荒波ですいすいと島周りをしたり、あるいは水上飛行機を使って島巡りをして、巡回診療を行っています。そのパイロットとしてのテクニックはとても魅了させるものです。それ以上に島に入って、各家を回っていき、80代や90代の高齢者の患者を診る様子は、それ以上に魅了されてしまいました。なんとも自然な会話でやりとりし、江戸時代までの診療風景はこんなものであったかもと想像したくなるほどです。まさに現代版赤ひげ先生です。

 

AIはこれからも進化し続けるでしょう。でも日本の過疎地で、AIの利用が可能になったとしても、この赤ひげ先生のような気持ちがなければ、過疎地の診療は成り立たないでしょう。そういう医師がこれからも増えていくことを期待したいです。


春分の日の記事 <豊洲 100倍ベンゼン「安全」>などを読んで

2017-03-20 | 土壌汚染

170320 春分の日の記事 <豊洲 100倍ベンゼン「安全」>などを読んで

 

今日は春分の日、うららかな春日和で、お墓参りや、神社参拝、いろいろでかける人を見かけます。他方で、農家は連休中も、今日も、果樹園に農薬散布したり、田んぼで耕耘機を動かしたりと、いい天候を利用して作業に余念がありません。

 

私も三日連続の竹林整備で、少しだけ片付いた感を抱き自分で満足しています。

 

さて毎日記事(大阪版)は、春分の日といっても、一面では「選抜開幕」を祝うくらいです。トップは<豊洲 100倍ベンゼン「安全」>と専門家会議が発表した「安全」という評価をわざわざ見出しに入れています。ウェブサイトでは東京版で、<移転問題 「ベンゼン100倍」報告 小池氏判断焦点に 地下水再調査>と、地下水再調査結果と専門家会議の結論を踏まえて、小池知事の判断を注目する取り上げ方になっています。

 

そして連休というのに、東京都議会では百条委員会を開いて連日、石原元知事や浜渦元副知事への質問を行っています。とても春分をのんきに過ごすどころではないですね。それは当然でしょう。築地市場関係者の皆さん、その関係者の皆さん、そして消費者であり都民の皆さんにとって、この騒動は一体どういうことか、どうなるのか、気を病む問題ばかりでしょう。

 

専門家会議による、地下水の再調査結果とその評価の発表は、豊洲移転賛成側、反対側のいずれにとっても腑に落ちない内容ではなかったかと思うのです。地下水の水質が環境基準を大幅に超えていても、大気には影響がない、むろん、地上の建物内や食品には影響がない、といった評価は、科学的には妥当するのかもしれません。しかし、そうであれば、なぜ地下水のモニタリングをわざわざ行ってきたのか、どのような有害物質であっても問題ないのか、地下水が東日本大震災のときに起こった液状化により、地上に吹き出すおそれはないのか、などさまざまな懸念はどのように説明できているのか、まだ資料がないので検討できていませんが、気になります。

 

地下水調査でなされていた「パージ」(purge)という表現、地下水採取の際の基本的な作業と言うことですが、レッドパージを思い出させてしまうのは、少し飛躍がありすぎでしょうか。間隔をおいて採取するため、採取時に不純物を排除するという科学的根拠はわからなくもないのですが、それで本当に地下水の変動をしっかり把握できるのか、気になるところです。ある施設から排出される気体の成分を採取・分析することは、簡単ではないといわれています。施設内に入ってくるさまざまな化学物質が加工なり処理され、多様な物質が生成され、二次的にも生成され、それが一日の中でも変動が相当あります。

 

私がお聞きした、大気や水質の調査分析を行ってきた専門家たちの話しでは、連続的な採取を含め観察が必要とも言われています。採取後の分析においてもガスクロマトグラフなどで検出できる範囲は物質が特定されていることを前提にしていて、検出結果から、その物質が存在するとか、定量分析でその量を解析できるものの、大気や水質全体を把握できるわけではないとも言われています。

 

そのような一般論は脇に置いてもいいかもしれません。絶対の安全性といったものを求めることは現代社会の要請に適合しないという立場に立っています。問題は、これまでの汚染の処理や調査結果について、適切な開示と説明が、専門者会議や東京都においてなされてきたかという点です。それが安心という信頼を生み出すものではないかと思うのです。それがベールに包まれたまま、工事を進め、工事の変更も闇の中に隠してきたからこそ、汚染土壌の処理自体について、そして地下水の影響自体について、いまだ不安を取り除けていないのではないかと思うのです。

 

他方で、百条委員会は、ニュースでちらっと見ましたが、果たして事実関係を解明するために、適切な質問が行われ、回答がなされているか、懸念したとおりの状況ではないかと思います。質問時間が政党の議席数に応じて配分され、それぞれの質問者の間で質問内容の調整もなく、しかも持論としての意見を事実確認もなく、話した後、質問するといったやり方では、政治ショーとみられてもやむを得ないように思うのです。百条委員会の手続きや委員構成など、現状のままでは、東京都だけでなく、全国で行われているこの委員会方式に期待を寄せたり、信頼を勝ちうるのは容易でないと思わざるを得ないのです。それは国会の国政調査権としての質疑でもさほど大きな違いはないように感じるのは私だけではないように思うのです。

 

話しは少し変わりますが、先日私が取り上げた交渉記録や日報の保管について、森友学園とPKOに関して<交渉記録の保存期間 財務省「1年未満」、専門家は「5年」>では、「財務省行政文書管理規則は国の行政文書管理ガイドライン」が取り上げられています。

 

