あわただしく 出かけましたが、楽しかったです。
a-nationの 『 OTO MATSURI 』
終了後 館内放送で 撮影OKの案内が・・・
多数の人は 自撮り。
私は、天井に興味:50年前の技術・・・外観は丹下健三さんの設計で写真でもよく見ているけど、
入ったのは そういえば 初めて。
イベントが終わって明るくなって気づく天井のデザイン:吊り構造の裏側。
座席の確認をスポーツ振興センターのHPでしている時、建物に関する記事を見つけました。
以下抜粋です。
昭和37(1962)年文部省では、実施設計は、平行して行われた地質調査とともに順次具体化されていきましたが、その内容はかつて前例のない「高張力による吊り屋根方式」という極めて複雑な構造を持った建物であり、施工上最高度の技術を必要とするものでした。外観も、スポーツ精神を象徴し、集まる人々が誘い込まれるような優美な曲線をもった颯爽たるものでした。
しかし、地質調査の結果、建設用地の地下に激しい湧水があることが確認され、その対策にかかる費用が新たな問費となったこと、また入札が大会まであと20ヶ月と迫ったところで行われましたが、多くの制約下での入札は難航し、当日は落札できず翌日ようやく契約が成立したのです。
昭和38(1963)年2月1日、建設工事は開始されました。工期は、オリンピック大会を控えた18ヶ月という絶対に延ばすことは許されない期間。当時の状況としてはこの工事を18ヶ月で完成することは常識的にみて不可能とされていました。
昭和39(1964)年5月、来日したIOCアベリー・ブランデージ会長はこの工事現場を視察して「アメリカ人がやるのなら絶対に間に合わないと思うが、私は日本人の能力を信じている」と言い残して日本を去りました。
50年経った今、 同じフレーズをニュースで見たり、聞いたり・・・。
代々木の体育館は 今見ても 美しい曲線の外観。
ザハ案 私には上からの絵、三葉虫のようにも見えたけど、実際に完成していたら?
どうだったのでしょう、気になります。
日本の技術、といっても 現場で作業するのは今や世界中の国の人々。
いずれにしても、美しいものが出来上がりますように。
さらに50年後にも そう言ってもらえますように。
a-nationの 『 OTO MATSURI 』
終了後 館内放送で 撮影OKの案内が・・・
多数の人は 自撮り。
私は、天井に興味:50年前の技術・・・外観は丹下健三さんの設計で写真でもよく見ているけど、
入ったのは そういえば 初めて。
イベントが終わって明るくなって気づく天井のデザイン:吊り構造の裏側。
座席の確認をスポーツ振興センターのHPでしている時、建物に関する記事を見つけました。
以下抜粋です。
昭和37(1962)年文部省では、実施設計は、平行して行われた地質調査とともに順次具体化されていきましたが、その内容はかつて前例のない「高張力による吊り屋根方式」という極めて複雑な構造を持った建物であり、施工上最高度の技術を必要とするものでした。外観も、スポーツ精神を象徴し、集まる人々が誘い込まれるような優美な曲線をもった颯爽たるものでした。
しかし、地質調査の結果、建設用地の地下に激しい湧水があることが確認され、その対策にかかる費用が新たな問費となったこと、また入札が大会まであと20ヶ月と迫ったところで行われましたが、多くの制約下での入札は難航し、当日は落札できず翌日ようやく契約が成立したのです。
昭和38(1963)年2月1日、建設工事は開始されました。工期は、オリンピック大会を控えた18ヶ月という絶対に延ばすことは許されない期間。当時の状況としてはこの工事を18ヶ月で完成することは常識的にみて不可能とされていました。
昭和39(1964)年5月、来日したIOCアベリー・ブランデージ会長はこの工事現場を視察して「アメリカ人がやるのなら絶対に間に合わないと思うが、私は日本人の能力を信じている」と言い残して日本を去りました。
50年経った今、 同じフレーズをニュースで見たり、聞いたり・・・。
代々木の体育館は 今見ても 美しい曲線の外観。
ザハ案 私には上からの絵、三葉虫のようにも見えたけど、実際に完成していたら?
どうだったのでしょう、気になります。
日本の技術、といっても 現場で作業するのは今や世界中の国の人々。
いずれにしても、美しいものが出来上がりますように。
さらに50年後にも そう言ってもらえますように。