たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

性犯罪への対応 <性犯罪被害者の声、国動かす ・・>などを読みながら

2017-06-22 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

170622 性犯罪への対応 <性犯罪被害者の声、国動かす ・・>などを読みながら

 

今朝は昨日の雨の影響でしょうか、その冷気が大地や大気に残る感じででした。TV放映では昨日は紀伊半島南端の新宮市など各地で豪雨災害があったようですね。紀伊山脈の影響なのか、あるいは梅雨前線や高気圧の位置関係のためなのか、紀ノ川沿いはあまり影響がなかったように思います。しかし、異常気象はいつどこでどのような事態になるか予測不可能なのが昨今の状況でしょうか。油断はできませんね。

 

午前中はある株主総会に出かけていましたが、時間があったら別枠でそれに触れたいと思います。すでに5時をとっくに過ぎていますので、まずは本日のテーマを見出しに決めて、これを簡潔にまとめられればと思いますが、わかりません。

 

さて、今日の毎日朝刊は<ぷらすアルファ性犯罪被害者の声、国動かす 刑法規定、110年ぶり見直し>との見出しで、110年ぶりの刑法規定の見直しを取り上げています。従来の「強姦罪」の規定を「強制性交等罪」という名称に改め、<法定刑の引き上げ▽被害者の性差解消(男性も被害者に)▽親による性虐待を罰する「監護者わいせつ罪」の新設>などにより、性犯罪に対して大きな見直しを行っています。

 

朝日新聞は616日付けで<性犯罪厳罰化、刑法改正案成立へ 強姦罪の名称改め>と報じるなど、報道各社は簡潔に報じていたと思います。それで内容を精査しようかと思って法務省のウェブサイトを見たのですが、それらしい発表が見つかりませんでした。テロ等準備罪については簡単なものがありましたが、刑法改正については審議会などの情報はあっても、法案そのものを記載したもの、解説したものが一切見つかりませんでした。ま、ざっとしかみませんので、なんともいえませんが、普通はどこの省庁でも所管の法案については相当詳細な情報が掲載されているのですが、不思議です。

 

とりあえず<衆議院の提出時法律案>を引用します。

 

刑法(明治四十年法律第四十五号)の一部を次のように改正する。

 目次中「姦淫」を「強制性交等」に改める。

 (以下、相当数の名称変更の改正が規定されていますが省略します。)

 

 第百七十九条を第百八十条とし、第百七十八条の次に次の一条を加える。

 (監護者わいせつ及び監護者性交等)

第百七十九条 十八歳未満の者に対し、その者を現に監護する者であることによる影響力があることに乗じてわいせつな行為をした者は、第百七十六条の例による。

2 十八歳未満の者に対し、その者を現に監護する者であることによる影響力があることに乗じて性交等をした者は、第百七十七条の例による。

 (以下も同様の趣旨で省略)

 

 第二百四十一条を次のように改める。

 (強盗・強制性交等及び同致死

第二百四十一条 強盗の罪若しくはその未遂罪を犯した者が強制性交等の罪(第百七十九条第二項の罪を除く。以下この項において同じ。)若しくはその未遂罪をも犯したとき、又は強制性交等の罪若しくはその未遂罪を犯した者が強盗の罪若しくはその未遂罪をも犯したときは、無期又は七年以上の懲役に処する。

2 前項の場合のうち、その犯した罪がいずれも未遂罪であるときは、人を死傷させたときを除き、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思によりいずれかの犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。

3 第一項の罪に当たる行為により人を死亡させた者は、死刑又は無期懲役に処する。

 (以下も同様の趣旨で省略)

 

この法改正について、毎日記事は性犯罪被害者の要望と対比して、簡潔に要約しています。

 

<性犯罪被害者が求めた改正点

 ※○は実現、×は実現せず

(1)法定刑の引き上げ          ○

(2)被害者の性差解消          ○

(3)親による性虐待を処罰する規定の新設 ○

(4)学校教師やスポーツ指導者の処罰規定 ×

(5)「暴行・脅迫要件」の廃止      ×

(6)年少者の性被害の時効停止      ×

(7)非親告罪化             ○

 ※(7)は反対する被害者もいる>

 