同ガイドラインには、<保存期間「1年未満」はなく、備考欄に「本表が適用されない行政文書については、文書管理者(課長など)は、本表の規定を参酌(参考に)し、当該文書管理者が所掌する事務及び事業の性質、内容等に応じた保存期間基準を定めるものとする」と書いてある。>となっていることから、財務書担当者が適用外の文書として取り扱った可能性を指摘しています。

 

この点、<第三者で構成する政府の公文書管理委員を務める・・・三宅弁護士は「面談記録は土地売買契約の過程の記録であり、この『証拠書類』に該当する。保存期間は最低5年とされるべきだ。廃棄は行政文書ガイドラインと財務省行政文書管理規則違反だ」と指摘している。>とのこと。三宅弁護士の意見こそ、だれもが当然と考える処理でしょう。森友学園との国有地売却に関するような文書管理すること自体、国有財産の売却を含む管理に重大な懈怠があったと見るべきではないかと思います。

 

この点は、東京都の東京ガスとの間の交渉においても同様の問題があります。東京ガスは膨大な記録を開示していますが、東京都においても、担当者それぞれの立場で、どのような権限行使が行われ、判断が行われたかを、記録として残すことは必須であり、重要な職務上の義務でしょう。

 

とりわけ東京都は土地購入による土壌汚染問題の深刻さは十分経験していたのですから、その売買交渉過程を適切かつ慎重に行うとともに、記録保管は必須だったと思います。つまり、東京都は昭和48年日本化学工業(株)から購入した土地について六価クロム汚染土壌の問題が発生し、同社に損害賠償請求の訴訟を提起し昭和61年に和解した後、平成132月まで協定による処理が行われていたのですし、平成25年に到っても浸出土壌の問題で処理が行われていたのですから、土壌汚染の土地売買については慎重な対応が必要であることは十分承知していなければなりませんでした。私自身、住民側の弁護士として、90年代は東京都および日本化学工業を相手にした訴訟を担当していましたので、とくに感じます。

 

もう一つ、また少し話しが飛びますが、森友学園の事案で、100万円の寄付について、<写しは、学園が計画していた小学校建設寄付用の「払込取扱票」の受領証。依頼人の欄に修正テープの上から「森友学園」と手書きされ、テープをすかすと「安倍晋三」と書かれていた。テープには処理した郵便局の印鑑が押してある。>との記事がありますが、不思議な受領証ですね。あえて取り上げるほどもないので無視していたのですが、ついでということで言及しておきます。

 

この受領証に関するやりとりについて、記事では<長女によると、安倍首相の名前で振り込もうとしたが、郵便局で保管する取扱票の左側部分に森友学園と書かれており、名義が一致しないとして受け付けられなかったと説明。顧問の会計士と相談し、修正テープを使って書き直したという。>これまた不思議な話です。

 

たしかにテープを透かすと安倍晋三と書かれていることは分かりますが、その書かれた位置が印字された「様」の上にあるのはどうしてでしょう。普通は「様」の左横に書くのではないでしょうか。ましてや寄付者が総理ですから、「様」の上の方に書くなんて失礼なことはできないと思うのですが、それは関係ないということでしょうか。郵便局の保管する取扱票との名義の一致に関する指摘は、なぜそのようなことになるのかその経緯や取扱を確認する必要があると思うのです。とりわけ気になったのは、修正テープで書き直した、それも会計士と相談してということですが、会計士があえて修正テープを使うことを容認するとは考えにくいですね。会計の基本として、修正する場合元の数字なり名前、項目が分かる形で行うはずで、このような修正を認めるとは考えにくいですが、どうでしょう。

 

そして上記の流れからは、森友学園側が作成した受領証であり、後から書き入れ、修正したとみるのが自然ではないでしょうか。これも推測にしかすぎないので、郵便局の記録にこの振込記録が残っていると思いますから、それを提出してもらえば、はっきりすると思います。

 

さて今日は何を書こうとしたのか、ほんとは春分の日ののどかな里山で、ウグイスが慣れない鳴き声を発したり、キジが驚いて飛び立ったり、ツグミやヒバリがさっと横切ったり、野鳥賛歌でもと思っていたのですが、美しくない話になったのは、今日の気分があまり晴れないからかもしれません。明日はいい一日であることを祈りながら、今日はこの辺でおしまいとします。


学校設立と支援 『渋沢栄一のメッセージ』を読みながら

2017-03-19 | 教育 学校 社会

170319 学校設立と支援 『渋沢栄一のメッセージ』を読みながら

 

今朝もちょうどよい気候で気分よく作業にでかけました。とはいえ昨夜は昨日の疲れで足に少し痙攣が起こり、今朝はちゃんと起きれるだろうかと不安になっていましたが、明るい日差しともに、痛みもわずかで元気が蘇っていました。

 

今日こそ軽く作業をやって帰ろうとしたら、隣家(といっても自宅は相当離れていて、農地が隣接している意味合いです)から精が出ますねと言って話しかけてきたのはいいのですが、自分とこの畑と接している斜面地の篠やツタも切ってもらえませんかと言われてしまいました。これまでもなんどか言われることもあり、毎年草刈ならぬ笹苅をしてきました。ただ、一言言っておいた方がいいかと思い、その斜面地はこちらの所有名義ではなく別の方ですよと話しました。地方、とくに昔から続いている地主層の間では、登記簿を見て話す人はほとんどいません。昔からの利用状況や父親からの話で所有者や境界を理解しているのがほとんどです。

 

