たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

民主的表現の一形態 <トランプと世界 ・・イバンカ商品、不買運動拡大>を読んで

2017-06-19 | 政治 経済

170619 民主的表現の一形態 <トランプと世界 ・・イバンカ商品、不買運動拡大>を読んで

 

毎日同じような活動をしていると、曜日を忘れてしまうことがあります。これも老化の表れかと一瞬思ってしまいますが、それでも子どもから「父の日」メールが届くと、まだ老いぼれていないぞと元気づけられる?思いがします。

 

さて今朝も同じように朝ぼらけというより、暗闇の中目が覚め、うとうとしていると、まだ早暁かなと思っていたら、なんと630分です。久しぶりに寝入ってしまったようです。そのせいかどうか、40年以上ほとんど変わらない体重が激減していたのが、ようやく3kg増えてきて、若干持ち直しつつあるように思えます。そういえば先日来訪した依頼人兼友人がずいぶんやせましたねと最初の一言。そうかなと思いつつも快復基調にあるから、それほどでもないかなと思っています。

 

とはいえ仕事の能率は今ひとつでしょうか。いつの間にか6時になっています。ちょっと慣れない相続登記申請をすることになり、その書式とかに戸惑うと、なかなか頭が回りません。禅では気の転換を重視するようですが、私も若い頃は割合得意でした。でも最近は頭が重いせいもあり、なかなか転換が聞きません。一つの仕事をやり終えても、なかなか別の仕事に移るのに時間がかかります。これもやはり老いの表れでしょうか。いやまだ体調不調のためでしょうか。

 

といった気持ちでいたら、いつの間にか6時になっています。そろそろブログを書かないと帰れません。ここから一時間、頑張ろうかと思います。

 

さて昨日のイージス艦衝突事件、その後TV放映を見て一つ修正。イージス艦の衝突した右舷が水面からあまり上にないと指摘しましたが、TV放映を真正面から見ると、傾いていたのですね。衝突で海水が入り、右舷側に傾いていたわけですから、水面からあまい出ていないのは当たり前ですね(艦長は沈没する懸念まであったようです)。

 

とはいえ、やはりコンテナ船の損傷部の高さと、イージス艦の損傷部の高さはどうも会わない気がします。ここに3D測量で立体像があれば、その損傷部を相互に照合すれば、どのように衝突したか一発で解明できるのではと思ってしまいました。飛躍しますが、あの映画「不都合な真実」でウィットに富んだアル・ゴア氏の表現が多いですが、ある場面を思い出しました。たしか小学校の授業で、世界地図を見ていた一人の生徒がアフリカ西海岸と南アメリカ東海岸がぴったりくっつくんではと教師に質問したら、そんな馬鹿なことがあるかといった回答を教師がしたそうで、その教師がその後ブッシュ大統領の問題スタッフになったとかという話だったように思うのです。

 

それはともかく大陸の分離が証明されるくらいですから、海難事故の損傷船体部の称号なんて簡単な話に思うのですが、少なくとも米軍は情報を出さないでしょうね。海の交通ルールもデータがないとどっちが悪いかなかなか解明できませんね。これからの推移を見守りたいと思います。

 

で本題に入ります。<現場報告・トランプと世界リベラル派、草の根の抵抗(その1) イバンカ商品、不買運動拡大>は、トランプ式民主制に対して、アメリカ人が好むダイナミックな個々人の選択活動で意思表明するやり方を取り上げています。

 

トランプ氏は、仕事を失った多くの白人労働者のために仕事を増やすと主張し、また、仕事を奪う、あるいは危険な不法移民労働者は排斥するとも主張し、多くの支持を集め大統領に選ばれました。不良債権を売りまくり、住宅ローン負債で多くの破産者を出したウォール街は悪の塊のように批判していましたが、政権発足後はそのウォール街のトップクラスを政権閣僚に招いていますし、その批判の声は聞こえてきません。他方で、娘のイバンカさんのブランド商品やトランプ氏が実権を握ってきた不動産業は、トランプ政権の旗の下、順風満帆だったのではないでしょうか。

 

しかし、政権発足以降のトランプ政権は、民主的公正さや国際的協調を無視し、移民への差別、地球温暖化対策への逆行を促進して、言葉だけでの批判では問題の深刻化を招くしかない状況のようにも思えます。わずかにその政権を支持するリーダーの一人が安倍政権というのはなんとも悲しいばかりです。

 