上記の(4)は類型的にも問題視できるように思えます。議論不足か、「共謀罪」法案の議論の中で、十分な議論を尽くす時間もなかった影響もあるでしょう。(5)は裁判例の中でより要件を緩和する解釈は期待できるようにも思うのです。(6)は理想的には最もと思いつつ、果たして時効制度とうまく整合性がとれるか難しい判断ですね。

 

<「男性が思う『嫌よ嫌よも好きのうち』は大きな間違い」「同意のない性行為は犯罪」。>というのは、至極ごもっともです。ただ、これを見て、映画Disclosureの核心的な一場面を思い出しました。女性の上司が部下で昔の恋人に性交を迫る、セクハラ・パワハラの場面で、なんども男性がNoというのを無視して強要する場面があり、その後男性がセクハラしたと左遷されそうになり、仲裁裁判を提起し、その審理の中で、男性側の弁護士が、NOと言ったのが何十回(偶然録音されていて数えた)といったのに対し、上司の女性がNONOというのは本気でないといった趣旨の弁解をしたのに対し、男性側弁護士はNONOだと言うのです。ま、このやりとりはものすごくおもしろいので、細々と言い出すといけませんのでこの程度にします。

 

たしかこの映画、カナダで見たのでもう20年以上前ですが、すでに女性によるパワハラ、セクハラが北米ではある程度あったのでしょうね。

 

ともかく上記で省略した条項の中で、重要なポイントがあります。いままでは女子が被害者として想定されていましたが、それを「者」として、男女いずれも被害者として想定したのです。性差はないのですね。むろんわが国ではほとんどといっていいくらい女性が被害者でしょうけど、今後は男性被害者も当然、でてくるでしょうね。

 

親や義理の親など監護者によるDVを絡めてた強制的な性交は実態として少なくないように思えます。これが18歳未満の者ということで、未成年者を監護する者だけを想定しているようですが、それで十分か、監護者の範囲を限定しすぎていないかは問題と思っています。

 

ま、私自身は、従来の強姦罪とか強制わいせつ罪とかをほとんど担当したことがなく、できればやりたくない、やるとすれば絶対にえん罪の可能性がある場合というスタンスでしたので、この分野の犯罪実態や処罰の状況はあまり知りませんので、この程度にします。

 

性犯罪が起こった場合の対応(むろん予防的機能もありますが)としての今回の刑法改正はそれなりに効果があると思います。他方で、やはり起こらないことが一番ですね。

 

性暴力をなくすために/上 被害者の声、ようやく法に 悪夢、トラウマ 苦しみ知って>を初め

性暴力をなくすために/中 足りぬ支援施設、人材

性暴力をなくすために/下 自制する力 教育で

の連載記事は貴重な情報だと思います。

 

そろそろ一時間になりました。別の話題も少し取り上げたいので、この辺でこのテーマは終わりにします。


高層ビルの危険 <ロンドン火災「釜山、上海と似る」>などを読んで

2017-06-21 | 災害と事前・事後

170621 高層ビルの危険 <ロンドン火災「釜山、上海と似る」>などを読んで

 

今朝は久しぶりの雨。とはいえ小糠雨程度でした。予想ではかなりの降雨量が各地で発生するような予報でしたが、当地はほんのおしめり程度でした。これでは田んぼや畑をもつ農家にはとても恵みの雨とはいえないでしょうね。

 

わが家から見る近景はスギ・ヒノキ林、中景は谷底に広がる柿畑と棚田状のわずかな田んぼ、そして谷から上る丘陵部には低層の住宅地、その手前は白壁の蔵のある瓦屋根の家が点在しています。そして遠景は高野の山々から西方に和歌山市近くまで延びる低山が連なっています。

 