とりわけわが家の場合長く利用して来なかったのと、利用も、自ら作業するより、山林は林業家に、田んぼは農家にそれぞれやってもらっていたので、あまり実態を理解していないというので、余計わかりにくくなっています。私は、長く放置していたので、所有地かどうか関係なく、できるだけ周囲もきれいにしようとやってきましたが、そろそろ私の力量にも限界があり、所有地でないところは少し理解してもらおうかと思ったこともあり、話したわけです。

 

といいながら、いま整理をしている竹林は、これまた少し離れたところに自宅のある所有者で、まったく訪れるのを見たことがなく、手入れをしていないので、放置できず、やっていますが。

 

ま、ともかく、今のところは、今日声かけをされた隣接地を、簡単に大鎌で刈払いして、終わることにしました。そのためやはり昨日ほどではないですが、かなり疲れてしまいました。

 

そしてなんとかNHK囲碁トーナメント決勝戦に間に合い、井山棋聖と一力七段の待望の一戦を観戦できました。両者の読みの深さは、これまでの実力者を倒してきた棋譜でも遺憾なく発揮されていました。むろん私のような岡目八目では解説者の話しについて行くことも出来ないので、ただすごいと思うのです。彼らの読みの深さは解説者のそれを超えているので、解説者も解説しきれないことも少なくないように思います。今日は小林名誉棋聖で、久しぶりの登場です。彼の若い頃の鋭い棋譜も見ていましたが、この両者はその上を行くのかもしれません。一力さんの深い読みで一時は逆転したのかと思いましたが、最後の勝負所で、井山さんのしっかりした手筋(私にはただただこんな打ち方があるのかと感嘆するだけですが)で、コミが出ない圧勝となり、一力さんといえども投了でした。

 

さて本日のテーマですが、もう夕方になっており、今日もあまり浮かぶネタがなく、報道もとくに興味を抱くものがなかったので、いま読みつつある『原典でよむ 渋沢栄一のメッセージ』で受けた新たな渋沢像から現代の事象を少し考えてみようかと思います。

 

いま話題の一つは森友学園の小学校設立認可とそれに伴う学校用地としての国有地売却、およびその土壌汚染処理、ならびに校舎建設と補助金等の受給問題があります。関連していえば、その経営する幼稚園での教育内容というか、指導の仕方でしょうか。

 

教育を受ける権利は憲法上保障されていて、極めて重要な権利であることは異論がないでしょう。そのために、社会の多様化に対応するために、教育の多様化も必要でしょう。とくに私学においてはその教育方針の独自性は尊重されるべきだと思います。それが教育勅語を唱和することを強制するものだとしても、ある年齢、たとえば高校とかなら、あるいは合成から補助を受けない私塾なら、それも許容される場合があっていいと思うのです。

 

教育を受ける権利は、まず子にあるのですから、子がどのような学校を選択するかを判断することが望ましいと思うのです。親が自分の考えでどの学校に通わすかを決めるのは、子がその判断をできない小学校入学以前では、親の責任が重いと思うのです。選択の幅も限られるべきではないかと思うのです。親の思想信条で、子の教育のあり方を決めるのはできるだけ避けるべきではないかと思うのです。つまり小学校や幼稚園、保育園を選択する場合、子の思想信条を極端な方向に向かわせるおそれのある選択は避けるべきではないかと思うのです。これは憲法論ではないかもしれませんが、思いつきで考えたので、あり得る解釈かなと思っています。

 

さて前置きが相変わらず長くなりましたが、渋沢栄一といえば、「第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、大日本製糖、明治製糖など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。」と、明治時代の富国強兵の一旦、産業の近代化をリードした、真の意味で大実業家といってよいでしょう。

 

とはいえ、城山三郎の『雄気堂々』を何十年前か読んで、渋沢に魅力を感じつつも、忘れていたのですが、なんとなくその講演を掲載していた見出しの書籍に興味を持って読み出したのです。

 

残念ながら、講演自体には特別、感銘を受けるほど、感性がよくなくて、その解説や、渋沢のとった行動に改めて魅力を感じたのです。銀行制度や会社制度の設立に邁進したすがたは想像できても、多くの大学への支援、教育への支援の内容や宗教への思い入れなど、知らないことばかりでした。

 

一橋大学の前身、東京高等商業学校(後に東京商科大学)の設立や継続に大変な努力を傾注されていたのです。渋沢は自ら個別の銀行、会社の経営に当たりながら、法制度を整備しつつ、個々の経営者が近代的なビジネス知識を得る必要を訴え、森有礼が創設したこの学校を支援し続けています。それは当時の実業者は維新前からの経営者で実務経験はあるものの、合理的な経営・会計・経済といった知識をもってなく、当時は商業者には高度な知識は不要との風潮がはびこる中で、懸命にこの学校の維持に働いたのです。

 

渋沢は、江戸時代の中心思想、儒学を大切にしつつ、仏教や神道、そして西欧の宗教も尊重していました。また天皇制を支持していた渋沢であっても、明治のリーダーの頂点にいた一人として、教育勅語の暗誦といった発想はなかったと思うのです。

 

子どもの教育は違うという人もいるかもしれません。私は基本的には同じだと思っています。ただ、判断能力が十分についてない時代には、特別の配慮が必要で、一方的な思想・身上を押しつけるような教育は避けるべきだと思っています。

 

また一橋大学の話しにもどりますが、東京高等商業学校の国立大学への要請を渋沢らは長年続けていたところ、国は国立大学は東京帝国大学だけでよいということで、ここに編入して商学部とする決定をしたのです。商業人としての独自教育を目指した渋沢らの期待を裏切るものでしたが、渋沢だけでなく、学生も教員もすべてが反対して、決定を覆させ、単科大学として設立が認められたのです。ここに商業人としての独立・創意を感じます。

 

