[添付画像]:「モルトフォンテーヌの思い出 1864 」(コロー作)
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4章
1(新たな展開)
(1)
「おはようございます」
開店早々、女性客が来た。
小柄な女性がドアを開けて入ってくる姿を見れば、
(事務所で勤務していた小林美智子君ではないか)
先に触れたように、本田の昼間の業務縮小と飲み屋開業の流れの中で人員整理となり、彼女は失業中である。11月の末に退職した。しかし、以前の勤務先オーナー本田に対しての恨み辛みは一切持たず、こうして本田の店に出入りする。何の遠慮も屈託もなく、むしろ失業して自由になった自分自身の時間を持て余すでもなく退屈するでもなく、大いに無職状態をエンジョイしている。三十路に手が届きかけた小林美智子は、すでに、それなりの生活基盤を構築していた。本田の事務所に勤務する以前に、短大卒業と同時に証券会社に就職し、6年間勤務した。就職するなり自から投資を始め、6年間で2千万円以上の資産を蓄えた。若くしてそれなりにリッチな『セレブ』であった。勤務先でありきたりの社内不倫を経験し、筋書き通り、その先に待ち構えていた失恋を経験する事になる。失恋が引き金となって証券会社を退職した。
本田との遭遇はビジネススクールであった。
すでに独立していた本田は、2年前から毎週一回九十分のカリキュラムでビジネススクールの講師を請け負っていたし、現在も続行している。受け持ちの講座は『旅行取扱主任者資格試験』。8科目全ての科目のレッスンの講師をこなした。現役の旅行屋を退いてすでに3年目であるが、さりとてわずか3年。この若さで大手旅行会社を退職する人物は珍しく、ビジネススクールは大喜し、本田をこの資格試験の講師に招いた。
旧国鉄のJR旅客部門はこの時期、全社を上げて旅行産業に正式に参入を開始。網の目を網羅した如く大中小全国各都市にまたがるJR各駅の切符売り場の窓口の職員に、国内海外を問わず、総合的に旅行が取り扱えるよう「一大事業改革」に取り組み始めた時期である。加えてこの時期、日本に乗り入れている一部外国航空会社による割引航空運賃が引き金となり、国際線航空運賃割引戦争の時代に突入した。航空運賃の激減は、旅行代金の激減を呼び、高嶺の花であった海外旅行は、こうして一般庶民が手の届く価格までに一般化し、海外旅行者人口は増加の一途を辿っていた。
当然ながら、旅行業界に新規参入して来た中小零細の旅行会社が乱立した。乱立すれば悪徳業者も出てくるし、取引にからむ事故が発生する。ルールのない旅行業界は、新たにルールが必要となる。
ルールは規制である。
規制という法律制定は、運輸省の範疇である。
旅行関連法の制定は昭和50年代半ばになってからできた。当時すでに拡大予測された旅行産業に対し、ようやく運輸省の指導により旅行業法が制定された。
消費者保護を目的する旅行業法の中核には、当然ながら旅行を取り扱う業者に対する、一定の品質が求められ、『旅行取扱い主任者制度』が定められる。
すなわち「国家試験に順ずる資格を有した者」が、旅行会社の各店舗に最低一名以上配置されていなければ、旅行業を営めない。という制度を定めた。当時現役であった本田は、その旅行取扱い主任者資格を取得していた。現役時代の結果が功を奏し、ビジネススクールの当資格試験対策講座の講師となった。繰り返して話すが、この時期、JRの若手従業員の多くは『旅行取扱い主任者資格試験』を受験し、合格しなければならない重責があった。それには、理由があった。すでに述べた旅行業法に則り、JR各駅の案内店舗に最低一名、この主任者資格を有したものが配置された上でなければ、各JR駅窓口での営業ができなかった。
今にして当時を想えば、訳のわからない大雑把な時代であった。
一流大学卒業生憧れの業界トップランクに、旅行会社が位置する時代であった。しかし今となれば「しがない旅行会社」が、当時はまさに、最大にして最高にもてはやされた「古きよき時代」なのであった。
そんな時代の証券会社は、もっと華やかであった。
すでに証券会社を退職していた小林美智子は、退職と同時に、25日間ヨーロッパ周遊旅行に参加した。旅行中、小林美智子は旅行業に興味を持った。海外旅行の添乗員業務に憧れ、単純に旅行会社に就職したくなった。聞けば、転職にはそれなりの資格が必要であると分った。
