なぜか、頭の片隅に霧のかかった如く、昔の記憶が蘇ってきた。しかし、もう一つ何かが判然としない。気になって仕方のない記憶は、昨夜になって突然、過去のファイルから飛び出してきた。
先の”YS Blog”4月1日付記事、
「政経不可分が崩れた日露関係 北方領土返還要求に対しては今は揺らがず機会を待つべき」、いつもにまして深く感銘を覚えた記事であり、当記事が引き金となって、その追憶は始まった。
「第1話」
時、さかのぼる事30数年も昔の出来事、確か昭和46年3月下旬の出来事を思い出したのである。当事(私議)旅行会社に就職してまだ2年目。ようやく一通りの渡航手続き業務なるもの、解りかけていた頃。いまだ、海外団体旅行なるものが珍しい時代であった。
週末の午前中、化粧化なく地味で風采の上がらない小連れの女性顧客が現われた。先輩からの指示により、その女性の海外渡航案内の担当を仰せつかった。
聞けば、何と、たどたどしい日本語で、
「4月中旬出発の日程で、横浜港出発の船に乗って、樺太(サハリン)に行きたい。いや、帰りたいので、旅券を作る手続きをしてほしい・・・」
・・・驚いた。まだ乳離れするかしないかの子供をつれて、女性一人、ソ連のサハリンに向け船旅をする事そのもの、当事としては異例であった。そしてこの女性、我社を訪れる前に、広島県庁外事係(当事の旅券申請発給窓口)に、直接出頭されたとの事。
県庁担当官曰く、
「個人での手続きが面倒だからN社を訪ねたほうがよい。N社でもって、渡航手続き国際汽船の切符発行など、一連の手続きを委ねたらよい」
との説明を受けた。
お役人の面倒お断り的「門前払い」か?いや、それも無きにしも非ず。で、あろう。が、当時の常識として、個人で旅券申請から始まる渡航手続き一式は、あまりにも難解、いかにも難題であった。
そしてその脚で、一目散に我社を訪ねてきた。と、お話された。
問題点が多々あった。
まず、
1)国際線航空券ならば、直ぐにでも発行できる。が、船舶の国際航路となると、当店ではじかに取り扱えないから問題がある。その場合、横浜支店に照会し、3月中旬出発の船便を確認しなければならなかった。2等船室は予約可能であった。
2)さらに当時のソ連を旅行する場合は手順がより複雑であり、通常申し込みから出発まで1ヶ月以上を必要とした。すなわち手順及びタイムスケジュールとして、外貨申請、旅券の取得から先はソ連の(観光)査証が必要。査証の申請に先立ち、インツーリスト(ソ連国営旅行会社)経由で現地スケジュールを全てを予約し、予約完了の後ヴァウチャー料金相当の滞在費を外国送金にて前払いし、ようやくヴァウチャー(旅行クーポン券)を購入。さらに往復航空券を購入してのち、ようやくソ連観光査証が取得できた時代である。加えて、当時の電信確認方法では、あまりにも時間がかかる。日程的には、出発までに都合1ヶ月、それ以上を必要とした時代である。したがってまず最初の段階、旅券の取得に要する日数は、旅券申請の後、約2週間経過して旅券は発給されていた。
3)ご承知の通り、旅券申請には添付書類(戸籍賞本・住民票・写真等々)が必要である。
下手をすると旅券申請以前の段階にて、これら必要書類の集約に要する日数だけでも、ざっと3~4日はかかる。
上記の手順状況などなど、可能な限り解りやすく、幼児連れの女性客に説明した。
A)写真、戸籍謄本など、旅券申請に必要な書類一式は、翌日にお持ちになった。
B)旅券の発給は2日間で済んだ。すでに申請者母子の状況が分かっていた県庁側の配慮があった。当方にて「旅券早期発給申請」理由書を作成添付。難なく早期発給は受理され、2日間で旅券の受領は可能となった。
C)当方で一番の問題点は、ソ連査証発給についてである。短期滞在の観光査証をとる訳には行かない。ご本人のソ連国籍は、まだ有効であったはず。ともあれ、当時ソ連側の身分証明書を所持しておられた顧客ご自身にて、査証手続きは対応された。もちろん、すでに事前にソ連大使館とのネゴシエーションは進んでいた。全く問題なかった。
雑多な手続きは粛々と進み、無事予定通りその女性は年端も行かないわが子を連れ30数年前の早春、横浜港より再びサハリンに向け旅立たれた。
母子のサハリン渡航を担当した旅行会社社員は、淡々と、感情を押し潰し、無味乾燥なる感情抜きにて、渡航手続きに専念した。
「第2話」
そして昨夜、思い出した。
何故あの時期、小連れでサハリンに船旅をされたのか、その理由を・・
彼女の持参した戸籍謄本を見て、驚いた。
若くして、その女性が戸籍の筆頭者となっている。
一番に、生年月日に問題があった。昭和15年云々、、、。
要するに生年度しか明記されていない。月日は、無し。
両親の名前が明記の件、父親の姓名は朝鮮人、母親は日本人。と、なっていた。しかし当事すでにご両親は死亡と認定。認定年度月日はあるものの、死亡年月日時間と死亡場所の明記は、全くない。
(現行の戸籍謄本には、死亡場所と時間は必ず明記される)
そして、本籍地は、我が県我が市内何某町何番何号・・
まるで、木の股から生まれてきたか、桃に乗って川から流れ出でたか、竹の筒から生まれたか?判明しない内容である。
つまり、日本に帰ってから、新たに戸籍を作った証拠である。つまり、日本に帰国し、日本国籍を得たという証拠にもなる。
加えて、
渡航手続き上、下記内容の事柄を直接ご本人にお聞きした。と、記憶している。
戦時中にサハリンで生まれた。両親と生死は判明しないが、すでに生き別れた。それからの生活はどうであったか?聞いていない。が、やがて年頃になり、朝鮮人の青年と結婚。一児をもうけた。
理由は定かでないけれど、本人は子供を連れ日本に帰国することを選んだ。日本の国籍を取るにあたって、当時かなり苦労されたものと思われる。いずれにしても、日本人の母親は(我が町)の出身である事が判り、本籍地に戻ってきた。
当時、幼児を抱えた女性が日本に帰国するには、かなりの苦労があったもの、と、考えられる。ソ連・日本の両国に跨る(たぶん複雑な)手続きを経た後、ようやく日本に帰国。我が町に(共生する)母方の親族に身を寄せ、日本で暮らし向きを模索したものの、約半年、日本人として日本で生計を立てること難しすぎると判断した。
「自分はどうしても日本人にはなれない」(私的想像による表現なり)
と、実感した。と、考えられる。
だから再度、生を受けた地サハリンに帰るのである。と、聞いた。
小生、あの時点で、ソ連による北方四島の占領、樺太(サハリン)に取り残された日本人や日系人などの事、心配に及ばなかった。いや、好き好んで生まれたわけでもなかろうが、そういう人々が存在することを知った。
それ以降になって、「中国残留日本人孤児」の問題がテレビで大々的に取り上げられお祭り騒ぎになった事、思い出す。こうしてys-Blog当該記事から枝葉が伸び、再度、我が脳裏には対ソ国境を跨って居残っておられる日本人乃至日系人の多くは、今も尚、ソ連領に住み続け子孫はさらにその地に生活されている有体、まざまざと想像するのである。。。