そして関東大震災で大学の校舎が全壊した後、新たに選んだのが国立市です。この決定に渋沢が関与したかは分かりませんが、一橋大学の特徴が現れているようにも思うのです。現代で言えば、ハーバード・ビジネススクールや、トマ・ピケティのパリ経済学校のような位置づけでもいいのかと思うのですが、一ツ橋に校舎があったことから学生が命名した大学名という、自主独立の思想が現れているようにも思えます。そして何もない、東京の郊外、谷保村に移転し、国分寺と立川の真ん中に新たな都市をつくったので、国立という名前までつくったわけです。そして当時、西欧で普及しつつあった田園都市構想と大学とを融合させる、文教・田園都市を見事な街づくりで仕上げたのですから、一橋大学のユニークさは、渋沢の意気を十分に実現していたように思うのです。

 

一橋大学の話しばかりしていると、渋沢が商業人だから、ビジネススクールの教育に邁進していたと思われても困るので、もう一つ、彼の懐の深さを感じさせる大学への支援に触れたいと思います。

 

維新前、さらに明治に入っても、家制度の中で、女性は劣位に置かれていました。女性に教育など必要がないという風潮が一般だったと思います。その中で、渋沢は、自らそういった意識があることも自認しつつ、これからの社会で女性が高い教育を受けて、男性と伍する必要性が高いとして、日本女子大学校をはじめ多くの女子大学への物心両面の支援を行っています。その支援の金額は膨大な額です。彼の支援なくしてはいまの日本女子大学があったかどうかと思われるほどです。女子教育に対する渋沢の熱の入れ具合は半端ではないのです。渋沢は、明治の家制度、天皇制国家を前提としつつ、女性の自立、発展を支援し続けています。

 

このように渋沢の教育への支援の一端を取り上げたのは、森友学園で現れた、関係者の言動や、設立認可といった基本的な手続き、校舎用地の取引、校舎建設のそれぞれにおいて、あまりも不可解なことが起こっており、それが森友学園の教育の方針というものとも大きく乖離があるように思えることから、渋沢の高い思想と支援の行動を紹介した次第です。

 

 


原発事故と法的責任 <福島第1原発事故 避難訴訟判決 要旨>を読んで

2017-03-18 | 原子力・エネルギー・地球環境

170318 原発事故と法的責任 <福島第1原発事故 避難訴訟判決 要旨>を読んで

 

今朝も青空が広がり、空気もわずかに寒さが感じる程度で気持ちのよい作業日和でした。昨夜からどこをどうやろうかと考えつつも、結局は現場で、自分の体調と竹林やヒノキの木々の状態を検討しながら、いつも適当にやってしまっていますが、今日も同じことになりました。23時間程度で軽くやるつもりが、ついついやり出すと止まらず、終わってみると5時間近くになっていました。

 

竹の整理をしながら、ヒノキの枝打ちをするという簡単な作業手順ですが、一本目のヒノキは簡単で、ツルもわずかで、枝も細身だったので、ナタでぽんぽんと落としていきました。ほんとは一本だけで終えるつもりでしたが、以前から気になっている、ツタで上がまったくめいないほど覆われているヒノキの木をそのままにして帰る気がおこらず、つい登り始めました。ぶり縄を3本巻いたら、一番下の枝に届いたので(高さ5mくらい)、そこからは懸垂で枝から枝に登っていきました。

 

ツルがびっしりと絡まっていて、よく見えない状況で、しかもツルは割合粘り強くて簡単に切れないので、手間取りました。それに跳ねたりするので、メガネが飛ばされるリスクもあります。こういうときはカヤックでパドリングするとき(もし沈してもメガネが海中に沈まないように)メガネがおちないようになっているバンドが重宝するのですが、ここまでやることを想定していなかったので持ってきていませんでした。帽子は飛ばされたのですが、メガネはもうちょっとのところで抑えてなんとかなりました。メガネを落とした場合探すのが一苦労なので、これだけは避けたいといつも思っています。

 

ともかくツルと格闘して一本のヒノキの枝打ちに2時間近くかかったかもしれません。途中で足が痙攣したり、なかなか大変でした。やはり枝の上に足を載せて長時間作業をするというのは慣れていないと、高齢者の筋肉では持たないかもしれません。終わった後は息も絶え絶えになり、遅い昼食をとってしばらく休んでみたものの、頭が働きそうにありません。

 

なぜここまでがんばるのか、自分でもよくわかりませんが、一歩間違えば、というかちょっとした油断で落下する危険と向き合いながら、枝が作業中折れないかやツルに巻き付かれないかなど、自分なりに全身で、あるいは全神経を集中して作業していると、生と死との狭間に身を任せている気分になるような、それが進化の過程で喪失しつつあるヒトとしての本能を蘇らせてくれるというか、他のものでは代えがたい気持ちにさせてくれるからかもしれません。

 

さてそろそろ今日の本題に入らないといけませんが、そういうわけで、とても考えるだけの余裕がないので、本来は難しい原発避難者集団訴訟といったものを取り上げる状況ではないのですが、問題が重要なのと、判決骨子程度であれば、引用しながら、紹介する程度であれば、なんとかなるかなと思っています。

 

福島第一原発事故については、全国各地で被害者が原告となって東電と国を被告として訴訟が提起されています。また東電株主が東電の取締役責任を追及する訴訟も提起しています。

 

今回の前橋地裁の判決がこういった訴訟で最初に下された司法判断だったわけです。訴状や判決文を見た分けではないのですが、判決要旨を見る限り、基本的には不法行為責任を追及し、国に対しては国家賠償の責任追及を行っています。とくに前橋地裁の事件は、避難訴訟と銘打っていますので、避難者の立場で責任追及となれば不法行為責任以外は考えにくいでしょう。