アメリカの大統領選挙において民主制が遺憾なく発揮されているかといえば、疑問を抱く人も少なくないでしょう。実際、今回の選挙で選択肢がない、棄権した人も相当いたのではないでしょうか。その結果選ばれたトランプ政権ですが、その不当な動きに唯々諾々とするのはアメリカ人的でないというのも、アメリカ流民主主義の一つかもしれません。

 

記事の最初に<ニューヨーク市マンハッタンにある世界最大級の百貨店メイシーズの婦人服コーナー。手にしたドレスのブランド名を見て、すぐにラックに戻す女性に出くわした。エレン・グリーンバーグさん(53)。「トランプ米大統領の長女イバンカさんが手掛けるブランドだからよ」と言う。別の百貨店でもイバンカ商品に気づき、「商品を置かないよう文句を言った」と漏らす。>

 

静かな、そして確実な、トランプ政権への抵抗ともいえるでしょう。政治学者からすると、それはお門違いというかもしれません。しかし、トランプ氏自体が、その経済権益を公開せず、娘や息子を通じて経済活動を維持しています。森友学園の篭池氏や、加計学園の加計氏のレベル以上に、政権の力を利用しているといえないでしょうか。家族の経済活動と自らの政治活動は別と言い切るには、あまりに密接一体化していないでしょうか。

 

アメリカのボイコット運動は、長い歴史があり、力強く、たとえば熱帯林伐採反対闘争ではその力を遺憾なく発揮しています。わが国でも時折試みることがありますが、遺憾ながら、消費者などにそういった高い行動原理に共感したり、意識を理解することができるまでに至っていないこともあり、ほとんど有効に機能していないと思います。

 

私自身、カナダで日系企業が先住民の森を伐採したことに反対すべく立ち上がった3人のトロント大の学生が始めたボイコット運動がカナダ全土を巻き込む強力な抵抗運動となり、企業が伐採制限など大きな制約を受け、反対にこのような運動を業務妨害として差し止め仮処分を求めた事件について、論評したことがあります。仮処分裁判所が、ジェノサイドといった表現については行き過ぎたものとして違法としたものの、表現の自由として、ボイコット運動の手法を認容したのです。その手法は、伐採企業そのものに対してだけでなく、関連する企業がピザを入れる箱を納入しているピザチェーン全店で、その店の前で、抗議活動をしたのです。ピザチェーン店としてはいい迷惑でしょうが、とりわけ大企業は仕入れ材料も含め関係する商品のライフサイクルに責任を持つべしとの思想が背景にあるといってよいでしょう。

 

もう一つは<リベラル派、草の根の抵抗(その2止) 若者と科学者奮起>ですが、これもすごい一つの「民主主義」的表現でしょうか。ティーパーティが似たようなことをやってきたようですが、リベラル派はさらに強化したのでしょうか。

 

<「医療保険制度改革法(オバマケア)は機能していない」「(温暖化対策の国際的枠組み)パリ協定は米国経済を傷つける」--。共和党の重鎮センセンブレナー下院議員(74)が発言するたびに、一部の参加者が「不同意」と書いた赤いカードを振りかざす。「違うぞ」「うそつき」とやじを飛ばした時、センセンブレナー氏は「ストライク・ワンだ」と応戦した。「集会を中止(ストライク・スリー)するぞ」との警告だ。議員は先月の集会でブーイングを浴び、数分後に中断した。>

 

そして選挙には熱心でなくても、違う方法で民主的意思を表現できるというのでしょうね。

<選挙で、共和党の支持基盤の白人高齢者は投票率が高く、民主党支持者が多い若者やマイノリティーは低い。民主党の弱点は投票率だが、拡大する抵抗運動には若者の姿も目立つ。

 NGO「ウィスコンシン市民行動」のケビン・ケインさん(29)は40回以上、市民集会や抗議運動を企画した。オバマケアを守るためだ。大学卒業後、健康保険を提供してくれる雇用先はなかった。はしかウイルスが目に入り、1カ月の間、ほぼ視力を失った。26歳になるまで親の健康保険に加入できるオバマケアのお陰で治療を受け、失明を免れた。>

 

しかし、個々人がしっかりした考えの基に、活動するのならともかく、単に反対するためだけの抗議であれば、ティーパーティと同様に、多くの支持を得られないように思います。とはいえ、いまアメリカの民主主義が危機にさらされているようにも思える中、一時的な非暴力の抵抗として許容されるようにも思うのです。