なによりいいのが、高層ビルがないことでしょうか。当地にも数えるほどですが10階建て程度のビルないしマンショが数えることができるくらい、ほんのわずかにあるくらいです。この紀ノ川南岸になるとそういった高層建築物もなく、まさに農業振興地域らしい風景となります。そこになにか住宅地・商業地・農村としても、安らぎを感じるのは私だけではないのではと思うのです。

 

消防署も小さいのが市役所そばにありますが、高台に多少大きめのがあり、それ以外に地域によっては地元で消防団が作れ、消火活動の補助的役割を担っているようです。時折消防車のサイレンが鳴りますが、大過なくきているように思えます。いわゆる木造密集地域がありますが、それぞれの長年の注意で、大きな火災にはなっていないようです。

 

さて今日は、もう6時をすぎてしまいましたが、報道ニュースを見ても、加計学園問題や豊洲市場問題などがいつものように賑わっていて、ちょっと食指が動かず、何日か前の日経アーキテクチャの記事を思い出し、見出しのテーマで書いてみようかと思います。

 

この<ロンドン火災「釜山、上海と似る」>の記事では、<英国のロンドン西部に立つ高層公営住宅で614日午前1時ごろ(日本時間14日午前9時ごろ)に大規模火災が発生した。24階建て(120戸)の「グレンフェル・タワー」は最上階まで炎に包まれた。>とされています。

 

私もTVでほんのちょっと垣間見ただけですが、すごい火炎でまるだタワーインフェルノの映画を見ているようなかんじになりました(中身は覚えていませんが)。わが国でもこの種の外観がすっきりした形の高層ビルが増えてきましたね。いやこのレベルではなく、2000年代ころからはこの2倍近い超高層ビルが林立するようになったと思うのです。

 

私自身は、若い頃は高いところが好きでしたので、高層マンショにも住んでみたい気持ちもありましたが、せいぜい10回程度のマンションに住んだくらいでした。90年代中葉以降は戸建て住宅しか住んだことがないのは、そういった高層マンションに興味がなくなったというよりは、その周辺に与える影響を考えると、戸建て住宅を選択することになったのかなと思うのです。

 

最初の感覚は、カナダ・バンクーバーで、当時、香港が中国に返還されるということで、多くの香港人・資本が海外に移民したのではないかと思います。その中でも、バンクーバーは割合、移民受け入れも寛容で、住みやすかったのではないかと思うのです。で、私がバンクーバーを訪れたのが94年でしたが、そのころ、建築ラッシュで、外装がガラス張りのような高層ビルが軒並みに建っていました。たしかに外観はきれいに見えるともいえますが、私自身は興味がそがれてしまいました。むろんバンクーバーはたしか5つくらいの市が大バンクーバー都市圏を作っていて、インフラなどを共同化していた記憶で、郊外はすてきな住宅街が広がってはいましたね。

 

私の友人の教授はカルガリーに住んでいましたが、バンクーバーは以前の面影がなくなり、地価も高くなる一方だし、あまり住みたいとは思わないといって、私と同じ思いを抱いていました。

 

で、余談を挟んでしまいましたが、本論のロンドンの高層ビル火災の原因についてはまだ事実関係が明らかになっておらず、ここでは建築専門家のいくつかの推論を踏まえて、考えてみたいと思います。

 

まず、防耐火技術に詳しい早稲田大学創造理工学部建築学科の長谷見雄二教授は、いくつかの推論を示しています。

 

長谷氏は過去に起こった<201010月に韓国の釜山で起こった高層ビル火災(38階建て高層雑居ビルの4階から出火、外壁沿いに上層まで延焼した)や、中国の上海で1011月に発生した超高層住宅の全焼火災(28階建て高層住宅の火災で58人が死亡、関連記事はこちら)と基本的に構図は同じだ。>というのです。

 

何がかというと、<「基準整備の立ち遅れ」や「工事現場の安全管理のずさんさ」という要因>です。それは<欧州ではきちんとした実験的検証をせずに、計算づくで基準をつくってしまう傾向>であるとか、<「施工の問題」や「複数部材の接合部などをどう扱うか」というような点を軽視し過ぎている>とかの問題です。