帰国と同時に、旅行取扱い主任者の資格が取りたくなり、さっそくビジネススクールに申し込んだ。結果、本田の講義を受けた。
たまたま事務所の従業員を募集していた本田は、小林美智子が無職である事を耳に挟み、ならば自分の事務所にアルバイトとして手伝って欲しいと声をかけたところ、小林美智子にとっては願ってもない幸運と判断し、本田の誘いを引き受けた。パートとして本田の事務所に所属するようになった。こうして約1年、本田の事務所に勤務したが、このたび解雇になった。
そんな小林美智子は、必ず1人2人の友人を伴い、すでに何度か本田の店に顔を出していた。
「いらっしゃい?みちこさん」
いつもの笑顔で歓迎の挨拶をしながらも、本田はあえて言葉を付け加えた。
「まずいよな、『おはようございます』の挨拶は、かんべんしてくれないかな。そんな挨拶をする君は、まるで夜の業界の人間に見えるじゃないか。それてとも、ホステスになりたいのかな?」
「はいはい、社長が一声かけてくだされば、いつでもお手伝いにまいりますから、おっしゃってください」
「勘弁してよ、自分は絶対に、この店には女を雇わない! このセリフ、もうすでに何度も言っているでしょうが・・・」
「なんどもお聞きしています!でもでも、そのうち店の方針は変わるでしょう。社長の気が変わってからでいいですから」
「イカンイカン、あ、もう一つ君に頼みがある。もう今からは『シャチョウ・シャチョウ』と呼ぶの、やめてくれよ」
「は~い、努力します。でも癖になってますからね」
「あれ?ところで今夜はどうなってんの。1人でお酒飲みに店に出て来たのかい?」
「いいえマスター、今夜はですね、たいへん珍しい人と待ち合わせしています。マスターをびっくりさせて上げますよ。その人が来たら、マスター喜ぶだろうな・・・」
「いったい、誰だろう?男性?それとも女性かな?」
「もちろん、女性ですよ!」
ほとんど酒の飲めない小林美智子は、ひとまずコーラを注文し、カウンターのど真ん中に座った。
数分と経たないうちに、また店の入り口が開いた。
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1(新たな展開)
(1)
「おはようございます」
開店早々、女性客が来た。
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(事務所で勤務していた小林美智子君ではないか)
先に触れたように、本田の昼間の業務縮小と飲み屋開業の流れの中で人員整理となり、彼女は失業中である。11月の末に退職した。しかし、以前の勤務先オーナー本田に対しての恨み辛みは一切持たず、こうして本田の店に出入りする。何の遠慮も屈託もなく、むしろ失業して自由になった自分自身の時間を持て余すでもなく退屈するでもなく、大いに無職状態をエンジョイしている。三十路に手が届きかけた小林美智子は、すでに、それなりの生活基盤を構築していた。本田の事務所に勤務する以前に、短大卒業と同時に証券会社に就職し、6年間勤務した。就職するなり自から投資を始め、6年間で2千万円以上の資産を蓄えた。若くしてそれなりにリッチな『セレブ』であった。勤務先でありきたりの社内不倫を経験し、筋書き通り、その先に待ち構えていた失恋を経験する事になる。失恋が引き金となって証券会社を退職した。
本田との遭遇はビジネススクールであった。
すでに独立していた本田は、2年前から毎週一回九十分のカリキュラムでビジネススクールの講師を請け負っていたし、現在も続行している。受け持ちの講座は『旅行取扱主任者資格試験』。8科目全ての科目のレッスンの講師をこなした。現役の旅行屋を退いてすでに3年目であるが、さりとてわずか3年。この若さで大手旅行会社を退職する人物は珍しく、ビジネススクールは大喜し、本田をこの資格試験の講師に招いた。
旧国鉄のJR旅客部門はこの時期、全社を上げて旅行産業に正式に参入を開始。網の目を網羅した如く大中小全国各都市にまたがるJR各駅の切符売り場の窓口の職員に、国内海外を問わず、総合的に旅行が取り扱えるよう「一大事業改革」に取り組み始めた時期である。加えてこの時期、日本に乗り入れている一部外国航空会社による割引航空運賃が引き金となり、国際線航空運賃割引戦争の時代に突入した。航空運賃の激減は、旅行代金の激減を呼び、高嶺の花であった海外旅行は、こうして一般庶民が手の届く価格までに一般化し、海外旅行者人口は増加の一途を辿っていた。