 

ちょうど一時間がすぎました。この辺で終わりにします。


米艦衝突の原因 <米イージス艦 艦長が負傷 不明7人捜索続く>などを見て

2017-06-18 | 安全保障

170618 米艦衝突の原因 <米イージス艦艦長が負傷 不明7人捜索続く>などを見て

 

今日はなにをテーマにしようかと悩んでいるとき、つい見出しのテーマを選んだのですが、医療に関わる記事もそれぞれ気になり、中途半端ながら、取り上げていると、これらと一緒にこの見出しテーマを扱うのはどうかと思い、二本立てにしました。

 

この問題に特段、関心を持ったわけではないのですが、TVニュースでなんどか放映されているそれぞれの船の損傷箇所の映像を見ていて、どうも腑に落ちないと気になり、資料もないですし、どうせこの問題は日米地位協定に基づき、米軍が対応する可能性が大で、海保が捜査しても情報がクリアにならないのではと思っています。まして私のような艦船のことも知らない素人ではわかるはずもないといえばそうですが、気になると、調べたくなる性分ですので、今日は一時間の枠をとり払って、少し検討してみました。

 

まず、なにが気になったかといいますと、それぞれの損傷箇所がどうも腑に落ちないのです。写真は見つかりませんでしたが、TV放映で最初に損傷したイージス艦を見たとき、まるで上から乗り上げられたような印象でした。むろん、コンテナ船は約3トンで、イージス艦は約0.8トンで、長さもそれぞれ22.6m154mですから、衝突すればコンテナ線が乗り上げても不思議はないといえばないでしょう。

 

しかし、<コンテナ船>の損傷箇所は、その写真

https://mainichi.jp/graphs/20170617/hpj/00m/040/001000g/3

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17H10_X10C17A6CC0000/

を見る限り、左舷の船首部分で、水面から相当高い位置です。しかも損傷は船首突端が一番ひどく、それ以外は擦過したような軽微なものです。しかも船首突端から斜め上方にかけて擦過的な傷跡しかありません。船首の甲板部分には外壁部に少し変形が見られ、上端部が数十mにわたって後方に折れ曲がっています。

 

他方で、イージス艦の方は、全体像の写真を見ると、右舷の真ん中より少し前方付近が大きく損傷しています。また、損傷箇所をアップした写真では人間の大きさと比較して推定すると、幅10m、高さ5m程度でしょうか、損傷規模の外形ではないかと思われます。

 

これで何が不思議かというと、損傷箇所の水面からの高さが、イージス艦とコンテナ船では相当違う印象を持ったのです。写真だけからの推測ですからいい加減なものですが(交通事故でもそのような判断はしませんが)、イージス艦は水面から数mの高さから5m上方まで損傷しているように見えるのです。他方で、コンテナ船は水面から5m以上の高さの地点に一番大きな損傷があり、それ以外の擦過的な傷、船首上端の折れ曲がりも10m近いところではないかと思うのです。

 

この原因はなにかといった推論は、今後、正確な資料・データが出てくれば、一笑に付されることになるでしょうけど、ここは勝手な推論を紡いでみたいと思っています。

 

一つの案は、衝突時は、船首部分がもっと吃水が深く、沈み込んでいたという仮定です。それは急展開したことにより沈み込んでいたのではという推論です。これは航海データ記録装置(VDR)を見ればわかりますね。すでにTV放送だったと思いますが、衝突直前頃に直角に曲がったと言った航跡が報道されていました。他方で、イージス艦の航跡は一切航海されておらず、今後どの程度開示されるかで、われわれももう少しわかるようになるかと思うのです。

 

他の案ですが、波が荒れていて、イージス艦がより水面にでていた、あるいはコンテナ船がやはり沈んでいたという推論です。

 

いずれにしても、普通に航行している状態の写真を見る限り、今回の衝突でコンテナ船のような損傷が起きることに疑念を抱いてしまいました。それはイージス艦の船体上部が水面からわずかしか出ていないことに驚いたせいかもしれません。そしてコンテナ船の損傷部があまりに水面から高い位置にしかないことに不自然さを感じてしまったのです。

 

それはともかく、もう一つは、船の交通ルールとしては、海上衝突予防法がありますが、米軍のルースで処理されるかもしれません。とはいえ、前者は国際的なルールを前提にしており、それほどの違いがあるとは思えません。

 