 

より具体的な指摘があります。<「断熱のある外装(外断熱工法)の防火基準は、火災対策からみた場合にあいまいな点>があり、それは<外装に火炎が侵入しないようにする処置の仕方だ。断熱材や空隙のある外装を建物躯体の外壁に施工する場合、火災で火炎が窓から出てくると、外装・躯体間に火炎が侵入して煙突のように火炎が広がり大問題になる。火炎が侵入しないようにする必要があるが、その処置が明確ではない。>

 

たしかに外装部から炎上が広がっているようにも見えます。しかも<隙間ができないようにしたり、火災で加熱されたときの変形が生じないようにする方法が、どんな外壁や窓枠でもうまくいくようにするのは、容易ではないのではないか。>と施工方法の困難さを指摘しています。

 

長々と引用しましたが、現在わが国も外観がきれいな高層ビルがどんどんできあがっています。そして従来、マンションなどでは内断熱が中心だったと思うのですが、外断熱の有効性が強調されるようになり、欧米の外断熱方式が採用される場合も増えてきたのではないかと思うのです。その場合に、上記のような指摘がわが国の高層ビルにも妥当する可能性も感じてしまいます。

 

もう一つの記事<ロンドン火災、外観形状も延焼の速さに影響か>は、現在は火災原因の鑑定業務などを手掛けるベルアソシエイツ(東京都大田区)の鈴木弘昭社長の見解です。それは形状の点でも、住居系ビルの場合はベランダが多いわが国ですが、事務所系だとまさにこの推論が妥当しますね。

 

<火災現場となった高層マンションは外観はほぼ角柱状で、外側にバルコニーなどの突起物らしきものが見られない。こうした建築物で火災が発生した場合、建物外側に生じた炎は外壁に沿う形で上階に昇っていく。その際、バルコニーなどの突起物があれば、上昇する炎にとって障害となる。炎は建物の外側に巻くような形で伸び、上階の開口部からはやや離れることになる。>というのです。

 

<建物の外側に障害となる突起物がなければ、炎は外壁に沿う形で上に伸び、上階の開口部に直接接することになる。開口部に耐火ガラスなどを用いて炎の室内への侵入をある程度防いだとしても、輻射熱で室内のカーテンなどが発火するケースは少なくない。そうして上階の室内にも延焼が広がり、火の勢いはさらに増す。>

 

あのバルコニーの突起が外壁部からの炎上が上昇延焼するのを妨げる役割を果たすなんて、想像もしませんでしたが、滑らかな外壁線が容易に炎を上昇させるのを加速させるというのはなんとなくわかります。私の野焼きの経験からは、炎は基本的に上昇しますね。ただ燃焼物質がなければ炎自体は途中で空中で小さい火花となって飛び散る程度で終わります。でも燃焼する物質とかがあればどこまでも上っていきますね。

 

私はシュロの木で体験しました。偶然、近くあった高さ78mのシュロの木の根本付近に野焼きの火の粉が飛んでいき、あっと思った瞬間、木のてっぺんまで燃え広がりました。シュロの表皮は燃えやすいので黒焦げになりました。中身は燃えていませんでしたが。外壁部も外断熱方式で、一旦、一定の高熱になると、燃焼物質として最上階まで広がることを容易にするのかもしれません。

 

この点、<複数の報道によると、このマンションは外断熱方式だったという。外装材の継ぎ目と見られるラインで、炎が内側から外側に出るように上がっていた点は、そうした情報と合致する。>継ぎ目の問題という指摘でしょうか。

 

またこういう指摘もしています。<外装材自体は燃えなくても、熱によって断熱材が溶けてガスが発生し、パネルの継ぎ目から放出。それに火が付いて延焼範囲を急速に拡げたというメカニズムだったのではないかとみている。>

 

外観のよさはあっても、防火対策が的確にできていないと、高層ビルは、危険な建築物の象徴になるかもしれません。わが国の高層マンションについても言及がされてもよいかと思うのですが、いまのところそのような議論は見当たりません。

 