当然ながら、旅行業界に新規参入して来た中小零細の旅行会社が乱立した。乱立すれば悪徳業者も出てくるし、取引にからむ事故が発生する。ルールのない旅行業界は、新たにルールが必要となる。
ルールは規制である。
規制という法律制定は、運輸省の範疇である。
旅行関連法の制定は昭和50年代半ばになってからできた。当時すでに拡大予測された旅行産業に対し、ようやく運輸省の指導により旅行業法が制定された。
消費者保護を目的する旅行業法の中核には、当然ながら旅行を取り扱う業者に対する、一定の品質が求められ、『旅行取扱い主任者制度』が定められる。
すなわち「国家試験に順ずる資格を有した者」が、旅行会社の各店舗に最低一名以上配置されていなければ、旅行業を営めない。という制度を定めた。当時現役であった本田は、その旅行取扱い主任者資格を取得していた。現役時代の結果が功を奏し、ビジネススクールの当資格試験対策講座の講師となった。繰り返して話すが、この時期、JRの若手従業員の多くは『旅行取扱い主任者資格試験』を受験し、合格しなければならない重責があった。それには、理由があった。すでに述べた旅行業法に則り、JR各駅の案内店舗に最低一名、この主任者資格を有したものが配置された上でなければ、各JR駅窓口での営業ができなかった。
今にして当時を想えば、訳のわからない大雑把な時代であった。
一流大学卒業生憧れの業界トップランクに、旅行会社が位置する時代であった。しかし今となれば「しがない旅行会社」が、当時はまさに、最大にして最高にもてはやされた「古きよき時代」なのであった。
そんな時代の証券会社は、もっと華やかであった。
すでに証券会社を退職していた小林美智子は、退職と同時に、25日間ヨーロッパ周遊旅行に参加した。旅行中、小林美智子は旅行業に興味を持った。海外旅行の添乗員業務に憧れ、単純に旅行会社に就職したくなった。聞けば、転職にはそれなりの資格が必要であると分った。
帰国と同時に、旅行取扱い主任者の資格が取りたくなり、さっそくビジネススクールに申し込んだ。結果、本田の講義を受けた。
たまたま事務所の従業員を募集していた本田は、小林美智子が無職である事を耳に挟み、ならば自分の事務所にアルバイトとして手伝って欲しいと声をかけたところ、小林美智子にとっては願ってもない幸運と判断し、本田の誘いを引き受けた。パートとして本田の事務所に所属するようになった。こうして約1年、本田の事務所に勤務したが、このたび解雇になった。
そんな小林美智子は、必ず1人2人の友人を伴い、すでに何度か本田の店に顔を出していた。
「いらっしゃい?みちこさん」
いつもの笑顔で歓迎の挨拶をしながらも、本田はあえて言葉を付け加えた。
「まずいよな、『おはようございます』の挨拶は、かんべんしてくれないかな。そんな挨拶をする君は、まるで夜の業界の人間に見えるじゃないか。それてとも、ホステスになりたいのかな?」
「はいはい、社長が一声かけてくだされば、いつでもお手伝いにまいりますから、おっしゃってください」
「勘弁してよ、自分は絶対に、この店には女を雇わない! このセリフ、もうすでに何度も言っているでしょうが・・・」
「なんどもお聞きしています!でもでも、そのうち店の方針は変わるでしょう。社長の気が変わってからでいいですから」
「イカンイカン、あ、もう一つ君に頼みがある。もう今からは『シャチョウ・シャチョウ』と呼ぶの、やめてくれよ」
「は~い、努力します。でも癖になってますからね」
「あれ?ところで今夜はどうなってんの。1人でお酒飲みに店に出て来たのかい?」
「いいえマスター、今夜はですね、たいへん珍しい人と待ち合わせしています。マスターをびっくりさせて上げますよ。その人が来たら、マスター喜ぶだろうな・・・」
「いったい、誰だろう?男性?それとも女性かな?」
「もちろん、女性ですよ!」
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