報道では、2船が同じ方向に航行中に衝突したというコンテナ船の乗組員情報を受けて、追い越し船とか、横切り船のルールを紹介しています。

 

昔、私の知り合いが海難審判に関心を持っていて、事件処理をしているといった話を聞いたことがあります。重大な事件を扱う東京の海難審判所や地方に7カ所ある地方海難審判所にあり、東京時代や横浜時代のいずれも多少興味を抱きつつ、関与した経験はありません。

 

で、その海難審判所が海上衝突予防法の条文を読んでも今ひとつ理解できない部分について、丁寧に解説しているので、参考にすることができます。

 

追越し船の航法>は、いたって簡単ともいえるように思えます。しかし、<横切り船の航法>を見ると、なにが追い越しで、なにが横切りなのか、結構難しいように思えます。むろん肉眼では判別するのが困難でも、今回の両船のようにGPSはもちろん高度な双方の航跡をレーダーなどでキャッチしているわけでしょうから、ここに書かれている識別基準を簡単に適用できるように思えるのです。しかも海上衝突予防法では、「自船が追越し船であるかどうか確かめることができない場合は、追越し船であると判断しなくてはならない。」とされているので、万が一にも間違った航法をとるとは思えないのではないかと一応は思います。

 

しかし、イージス艦はこの最後の基準が彼らの遵守すべきルールだったのでしょうか。それも残された問題かもしれません。

 

あるいはイージス艦が、なんらかの理由で、軍事的行為が優先されると誤解して、コンテナ船の前に出ようとして、コンテナ船が自船の走行を妨げないように減速あるいは右側に回避する走行をすると誤解したか、あり得ないとは思いつつ、一つの想定として考えておいてもいいのかと思ったりもします。

 

さて、コンテナ船について、情報を入手しようとしてネット情報を探したら、

NYK Container Line コンテナ船「ACX CRYSTAL」と米イージス艦「FITZGERALD」の衝突事故について>や当該船のデータ<ACX CRYSTAL Master Data>が見つかりましたが、詳細はベールで隠されていました。

 

そろそろいい時間となりました。この程度で今日は終わりとします。

 


医療の今を少し考える <疲弊する勤務医>などを読みながら

2017-06-18 | 医療・介護・後見

170618 医療の今を少し考える <疲弊する勤務医>などを読みながら

 

昨夜は疲れで早く寝たら、案の定、真夜中に小鳥の賑やかな音で目覚めました。野鳥もそのときの気分なのか、種類によって違うのか、真夜中に騒ぎ立て、少し明るくなると一時期静かになり、朝日が出てくるようになると次第に軽い鳴き声からどんどんと大きなさえずりになるということもありますが、なかなか一般化はできませんね。

 

今朝は早暁の明るさの中、新聞を読んでいました。医療に関わる問題がいろいろ取り上げられ、新しい立法や運用の改定、一つの処分、それぞれに喜怒哀楽を大きく含んでいる問題かなと感じてしまいます。

 

<疲弊する勤務医>の見出しで、長い間問題にされながら、なかなか改善されないままでしたが、昨年1月、一人の女性研修医が過労で自死し、先月末労災認定を受けたことから、電通事件と同様に、その問題の深刻さと、他方で改善を試みる病院が紹介されています。<研修医自殺疲弊する勤務医 長時間労働が常態化 過労死ライン超6.8%は、真剣に取り組むべき問題だと思います。

 

妊婦禁忌薬厚労省が処方容認へ 3品目、難病に配慮も<禁忌薬処方容認へ 治療と妊娠、両立へ道 薬やめ2度流産「地獄の日々」難病女性で妊娠と闘病に苦しんできた人たちにとっては朗報でしょう。この記事で注目したいのは、それまでの医師の処方だと<26歳で発症し、32歳で結婚。妊娠を希望して抗リウマチ剤の服用をやめ、別の薬を使うことに。身動きが取れないほどの痛みや副作用に悩まされ、入院や実家での生活を余儀なくされた。>ところが、<別の医師が禁忌の説明をしたうえ「タクロリムス」などを処方したところ、症状は改善。医師の勧めで国立成育医療研究センターに転院した。>というのです。<「医師によって人生が大きく変わる。妊娠の希望に沿った積極的な治療が広がれば」と願う。>

 

本来、薬は副作用があるわけで、それを患者それぞれの状態に応じて個別に対応すれば、大きく違ってくるというのは診断・治療・処方の基本だと思うのですが、そのような個別的対応が医師によっては適切になされていないこともあるでしょう。厚生省の方針はその意味では苦しんできた人たちにとって光がともされることになることを期待したいです。