もう一時間を超えてしまいました。今日はこの辺で終わりとします。


首相の品格 <首相「私の姿勢、深く反省」 閉会後も説明>を読んで

2017-06-20 | 政治 経済

170620 首相の品格 <首相「私の姿勢、深く反省」 閉会後も説明>を読んで

 

最後に関係ないですが、<岡山・加計学園獣医学部新設問題 首相「私の姿勢、深く反省」 閉会後も説明>の記事を少し取り上げます。

 

安倍首相の会見、総理として、自民党総裁として、その品格のなさといっちゃ失礼かもしれませんが(ご本人は品格を大事にされていると思いますので)、残念な思いです。最初に謝罪するのはいいとしても、なにか表面的にしか見えないのは偏見でしょうか。問題を起こったら、心から誠実に謝罪しないと、かえって反発を受けるのは、これまで事故や不祥事が発生したときの企業リーダーの発言・態度によってであることはリスク管理の問題として繰り返されたことですね。

 

「印象操作」といった言い方をあえて取り上げて、その反論に問題があったといった説明の仕方では、謝罪の意思はうわべだけとしか思われないのではないでしょうか。たしかに野党の追及の仕方にも問題がなかったとはいえないかもしれません。しかし、過半数、あるいは32以上の与党を要する総理総裁として、本来、余裕を持って対応できるはずですし、野党の質問の揚げ足をとってみたり、あるいは自ら印象操作といった発言までして、国会の議事進行を愚弄したのは誰でしょう。ただ、官僚が用意した資料を読むだけでは困ります。問題となっている国家戦略特区の施策自体の内容をただ読み上げるのでは国会で議論する意味がありません。野党の質問に対して真摯に答える度量と誠実さを持つべきは、日本国の首相としての識見ではないでしょうか。首相の品格の問題でもあると思うのです。

 

ま、大勢の人がそう思っていると思いますので、私がわざわざ言うこともないのですが、安部首相が官房副長官か長官にデビューした頃は、なかなか歯切れがよくて、説明も割合的確で、期待していたのですが、政権運営に至っては、第二次政権でも簡単な第一と第二の矢は放たれたのですが、第三の矢がもたついている状態で、それはがんがん一方的にやっても効果が上がるとは思いません。

 

安部首相の記者会見や、国会での答弁を見ていると、自分の意見に疑問を差し挟むような人に対しては徹底抗戦をするように見受けられ、そうなると、閣議や内閣官房では、もしかして唯我独尊状態になっていないか、不安になります。

 

この話はこの程度にして、いつの間にか2時間以上経過してしまい、7時になりそうなので、今日はこの辺で終わりとします。

 


米艦衝突(3) <米イージス艦衝突 コンテナ船水面下の部位がぶつかる?>を読んで

2017-06-20 | 安全保障

170620 米艦衝突(3) <米イージス艦衝突コンテナ船水面下の部位がぶつかる?>を読んで

 

一昨日に仮定した推論を、昨日訂正しましたが、今日また訂正しようと思い、別枠で書いています。

 

上記の記事によれば、<コンテナ船の球状船首(バルバスバウ)と呼ばれる水面下の部位がイージス艦右舷にぶつかり、イージス艦の船体に穴を開けた可能性があることが海上保安庁などへの取材で分かった。>

 

そして<イージス艦は右舷が大きく壊れたが、米海軍第7艦隊司令官のジョセフ・アーコイン中将は18日の記者会見で「衝突で(イージス艦の)右舷の水面より下の部分に大きな穴が開き、一気に水が流れ込んできた」と説明。水面下の破損が大きかったとの認識を示した。>

 

当初よりイージス艦のキール部が損傷し、沈没する恐れがあったと言われていましたので、コンテナ船が上部から乗っかる形では生じないなとはおもっていましたが、バルバスバウがキールに衝突したことまで想定していませんでした。コンテナ船の構造を知っていればすぐわかることだったのでしょうけど。

 