 

不法行為責任なり国家賠償責任なり、いずれもまず、事故と被害の因果関係をどう認定するか、過失の有無について、予見可能性・結果回避可能性があったか、国賠との関係ではとりわけ規制権限があったか否かなどが重要なファクターになります。

 

まず判決要旨では、事故原因について<津波が到来し、6号機を除く各タービン建屋地下に設置された配電盤が浸水し、冷却機能を喪失したことが原因。>となっています。

 

記事の字数等に制約があるでしょうから、要旨といっても、これが裁判所から提供されたそのものではないかもしれません。毎日側で要旨として取り上げたのか、裁判所がリリースしたものかはともかく、この事故原因についての記述は、少し簡略しすぎではないかと思っています。むろん、原告の主張がそれだけに絞っているのであれば、そのような判断になるのもやむを得ないかもしれません。

 

しかし、メルトダウンや放射性物質の拡散などは、この配電盤への浸水による冷却機能の喪失だけで事故原因と断定してよいのか、どのような議論がなされたのか気になるところです。むろん、冷却機能が喪失されれば、その後の対応はさほど大きな問題ではないという見方もあるでしょう。この事故原因に係わる事実認定については判決文を読んでみたいと思います。

 

事故原因が冷却機能喪失ですから、その予見可能性については津波の高さの予見が可能だったかに絞られるのは当然でしょう。<東京電力が予見できた津波の高さが、原発の敷地地盤面を超える津波と言えれば予見可能性を肯定できる。>と明快です。

 

そして判決要旨では、2つの事実から予見可能性を肯定しています。一つは<東電は、1991年の溢水(いっすい)事故で非常用ディーゼル発電機(DG)と非常用配電盤が水に対して脆弱(ぜいじゃく)と認識していた。>と、過去の溢水事故から、 非常用発電機等が溢水に対して脆弱であることを認識していたというのです。この過去の溢水事故がどのようなもので、その後溢水対策がどのようになされたのかは要旨では言及されていないので、なんともいえませんが、はたして過去の溢水事故と今回の津波と同列に扱いうるかは一つの問題でしょう。

 

もう一つの事実は<国の地震調査研究推進本部が策定・公表する「長期評価」は、最も起こりやすそうな状況を予測したもの。2002年7月31日に策定された長期評価は、三陸沖北部から房総沖の日本海溝で、マグニチュード(M)8クラスの地震が30年以内に約20%、50年以内に約30%の確率で発生すると推定した。原発の津波対策で考慮しなければならない合理的なものだ。公表から数カ月後には想定津波の計算が可能だった。東電が08年5月ごろ「敷地南部で15・7メートル」と試算した結果に照らし、敷地地盤面を優に超える計算結果になったと認められる。>と述べています。

 

東電も国も、こういった長期評価は法的な意味での予見可能性の基準にならない趣旨を述べてきたのだと思います。実際、多くの災害でも、地震調査での長期評価を現実の耐震基準として裁判の基準にしてきたかというと、私の狭い知見ではなかったと記憶しています。

 

しかし、原発事故がもたらす被害の甚大性や世紀をまたぐような長期的影響を考慮すれば、通常の事故対応では済まないという、いまでは国民の常識に近い認識を裁判所も共有したのかと思います。誤解をおそれずいえば、3.11前の全国の裁判所、裁判官の意識は、東電や国と似たような状況であったように思うのです。 むろん例外的な裁判官もいましたが。

 

こういった長期評価を基準にすべきと言うことになれば、当然、<東電は、非常用電源設備を浸水させる津波の到来を、遅くとも公表から数カ月後には予見可能で、08年5月ごろには実際に予見していた。>との認定になるでしょう。

 

結果回避可能性について、判決要旨は<配電盤の浸水は、給気口から浸入した津波によるものだ。>と明快です。ここはどのような裏付けがあってここまで特定できたのか気になりますが、私がきちんと福島第一原発事故の事故報告書等等を読んでいないので、疑問が怒るのかもしれませんが、通常はなかなか認定するのが大変ではないかと思うのです。

 

浸水の侵入経路が分かれば、<(1)給気口の位置を上げる(2)配電盤と空冷式非常用DGを上階か西側の高台に設置する--などいずれかを確保していれば事故は発生せず、期間や費用の点からも容易だった。>と結果回避可能性も簡単に認定できますね。

 

原告が被った被害、その前提としての原告の法的利益は、意外と簡単ではない問題だと思います。前橋地裁は、その点では割合、原告側に寄り添う判断をしたのかと思うのです。

 

<原告が請求の根拠とする平穏生活権は(1)放射性物質で汚染されていない環境で生活し、被ばくの恐怖と不安にさらされない利益(2)人格発達権(3)居住移転と職業選択の自由(4)内心の静穏な感情を害されない利益--を包括する権利だ。>

 

(1)は当然としても、(2)ないし(4)は少しがんばってくれた内容ではないかと思うのです。

 

しかしながら、肝心の慰謝料額は相当低いもので、原告側の嘆く声も記事で取り上げられていましたが、当然でしょう。

 

ではなぜ低い認定になったのか判決要旨を見てみましょう。

 

<原発施設は一度炉心損傷になると、取り返しのつかない被害が多数の住民に生じる性質がある。>これは慰謝料額とどう関係し、どう反映したのかあまりはっきりしません。

 

判決要旨は、次の3点を指摘して、東電側の方に非難性を強く認め、増額の考慮要素とまで述べています。

 