 

今国会で刑法改正により性暴力被害に対して厳罰化が進むなど、犯罪対応としては大きく前進したかもしれません。しかし、性暴力の被害者の心身ケアへの対応は、それに対応する施設、ましてや専門医やカウンセラーなどスタッフがきわめて不足しています。<性暴力をなくすために/中 足りぬ支援施設、人材は、その深刻な状態を連載で報じています。和歌山県でも<性暴力救援センター和歌山 わかやまmine(マイン)が平成25年から活動していますが、周知が十分でなく、また同様にスタッフ、施設が不足していると聞いています。いまなお減らない性暴力の問題は、DVやストーカー被害とも共通する背景があるように思えます。まずは被害対応が重要ですが、さらにそのような性暴力を行う、あるいはそれを生み出す社会的背景にもメスを入れて予防的対応が必要でしょう。

 

臓器提供脳死男児の両親が決断 幼き鼓動つないだ 移植法20年、父「誰かの一部で」>もまた論争の多いテーマかもしれません。移植法ができ、次第に浸透しつつあるものの、15歳未満の臓器提供例は14例にとどまり、6歳未満だと7例となっています。ドナーカードも普及してきましたが、子どもの死に直面した両親は、いくら法改正で家族の承諾だけで可能になったとはいえ、難しい選択でしょう。

 

 


他人の宿 <民泊 営業停止求め提訴 マンション組合・・>を読みながら

2017-06-17 | 都市のあり方

170617 他人の宿 <民泊 営業停止求め提訴 マンション組合・・>を読みながら

 

今朝も早暁前に目覚め、明るくなってからも昨日の疲れか床の中で何をするでもなく、やっと起き上がったときはもう6時近くになっていました。

 

やはり一昨日の深夜に及ぶ談論奮発とまた一杯が体全体に休みを促しているのかもしれません。私は他人の家でゆったりと飲みながら談話するのが好きでした。日本ではあまりそういう機会がなく、ついつい居酒屋、レストランなど外が多いですね。ましてや宿泊となるとホテル・旅館でしょうか。

 

外国生活の中で、他人の家で飲食談話することが普通だったり、泊まったりする経験があったのですが、私の場合自然に溶け込んでしまいました。日本ではなかなかそういう機会はなく、私の依頼人で友人的つきあいをするような人の中で、別荘に誘ってもらったり、その自宅でいろいろなタイプの客人と一緒に食事を楽しんだりというのは例外的でした。その方は長くアメリカ生活をされていたことから、大先輩でしたが家族づきあいをしていただきました。

 

先日わが家に泊まった依頼人も、少し若いですが、独自の考え方をもち、既存の価値観にとらわれない点で私も共感するところがあります。私も先方まで遠出すると泊まらせていただき、もちろん仕事の話もしますが、話題はなんでもありとどこまでも広がります。

 

で、こういう他人を家に泊まらせるというのは、現在では珍しいように思うのですが、昔からそうだったのかなと思っています。

 

先住民の集落を訪れたことが何度かありますが、むろんホテルなんてありません。たとえばロングハウスという、長屋的な長い木造の集団が暮らしている家で、各家族の空間は独立の仕切りがあり、そのリーダー的な人の部屋の一画に泊めさせてもらいました。といっても、下は板張りの床一枚、さすがに慣れるまで寝付けませんでした。布団なんてありませんが、仕切りのない一角で一緒に行った男女のメンバーが雑魚寝です。ま、山小屋よりはましですが。なんせゆったりしているのですから。

 

そのような宿泊施設の中身は別にして、彼ら先住民は、よそ者であっても危害を加えるのでなければ、安心して家に招いて泊まらせてくれるように思うのです。それは縄文時代もそうだったのではとふと思ってしまいます。いや江戸期のお伊勢参りや出雲参りなどでも、お金のある人は宿に泊まったでしょうけど、そうでない人、道に迷った人は、ついつい普通の農家の家に助けを求めたのではないでしょうか。

いま思い出せませんが、明治10年頃、東北・北海道を一人で旅したイザベラ・バードもまた、そういう経験をしたような記憶があります。

 

宮本常一著「イザベラ・バード」(講談社学術文庫)194pでは次のような一説があります。

 