さて、これで少し衝突の様子が少しわかってきたように思うのです。コンテナ船の上部と下部の先端部分がイージス艦の右舷に衝突したこと、ただ、おそらくコンテナ船は衝突直前にはエンジンを切るなり、バックするようにしていたと思うので、コンテナ船の上部でも水面よりかなり高い位置以上でしか損傷が起こらなかったのだと思うのです。

 

そして、衝突後は、その衝撃で反動的な動きとなり、コンテナ船は舵のコントロールもきかず、航跡のようにふらふらとした動きになったのではないかと思うのです。

 

では衝突原因はなにかですが、いまだに追い越しか、横切りか、判別困難ではないかと思います。少なくともコンテナ船は衝突するおそれを事前に察知し、エンジン停止(その可能性はその後の蛇行から推認できるかも)などの措置をとったと思われるのです。他方で、イージス艦はどのような対処をしていたのでしょうか。右方向に航行していたと思われるコンテナ船の存在は早くからキャッチできていたと思うのです。双方の速度や進路を誤って判断して、横切ろうとしたようにも思えるのですが、ちょっとありえない推定かなと思いつつ、情報不足ですので、勝手な推論となりました。

 


技の美 <津本陽著『風流武辺』>を読みながら

2017-06-20 | 人間力

170620 技の美 <津本陽著『風流武辺』>を読みながら

 

以前は目覚めが早くても草刈りを楽しんだいましたが、最近は床の上で読書三昧です。といっても一時間程度ですが。いま読んでいるのが見出しの津本陽著『風流武辺』です。大畑才蔵研究の先達で、いろいろ会話を交わしていて、私が津本陽が『南海の竜』とか吉宗を書いた歴史小説の中で、才蔵を見事に描いていることなどを話したり、いろいろ話題が展開している中で、この書のことを紹介され、興味を示したら、いただいたのです。

 

いろいろな話題を議論したので、何に興味をもったかうっかり忘れていたのですが、折角いただいたのに読まないわけにもいかないと、最近拾い読みをしています。最初、主人公の上田宗固といっても、まったく知らない名前で、最初にぱらぱらと読んだときは、戦国時代の武士でお茶をたしなむ、織田遊楽債のような感じかなと、あまりぴんとこなかったのです。

 

しかし、読み進めていくと、これが面白いのです。身長は5尺(150cm)程度の小柄ですが、荒木村重の有岡城攻めに始まり、本能寺の変後に光秀に味方した津田信澄が支配する大阪城攻めに、また、関ヶ原では西軍として、大阪冬の陣・夏の陣では徳川方として、常に先人を切ってその生死をいとわず戦い続けて、数々の戦功を立てて、戦死しなかった希な人物ではないかと思うのです。

 

でも私の関心はそこにありませんし、いただいた方もそこに眼目があったわけではありません。彼は小兵ながら柔術的な技(小具足刈りなど)にたけていて、どんなに大きな相手に対してもひるむことなく、ねじ伏せてしまうのです。私が習った合気道もその流れの一つを受け継いでいるかもしれないことが一つの興味でした。たとえば手首の少し上の上腕の一カ所を強く指で押さえると、身動きができなくなるほど痛いのです。また、背後を完全に羽交い締めなどされても、たとえば相手の臑(すね)の下の一カ所を押さえると激痛が走り何もできなくなるのです。

 

合気道の基本では、そういた武術的なことは教えてもらえませんが、時折、流派の道場主のような人が参加するとき、そういうことを教えてくれたことがあります。創始者植芝盛平氏もまた小兵でした(写真でしか知りませんが)。二代目もそうでした。そういえば嘉納治五郎氏も小柄ですね。その小柄で腕力があまりなさそうな人が技を磨くと、美しく、人間の体の骨や筋肉、神経伝達系などについてきわめて通暁していて、あまり力をかけずに相手を術中に納めるのですね。

 

その技の見事さは、嘉納治五郎の柔道は見たことがありませんが、植芝盛平翁の場合ビデオで見たか、写真だけなのか、記憶がおぼろげですが、とても美しいのです。それも二代目もそうでした。この方には直接技をかけていただきましたので、その感触が柔らかくまたその技に美が漂っているのです。そういう美を上田宗固が身につけていたのだと思うのです。