女性一人、幼子を連れ母方の祖国日本に帰った。
しかし、僅か半年滞在ののち、母の祖国に別れを告げる決心をした。そして彼女の生を受けた地・サハリンに、戻っていってしまった。渡航手続きを粛々と進める以外に、我輩には何も出来なかった。そんな彼女の後ろ姿を見送った心情。伝えようの無い表現しようの無い、我が情感の揺れ動くものの、余りにも非力無力にして無様な有り体、、。
当時が今ならば、この年齢に達した今ならば、彼女に「何かを、さしのべ得たかも」知れない・・・
当時の我輩には、何も出来なかった、、、。
あれこれ想えば、
不外にも目頭が熱くなり、涙がほとばしり出でそうになる昨夜であった。
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「第3話」
当該記事、櫻井先生の締め括りとして、以下の表現を示されている。
>日本の領土返還要求を減じて、ロシアに譲る特段の理由もない。敵対する必要はないが、今は冷静に待つしかないと心して一定の距離を保ちつつ、揺らがずにいることだ。過去の歴史を見れば、機会は必ずまたくると私は考えている。(櫻井よしこブログ記事より引用・・)
北方四島をロシアに奪われたことは不本意である。しかし今世紀にいたり、そして今「日露経済」を優先しなければならない現状と政治外交の基本路線を柔軟に考慮し対応することは、いかにも良識的得策と考える。我国では、(一部の専門家を除いて)なかなか理解の行き届かないロシアの現状、歴史、我国との外交の歴史、知っておきたい事は多々ある。
まして、この150年の間、ロシアと日本の間で国境線の変わった「北方四島ならびにサハリン」には、上述のケースの如く、今も尚、現地に居留する日系人の数は計り知れないと思われる。既に子供から孫の時代になり、混血も進んでいるはずだ。
櫻井ブログ記事に触発され、引き金となり、ある母子のサハリン渡航の記憶が蘇った。これもなにかの縁であろう。
ならば、これを機会に、
自分自身のロシアに関する認識を、この際整理しておきたい。そしてロシア外交の歴史を振り返ってみたい・・・
<・・続く・・>(・・当記事、2回掲載予定します・・)
*30数年前、再びサハリンに戻っていかれた母子の「その後」について、それなりに気になる方、
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<添付資料>:CIAファクトブックより(1/2)
(CIA Fact Book, RUSSIA)
Background:
Founded in the 12th century, the Principality of Muscovy, was able to emerge from over 200 years of Mongol domination (13th-15th centuries) and to gradually conquer and absorb surrounding principalities. In the early 17th century, a new Romanov Dynasty continued this policy of expansion across Siberia to the Pacific. Under PETER I (ruled 1682-1725), hegemony was extended to the Baltic Sea and the country was renamed the Russian Empire. During the 19th century, more territorial acquisitions were made in Europe and Asia. Repeated devastating defeats of the Russian army in World War I led to widespread rioting in the major cities of the Russian Empire and to the overthrow in 1917 of the imperial household. The Communists under Vladimir LENIN seized power soon after and formed the USSR. The brutal rule of and threatens to destabilize the North Caucasus region. Iosif STALIN (1928-53) strengthened Russian dominance of the Soviet Union at a cost of tens of millions of lives. The Soviet economy and society stagnated in the following decades until General Secretary Mikhail GORBACHEV (1985-91) introduced glasnost (openness) and perestroika (restructuring) in an attempt to modernize Communism, but his initiatives inadvertently released forces that by December 1991 splintered the USSR into 15 independent republics. Since then, Russia has struggled in its efforts to build a democratic political system and market economy to replace the strict social, political, and economic controls of the Communist period. While some progress has been made on the economic front, recent years have seen a recentralization of power under Vladimir PUTIN and an erosion in nascent democratic institutions. A determined guerrilla conflict still plagues Russia in Chechnya and threatens to destabilize the North Caucasus region.
Geography Russia Top of Page
Location:
Northern Asia (that part west of the Urals is included with Europe), bordering the Arctic Ocean, between Europe and the North Pacific Ocean
Geographic coordinates:
60 00 N, 100 00 E
Climate:
ranges from steppes in the south through humid continental in much of European Russia; subarctic in Siberia to tundra climate in the polar north; winters vary from cool along Black Sea coast to frigid in Siberia; summers vary from warm in the steppes to cool along Arctic coast
Terrain:
broad plain with low hills west of Urals; vast coniferous forest and tundra in Siberia; uplands and mountains along southern border regions
Elevation extremes:
lowest point: Caspian Sea -28 m
highest point: Gora El'brus 5,633 m
Natural resources:
wide natural resource base including major deposits of oil, natural gas, coal, and many strategic minerals, timber
note: formidable obstacles of climate, terrain, and distance hinder exploitation of natural resources
Land use:
arable land: 7.33%
permanent crops: 0.11%
other: 92.56% (2001)
Irrigated land:
46,630 sq km (1998 est.)
Natural hazards:
permafrost over much of Siberia is a major impediment to development; volcanic activity in the Kuril Islands; volcanoes and earthquakes on the Kamchatka Peninsula; spring floods and summer/autumn forest fires throughout Siberia and parts of European Russia
Environment - current issues:
air pollution from heavy industry, emissions of coal-fired electric plants, and transportation in major cities; industrial, municipal, and agricultural pollution of inland waterways and seacoasts; deforestation; soil erosion; soil contamination from improper application of agricultural chemicals; scattered areas of sometimes intense radioactive contamination; groundwater contamination from toxic waste; urban solid waste management; abandoned stocks of obsolete pesticides
* Population:
143,420,309 (July 2005 est.)
*Age structure:
0-14 years: 14.6% (male 10,704,617/female 10,173,313)
15-64 years: 71.3% (male 49,429,716/female 52,799,740)
65 years and over: 14.2% (male 6,405,027/female 13,907,896) (2005 est.)
female: 41.03 years (2005 est.)
Population growth rate:
-0.37% (2005 est.)
Birth rate:
9.8 births/1,000 population (2005 est.)
Death rate:
14.52 deaths/1,000 population (2005 est.)
Net migration rate:
1.03 migrant(s)/1,000 population (2005 est.)
Life expectancy at birth:
total population: 67.1 years
male: 60.55 years
female: 74.04 years (2005 est.)
Total fertility rate:
1.27 children born/woman (2005 est.)
HIV/AIDS - adult prevalence rate:
1.1% (2001 est.)
HIV/AIDS - people living with HIV/AIDS:
860,000 (2001 est.)
HIV/AIDS - deaths:
9,000 (2001 est.)
Country name:
conventional long form: Russian Federation
conventional short form: Russia
local long form: Rossiyskaya Federatsiya
local short form: Rossiya
former: Russian Empire, Russian Soviet Federative Socialist Republic
Government type:
federation
Capital:
Moscow
(continue,,,)
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