「北海道は歩いてみるととても平和で、駒ヶ岳のふもとの小沼までイザベラ・パードは一人

で行っているのです。

 

『〔この夕方の少なからぬ魅力は、〕私が函館から一八マイルの旅を、伊藤も他の誰もお供させずに、馬に乗ってやって来て、まったく私一人でいることである。私は馬の荷物を下し、日本語の名調をなんとかうまく用いて丁寧に頼んだので、良い部屋と夕食を確保することができた。・・・』

 

つまり女一人が来て日本人だけの村へ泊まることができたということ、また、立派な馬に乗っているということで信用されるわけです。」

 

ここでは宿泊施設が整備されていること、女性一人の旅でも安全が保証されていたことが指摘されていますが、それは伊勢や、出雲などの名所旧跡までのるーとだけではなく、日本中至る所だったのです。会津戦争やその影響で飢餓状態であった東北の奥地ではとても不潔で食べるものもないような状況でしたが、たいていは古い時代からの駅逓制度が長く存続していたのだと思います。

 

そのような環境は、あるいは縄文や弥生の生活文化の影響からか、人里離れたムラで、宿泊先もないとき、普通の百姓も旅人が困っていると泊まらせていたのではないかと思うのです。イザベラが農家に頼んで馬小屋の隣かどこかに泊まらせてもらったことがあったように記憶しています。アイヌのでもそれに近いことがあったのではと思うのです。

 

イザベラは、見知らぬ文化・生活などに貪欲なほど関心を抱き、注意深く洞察し、また質問をしています。宿泊を通じてアイヌにいろいろ尋ねるのは当然ですが、そういった百姓にも文化の交流をしていたように思うのです。

 

余談が長くなりましたが、見出しの記事を読みながら、旅と宿、文化や生活の交流と、その場所としての条件を少し考えてみたいと思います。

 

毎日朝刊は、<民泊営業停止求め提訴 マンション組合が所有者に 東京・目黒>の見出しで、いまはやりの民泊をマンション区分所有者が自宅で経営していたことが問題となり、管理組合が当該所有者に対して損害賠償請求の訴訟を提起したというのです。

 

さてマンションを購入する人で、どれくらいの人が管理規約を熟読する人がいるでしょうか。というか、マンションの集団的共同所有という所有形態について、マンションが一般化して半世紀以上経過していると思いますが、さほど意識が高まっているとは思えないのです。

 

ところで、管理組合側は、<「居住目的以外の使用を禁じる」とする規約に反している>ことを理由にしているわけですね。これに対し、所有者側は、<旅館業法の許可がないことを認めつつ「近く住宅宿泊事業法(民泊新法)が施行され、届け出制になることが決まっており、旅館業法上の実質的な違法性は失われている」>と反論しているようです。

 

この住宅宿泊事業法については、後で少し取り上げたいですが、行政法違反だけで違法といえるかは一つの争点です。とはいえ、所有者側の主張する届け出制になったからといって、後で触れるように届け出制といっても一定の条件を整備する必要があり、はたして具備するかどうか疑問が残りますね。

 

それよりも根本的な問題、管理規約違反かどうかですね。まず、「居住目的以外の使用を禁じる」という条項は多くのマンション管理規約で採用されているものではないかと思います。規約といえども、公序良俗(ま、社会常識で規範性のあるものでしょうか)に反していたり、合理性を欠いているとき、そのまま適用できるわけではありませんが、この条項自体は穏当なものではないでしょうか。

 

すると居住目的以外の使用に該当するかどうかですね。通常の居住用に賃貸することは禁止されていないと思います。では民泊といった多様な旅行者に宿泊施設として利用させることはどうでしょう。居住というのは、基本的には定住を予定(むろんいろいろな理由で途中解約はあり得るでしょうけど)しており、まさに生活の場としての利用ではないかと思うのです。事務所や事業所、施設は、規約上、例外要件が定められていてその要件に適合すれば別ですが、アウトでしょう。と同様に、旅館業法違反はなんとなく筋違いのようにもおもうのですが、違法な事業であれば違法性が補充されるかもしれませんね。でも本質論ではないように思うのです。

 

実態として、このような民泊が一般の生活の場として居住している区分所有者、あるいはその借り主にとっては、外国人を含め多くの見知らぬ人が出入りするといった事態は、マンションがもつ居住空間という基本的な条件を侵すことになるかと思うのです。

 