 

で、宗固が習ったのはなんと、女性なのです。これは創作なのかはわかりませんが、これにはびっくりです。最近、女性の武将とか、武者がいたという記録があるとかないとか話題になりますし、NHKの大河ドラマは女性の武将でしたね(見ていないのでなんとも評せませんが)。合気道を本部道場で習っていたとき、残念ながらたまたまだったのかもしれませんが、私が相手する女性はそれほど技にきれがなく、高段者でも防衛目的にはあまり有効でないかもと思ってしまいました。ま、これはかなり一面的な見方でしょうね。

 

レスリングや柔道の女性選手を見ていると、まったく歯が立たないと思うのです。戦国時代であっても、そういう女性はいたと思うのです。鎌倉時代の巴御前なんかもそうではないでしょうか。

 

少し脱線しました。技に男女の差がないというのが本当だと思っています。そして技は磨けば磨くほど、美しい人の動きになると思うのです。

 

で、これで終われば、ここで上田宗固を語るまでの価値がないと思うわけです。彼は、武術に秀で、果敢に戦陣を切り開くといった、有能な武士であり、また部下を統率する能力も優れていただけではありません。

 

そのロジステックの能力が長けていたことから、城普請が見事で、秀吉以下、数々の大名が彼に依頼しているのです。まだきちんと読み切れていないので、城の名前はおいておきます。そしてその築城の名手が、今度は庭園造りの名手となったのです。

 

彼が造園したのは、関ヶ原で負けた蜂須賀の居城となった徳島城に池泉庭園を造ったのが最初でしょうか。その後、浅野幸長につかえて紀州藩に移ったとき、和歌山城(当時は若山城だったと思います)の西の丸に、上記と同様の庭園を造っています。そして御三家筆頭の徳川義直から依頼を受けて名古屋城に庭園を作っています。終焉の地となった、広島では、浅野家の国替えに同行し、御泉邸(みせんてい)という敷地約13200坪の大庭園を造っています。それが現在も広島市民の憩いの場である縮景園(しゅくけいえん)として残っています。

 

これが見事な美しさですね。広島へは仕事を含め何度も行っているのですが、素通りでした。ウェブ情報を見ると、とても素晴らしい庭園です。美の技であり、技の美でもあるのでしょう。

 

で、上田宗固は、荒っぽい血走った戦士にとどまらなかったことはこれでわかるかとおもいます。しかし、その神髄は茶人としての宗固でしょう。その見事なお手前は実際に体験できませんが、その子孫が営々と流派を受け継ぎ、見事な庭園とともに、現代に息づいているのです。

 

あまり遠出する気力がない最近ですが、こんど広島に行くチャンスがあったら、是非立ち寄ってみたいと思っています。

 

そして最後に、上田宗固は、死に際の美を堪能させてくれます。宗固は、厳島の景観美を愛し、「儂が死んだときは、この場で蛇尾にいたすがよい」と厳島の見える大野串山の小高い頂で、告げたとのこと。そして、断食をはじめてのち、棺と鉄槌をつくらせ、遺言したのです。「儂を荼毘にいたせしのち、この槌にて骨を粉といたし、早瀬の海に沈むべし」と。

 

遺族は、遺言に従い、その場所で火葬にして、骨をこなごなに砕いて、早瀬の早い流れの中で、宗固の骨を海中に撒いたのです。

 

数少ない江戸時代の散骨例かもしれません。しかし、断食20日目に息を引き取り、海中に散骨するという最後まで技の美を示しているように思うのです。享年88歳という、信じられないほど長寿の命を美しく幕を引いたように思うのです。

 

そしてその精神は、上田流和風堂として上田宗固流茶道を現代、さらに未来に向かって活かし続けるのでしょう。

 

今日は私の好きな作家の一人、津本陽氏の作品紹介(拾い読みなので失礼ではありますが)でした。この辺で終わりにします。