<国と東電の非難性の有無と程度は考慮要素になり得る。東電は(1)経済的合理性を安全性に優先させたと評されてもやむを得ないような対応だった(2)津波対策を取るべきで、容易だったのに、約1年間で実施可能な電源車の高台配備やケーブルの敷設という暫定的な対策さえ行わなかった(3)規制当局から炉心損傷に至る危険の指摘を受けながら、長期評価に基づく対策を怠った--と指摘できる。東電には特に非難に値する事実があり、非難性の程度は慰謝料増額の考慮要素になる。>

 

そして賠償水準とされている国の中間指針との関係では、当然ながら裁判所が独自に最終的に判断するとしています。ただ、自主避難者との違いは考慮要素とならないという最後の指摘は、それ以外はどうなんだと思ってしまいます。

 

<賠償水準となっている国の中間指針は多数の被害者への賠償を迅速、公平、適正に実現するため一定の損害額を算定したもの。あくまで自主的に解決するための指針で、避難指示に基づく避難者と自主避難者に金額の差が存在しても、これを考慮要素とするのは相当でない。指針を超える損害は最終的には裁判などで判断される。>

 

で、結局のところ判決要旨だけでは、なぜ慰謝料額が極めて低い金額になったのかについては、明らかにされていません。東電の非難性をあれだけ強調している割には、また、原告側の法的利益を相当に取り上げている割には、どうも慰謝料額に反映した節が見られないように思うのです。といっても、わが国の裁判例では慰謝料額が極めて低いというのは昔から言われてきたことです。それを引き上げるだけの理由が、判決要旨で指摘した非難性だけでは不十分だったのでしょうか。

 

おそらくアメリカの制裁的賠償だと、桁が違っていたのではないかと思うのですが、法制度が異なりますし、そのような巨額の制裁的賠償を認めると、ますます東電が維持できなくなり、原発廃炉処理の行方も危なくなるなど、さまざまな配慮も影響したのかもしれません。

 

最後に国賠責任ですが、<国は(耐震性を再確認する)バックチェックの中間報告を東電から受けた07年8月の時点で、それまでの東電の対応状況に照らせば、東電の自発的な対応や、国の口頭指示で適切な津波対策が達成されることは期待困難という認識があった。国は規制権限を行使すれば事故を防げたのにしなかった。著しく合理性を欠き国家賠償法上、違法だ。>と、過去、東電がとってきた行政に対する無責任な対応を踏まえて、国の規制権限行使が不可避であったとしています。

 

そして<規制権限がないという国の主張は、事故発生前から津波対策を取り扱っていた実際の国の対応に反し、不合理で採用できない。国の責任が東電と比べて補充的とは言えず、国が賠償すべき慰謝料額は東電と同額だ>と、なにか先ほどあげた東電の非難性があまり意味がない結論になっています。同額でも相当な金額の慰謝料であれば、それは納得されるでしょうが、低額だと、国も同額だといっても、釈然としない気持ちになるでしょう。

 

判決要旨を引用する、安直な方法で、簡単に紹介しましたが、これで控訴審を乗り切れるか、やはり判決文を見ないとなんともいえません。関係の弁護団にでも入っていると判決文はメールで送られたり、今ですから関係者だけのネット上にアップされるのでしょうが、いつ見ることが出来るか、分かりません。いずれにしても難しい訴訟で勝訴判決を得た原告弁護団の皆さんにエールを送りたいと思います。


記録の破棄と民主制の基礎 <南スーダンPKO 統幕幹部、日報隠し指示か>などを読んで

2017-03-17 | 行政(国・地方)

170317 記録の破棄と民主制の基礎 <南スーダンPKO 統幕幹部、日報隠し指示か>などを読んで

 

朝目覚めると、高野山に連なる雨引山の山の端には薄紅の広がりが、そこ先には半透明のだいぶ満ちかけた月が、ブルースカイが広がりに映えていました。

 

もう3月中旬を過ぎ、桜のつぼみもにわかに活気を感じさせます。そういえば桜、月といえば西行ですが、今日はなぜか親鸞の和歌を思い出してしまいます。あの強靱で比叡山の荒修行をこなし、新潟に遠島処分になっても耐え抜き、さらに真宗に対し排外的な関東で布教を続け、晩年は京で、『教行信証』の完成に向け執筆に専念し机に向かう姿からは、和歌のたしなみなど考えられないようにも思うのです。

 

でも、生まれ育った環境でしょうか、9歳の時慈円に入門を申し出て、一夜待てといわれたとき、歌ったという、次の和歌は宗祖伝説のようでもあり、真実でもあるように思えます。

 

明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは

 

さて、今日もいろいろ書類づくりや資料入手に出かけたり、打合せがやっと終わると、もうすでに3時を過ぎています。高齢になると、というか、若い頃も、仕事をしているとあっという間に時間が経ち、一日が終わり、一月も過ぎ去り、そして一年も、十年も光陰矢のごとしです。そして過去の失敗や成功、無駄な時間つぶしを嘆いていると、それこそますます変なことになりそうです。

 

そういえば、最近うつ症状を訴える人が多くなったように思うのですが、以前見たBS報道では、うつは進化の結果、人間が必然的に発症する病気といった話しでした。最初は魚類が敵の攻撃から逃げるために扁桃体が生まれ、そのセンサーで神経がフル回転して猛スピードで逃げるのに役だったそうです。天敵にたいする神経細胞の進化でしょうか。次は海馬という記憶する器官が、さまざまな天敵の恐怖・不安を記憶することにより、扁桃体の反応が過敏になってきたというのです。さらに言葉を獲得したことにより、人の話や動物の仲間の話(コミュニケーションはいろいろでしょう)で余計に反応が過敏になったとされています。