とはいえ、これもベーシックな見方であって、これですべて解決する基準かというとどうかと思っています。このマンションが<分譲ワンルームマンション(46室)>という点にすこしひっかかります。こういったワンルームマンションの場合、居住性がどこまで厳格に求められているか、これはケースバイケースかもしれないとの見方もあり得ると思うのです。目黒のどういった地域か、地域性との関係もあるでしょう。商業地域や近隣商業地域内といった場合に、その居住性要件が規約上厳格に求められているかどうか、利用実態によっては、違法性がない、あるいは弱いこともあるかもしれません。

 

この話はこの程度にして、住宅宿泊事業法について、最後に少しだけ触れておきたいと思います。これをネットで調べると、<民泊の教科書>などと行政書士がホームページで懇切丁寧にその内容を紹介し、この届け出制という事務を業務にしようと営業展開がなかなかのものですね。民泊の事業化も競争が激しいでしょうけど、行政事務の競争もなかなかのものですね。

 

で、<住宅宿泊事業法案の概要>は、やはり国交省の報道を参考にした方がいいかと思います。<その閣議決定>の中にいろいろ掲載されています。

 

民泊が同法の成立を促した背景には、さまざまな問題を起こしたことが大きな要因の一つだと思います。その対応としては

 

     住宅宿泊事業(民泊サービス)を行おうとする者は、都道府県知事への届出が必要 (年間提供日数の上限は180日(泊)とし、地域の実情を反映する仕組み(日数制限条例)の創設)

    家主居住型の住宅宿泊事業者に対し、住宅宿泊事業の適正な遂行のための措置(衛生確保措置、 騒音防止のための説明、苦情への対応、宿泊者名簿の作成・備付け、標識の掲示等)を義務付け

    家主不在型の住宅宿泊事業者に対し、上記措置を住宅宿泊管理業者に委託することを義務付け

    都道府県知事は、住宅宿泊事業者に係る監督を実施 都道府県に代わり、保健所設置市(政令市、中核市等)、特別区(東京23区)が監督(届出の受理を 含む)・条例制定事務を処理できることとする

 

と届け出制と、住宅宿泊事業の適正な遂行のための措置(衛生確保措置、 騒音防止のための説明、苦情への対応などですが、はたしてこれで問題に対処できるか疑問を感じる人は少ないでしょうね。

 

他方で、地方で、周囲の人たちといい関係を作りながら、いわゆる民泊を独自にやってきた人たちにとっては、手続き的に煩わしいだけとしかうつらないかもしれません。

 

法律全体に、民泊の魅力を打ち出すものになっているとは思えないのです。いや法律ではそんなことは関係ない。経済性を追求するのも条件さえ満たしていれば結構ですというのでしょうね。

 

そこには先住民が長い歴史の中で培ってきた、他民族との交流と融和といったものが入る余地がなさそうです。旅人を心からもてなす、江戸時代までに培われた日本のよき風習といったものも、蘇りを期待することは考え違いなのかもしれません。

 

そんな不平を言っても仕方がありません。国家戦略特区の運用、共謀罪を取り込んだ改正法など、そこには公正な内容や手続き的な適正さについて国民の信頼を失いつつある現政権の問題があるように思うのです。この民泊法には日本のよき伝統、オリンピックで招致のうたい文句となった「おもてなし」の思想のかけらもうかがえないように思うのはうがった見方でしょうかね

 

いつの間にか1時間をとっくに超えてしまいました。この辺で終わりにします。


3D画像測量 <論語 有朋自遠方來。不亦樂乎。>を思い出しながら

2017-06-16 | AI IT IoT

170616 3D画像測量 <論語 有朋自遠方來。不亦樂乎。>を思い出しながら

 

昨夜は久しぶりに酒を一杯、また一杯でした。依頼人でもあり、友ともいえる来客が遠方から来て、深夜まで語り尽くしました。つい論語を思い出してしまいます。

 

論語 学而第一 1

子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。

 

また、李白の

 

七言絶句「山中幽人と對酌す」

 

  兩人對酌山花開  兩人對酌すれば山花開く

  一杯一杯復一杯  一杯一杯また一杯

  我醉欲眠卿且去  我醉ひて眠らんと欲す卿且(しばら)く去れ

  明朝有意抱琴來  明朝意有らば琴を抱いて來れ

 