 

そして現代社会の競争と格差の拡大、持続的なストレスは、扁桃体自体が反応疲れで機能しなくなり、神経細胞全体が萎縮し、無気力になってしまうというのです。このうつ状態を防ぐ、あるいは緩和するには、進化の過程で失った機能を回復する必要があるとのこと。

 

それは進化をあえて採用しなかった、縄文人的な生活をいまなお営む、アフリカのハッザ民族の生活様式が参考になるというのです。それは狩猟生活を主として、収穫物はすべてが平等に分配する、そこには支配者も特権階級もいないのです。そして将来の心配や不安がなく、今日のことを大事にそれ以上のことを考えたりしない生き方で満足しているというのです。

 

とはいえ、縄文人的生活様式や、ハッザ民族の生活をまねるわけにもいきません。そこにある価値観や生活様式の基本的な要素をなんらかの形で参考にすることでしょうか。平等と公正さ、隠し立てしないこと、仲間の中に秘密はないということ、これをどう現代の中で生かせるかは、検討課題でしょう。

 

さて、そろそろ前置きを終え、見出しの課題に入ろうかと思います。最近話題のそれぞれの重要な事件、いくつか共通する問題を抱えているように思います。とりあえず「記録の破棄」それが民主制の基礎を危うくしているということを感じています。

 

毎日記事<南スーダンPKO 統幕幹部、日報隠し指示か 陸自保管、1月判明>のPKO問題や、<国有地売却 協議記録、大阪府も空白>、<国有地取得 財務省、交渉記録廃棄 衆院予算委で認める>などの森友学園問題、<東日本大震災6年 原発事故と国策>で見られる協議会などの非公開のうえ、議事録の一部削除や黒塗りなどです。

 

民主主義というものが張り子の虎的な意味でしかないのであれば、国の存立も危ういでしょう。トランプ大統領や朴大統領の言動、施策に国を挙げての非難が起こるのは、ある意味では民主主義という理想への期待の裏返しかもしれません。

 

先にあげた三つの事件は、氷山の一角ですが、いずれも国家のあり方に係わる重大な問題といってよいと思います。その意味で、議会が、あるいは司法が、それぞれの立ち位置で、検討してよい問題だと思います。

 

私なりに一つずつ、簡単に問題を検討してみたいと思います。南スーダンPKOの日報記録の問題は、まず<昨年9月に日報の情報公開請求を受けた同省は、派遣部隊とCRFで文書を探しつつ、統幕にも意見照会をした上で「廃棄して不存在」として同12月に不開示を決定した。>防衛省はどこにもないとしていたのですね。

 

不開示決定直後でしょうか、<稲田朋美防衛相が再探索を指示し、同月26日に統幕での保管を確認した後、陸自内でも保管されていることを把握したが、同省は2月7日から電子データの開示を始めた際にも「陸自にデータは保管されていない」と説明し、>と不自然な状況が判明していました。それが今回、<これまで防衛省が「廃棄したので存在しない」としていた陸自内で、日報の電子データが保管されていたことが分かった。>

 

陸自内での情報管理の問題もあるでしょうし、防衛大臣への報告の虚偽性も問題になるでしょう。そして日報の内容自体が問題であったことがこの隠蔽の背景にあったとみてよいのではないでしょうか。

 

<日報には、昨年7月の政府軍と反政府勢力との大規模な衝突を「戦闘」と表現する記載があり、野党が国会でPKO参加5原則が崩れていたのではと追及。稲田防衛相は「法的意味で戦闘行為はなかった」と説明していた。>ことがもんだいとなりました。この稲田防衛相の説明が憲法解釈として子供じみた内容であるか、ご本人気づいているのでしょうか。おそらく陸自内でも稲田防衛相に日報を提出すれば、説明できなくなると怖れていたのではないかと考えます。稲田氏は南スーダンを訪問していますが、現地の状況について、PKOから説明を受けていたか、分かりませんが、対応した派遣部隊の責任者はこの人になにをどう説明するかは、人を見て取捨選択したと思われるのです。

 

稲田氏は、国会での防衛相としての対応、今回の森友学園での対応を見る限り、とても防衛というわが国にとって機密性の高い、そして冷静な対応と機敏で統一した判断を求められる分野のトップとして、自衛隊員の信頼を得ているとは言いがたいように思えます。

 

日報という、現場で作業をしている人たちにとっては最も重要な報告、それも戦闘行為が間近で行われている現場の緊迫の中で書かれたものであるにもかかわらず、それが一旦は開示されず、開示された記載内容も、国民の信頼を得るような説明でないだけでなく、現場の自衛隊員の苦悩を理解しないような安直な説明では、とてもPKOのメンバーはやりきれないでしょう。

 

私は本来、南スーダンへのPKO派遣は、日報等に基づき、かなり早い段階で撤退すべきだったのではないかと思いますが、それはまだ事実関係がよくわかっていないので、結論めいたことは保留したいと思います。ただ、今回撤退が早まったのは、稲田氏の答弁や日報隠しという、陸自本部の対応に、現場で作業継続の意思を喪失したのではないかと愚考します。

 

命を賭して危険な南スーダンでの作業をしてきたのに、その報告ですらまともに取り上げてもらえないとしたら、やるせない気持ちにならないでしょうか。この点は少し脱線しましたが、要は、日報という最も重要な報告を廃棄したといった説明で隠蔽する体質こそ、シビリアンコントロール、引いては民主主義を根底から崩してしまいかねないと思います。

 

いかに「国際平和支援法」とのレッテル貼りをしてPKOの派遣基準を法律上明確にしたとしても、事実認識の基礎である、日報を隠蔽し、かつ、日報の記載内容を我田引水的に曲解するのであれば、法律はあってなきがごときものとなり、現場の自衛隊員の苦労や苦悩も報われないものとなるでしょう。

 

次に森友学園問題ですが、どんどんエスカレートする籠池発言の話しは脇に置いて、行政はさまざまな人と対応することを予定しており、その際、刑事法上の問題だけでなく、行政手続法を含め個々の行政法における許認可などの折衝に疑問がもたれないよう、また、公正で公平な取扱を担保するために、個々の面談記録をきちんと記録し、請求があれば開示して国民の審判を仰ぐことこそ、ハッザ民族の公正さに近づくのではないかと思うのです。

 

ところが、国有地の売却を担当した財務局、財務省は、<国有地取得 財務省、交渉記録廃棄 衆院予算委で認める>のとおり、交渉記録を全部廃棄したというのですから、驚きを通り越して、いかに杜撰な処理をしていたのかを感じてしまいます。東京都も豊洲問題では似たような状況ですが、これほど酷くはないですね。東京ガスが提出した議事録は膨大だったと思いますが、民間企業であれば、当然、交渉記録を上司に報告する必要があるでしょうし、売買契約成立しても、契約前の段階、契約後の段階、それぞれ後日問題が発生することが少ないのですから、交渉記録こそ重要な証拠となり、それを一定期間保存するのが当然です。

 

まして国有財産を取り扱っている、国民の財産であるのですから、より慎重でなければならないし、申し開きが出来るように、交渉が公正・公平になされたことを裏付けるのは議事録ですから、きちんと記録し、上司に提出し、裁可を得て、また長期間保存するのが責務というか、義務ではないでしょうか。さらにいえば、議事録自体がいい加減でとられていた可能性すら疑いを抱きます。議事録作成基準など、きちんとしたマニュアルを用意しておく必要すら感じます。むろん、一定期間の(最低でも10年程度)保存期間も定めないといけないでしょう。

 

大阪府の小学校認可手続きについても、関連して問題となり、<国有地売却 協議記録、大阪府も空白 対財務局、1年3カ月>との記事では、わざわざ空白期間のある協議記録となっていること自体、意図的な隠蔽と言わざるを得ない状況となっています。

 

この問題と直接関連するわけではありませんが、先日の報道ニュースの中で、松井知事が、認可申請は性善説で対応しているので、資金計画について委員から適切な疑義が指摘されているにもかかわらず、税理士という資格を持った人の押印があるから、その計画は信頼できるものとしたかのような発言がありました。この発言を聞いて奇異に感じたのは私だけではないでしょう。

 

資格ある専門家の署名捺印があれば、その内容を信頼してよいというのはあまりに安易ではないでしょうか。税理士より一般にはその会計資料について信頼性があると言われる公認会計士ないしは会計監査法人が関与した会計不正事件は、最近、頻繁に問題になっています。むろん税理士も同様です。脱税事件に関与した税理士もいます。その数の多寡ではないと思います。税理士も、公認会計士も報酬をもらって、クライアントのために、仕事をします。むろん職務上の公正さを図ろうとするのは当然です。でも彼らの仕事には限界があります。クライアントが差し出した資料の裏付けをどこまでとっているかとなると、疑問が少なくないのです。

 

なぜ小学校の認可に当たって資金力の裏付けを求めるのでしょうか。当然、小学校は私学といえでも多くの児童の教育を担い、その将来に多大な影響を与えるわけですから、持続的な経営基盤の確立がないと認めるわけにはいかないでしょう。その審査は、実質的な検討が必要でしょう。単に税理士が作成した計画だからなんてことで、認可を前向きに進めるようなことがあっていいはずがありません。少しここも脱線してしまいました。

 

議事録の廃棄・隠蔽といった問題はさまざまな分野で問題となっていますが、やはり原発問題は極めて重大事ですので、これは取り上げておく必要があると思います。毎日記事・<<記者の目>東日本大震災6年 原発事故と国策>では、議事の非公開と議事録の一部削除、黒塗りという、最も重要な意思決定過程のブラックボックス化の中で、多くの被災者にとって重大な変更決定がなされたことを指摘しています。

 

話しは飛びますが、私がカナダで経験した環境アセスメントの公聴会(わが国とは異なり、いわば対審制的で、裁判審理に類似する手続きです)で、多くの印象的な出来事がありましたが、そのうちの一つは、徹底した専門家意見の根拠の解明でした。さまざまな基準設定があるとき、事業者側のパネルの一人が専門家の立場で意見を述べます。そのときその専門分野を明らかにし、その研究成果と直接関係しない部分の意見については、どのような根拠で述べているかを質されました。文献情報では直接、その基礎を裏付けるものではなく、最後はたしか、ある行政庁のある特定の職員からのヒアリングにより得た結果だと証言するまで追求された記憶です。

 

この記者の目は厳しく鋭いです。少々疲れてきましたので、内容はウェブ情報をご覧下さい。約1時間半書き続け、PCの休みなさいサインが頻繁に出ていますので、まだ終業時間ではないですが、ここらでお開きとします。

なお、今日仕事で、日弁連の新養育費・婚姻費用算定基準を使おうかと思い、以前書いたものに引用していたとそのブログをみたのですが、URLがありませんでした。それで日弁連のHPでさがしたのですが、すぐに見つかりませんでした。それで前に書いた12月5日付けのブログに追加しましたので、関心のある方はご覧下さい。