の気分に浸る思いでした。テーブルの上では、私が最近好んで飲んでいる泡盛の瓶が空になりそうでした。普段はパックの安いものを買っているのですが、今夜少々気張って「千年の響き」という名前もいい少々お高いものにしました(日本酒やワインに比べれば安いものですが)。でもいつもの安物と味の違いがわかったわけではありませんが。でもいろいろな話題を議論するのは酒の味にうまみを湧出するように思えます。

 

テーブルの下には共謀罪法案の成立が大きく掲げられた新聞記事がありました。

 

杜甫の五言律詩「春望」でも高吟できればいいのですが。

 

  國破山河在  國破れて山河在り

  城春草木深  城春にして草木深し

  感時花濺涙  時に感じては花にも涙を濺ぎ

  恨別鳥驚心  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

  烽火連三月  烽火 三月に連なり

  家書抵萬金  家書 萬金に抵す

  白頭掻更短  白頭掻けば更に短く

  渾欲不勝簪  渾(すべ)て簪に勝(た)へざらんと欲す

 

さて酒の席の話はここまでとして、依頼人が持参した3D画像がとても興味をひくものでした。仕事に関係することもあり、また、私がこの種のソフトに関心を抱くことを知っていることもあり、わざわざ持参して披露してくれたのです。

 

それは座標測量の結果を3D画像化したもので、対象は墓地です。広大な墓地全体の地形はもちろんのこと、墓石一つ一つ、階段や周辺の樹木の幹や葉っぱもすべて座標点があり、それが3D画像になっているのです。

 

この画像を利用すれば、多様な用途に活用できるというのです。地震災害などで墓石がたくさん倒れて元の位置・配置や、どこにどの墓石があったかといったことは当然mm単位で再現できるのです。

 

また新たに手すりをどのようにつけるかといったことも、模型を利用してシミュレーションするような作業なども簡単にできます。この立体画像の自由に動かすことができるので、景観上の視点場とか、景観の変化も、思いのままに創出できます。

 

これを見ながら、斜面地を活用して公園計画を策定するとかといったことも、既存の一本一本の樹木形状・配置が正確に把握できた上、どのような将来的な林相にするか、その場合にどのような散策路などが現行地形の中でより魅力的で安全につくれるかといった多様な方面に活用することができるかなとも思ってしまいます。

 

また、違った局面を考えれば、たとえば私が参加している大畑才蔵ネットワーク和歌山の事業などで、仮に活用できれば、才蔵が作った小田井用水を現況地形の中に3D画像として復元して、その工法の魅力をよりリアルに体験できることもできるのかなといった夢想までしてしまいます。

 

ちょっとウェブ情報で、検索したところ、<Dレーザ-スキャナー計測の概要と機能>や<トータルステーション使用による地形測量と3Dレーザースキャナー使用に地形測量を比較>など多数が見つかりました。

 

とくに後者の情報では、<3Dレーザースキャナー使用に地形測量>では

 

<作業時間:約3時間

作業人数:2名

取得座標:26万点

測量範囲:約3万㎡>

 

と広大な範囲をわずか3時間、たったの2人で、取得できる座標点が26万点(上記の墓地の場合はたしか100万点を超えるとか言っていましたね)とものすごい仕事効率化が実現できているようです。

 

こうなるとさらにドローンなどを使えば、さらに広範囲に短時間で座標点を取得して、3D画像を容易に作ることができ、用途はどんどん広がるのではと期待します。

 

たとえばいま気になっている高野の山々、周辺全体、紀ノ川や有田川なども含め3D測量して画像化でき、その座標点をそれぞれ自由に動かせれば、いろいろな考案ができそうな気がします。

 

Google Earthのリニューアル版の3Dではまだ達成できていない、地形や林相の把握、樹木一本から全体の材積量の把握も簡単にできるのではと思ったりしています。私の稚拙な希望であるそれぞれの山頂を比定することなど朝飯前ですね。いや、高野山の寺々の景観的なビューポイントなど簡単に把握できるでしょう。ま、こういった観光的要素にも活用できますが、私としては、なぜ空海がこの地を選んだかに迫る、地形的な意味合いをこういった3D画像で導き出すヒントが生まれるのではないかと言った期待もあります。

 

さらにいえば、中央構造線の成り立ち、山岳形状の形成過程を3D画像を通して類推する一つの手法を見いだせるのではないかなんて思いもあります。

 

と勝手な想像の話をしていると、一時間が経過していました。昨日は遅くまで話し、今朝はいつものように黎明の中目覚め、睡眠時間も少ないため、少々疲れ気味となり、今日はこの辺で終わりにします。