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北海道支配分け目の戦い!

2021年05月29日 | 店主の雑学
この時間に全く関係の無い話ですが…

北海道支配分け目の戦い!
教科書から…
アイヌ集団は1669年、シャクシャインを中心に松前藩と対立して戦闘を行ったが、松前藩は津軽藩の協力を得て勝利した…
この戦いを4.5行でまとめるとは教科書流石です…笑

詳細、はじまり、はじまり…

江戸時代、
徳川家康から松前藩への黒印状により、「アイヌとの交易は独占権を与えるけどアイヌと揉めずに仲良くやれよ。あと、今はいいけど、税金取るのに松前藩の領域をハッキリさせたいから、雑居してるアイヌと和人を分離させっからそのつもりで…」(私の勝手な妄想です…)

と、いうことで1633年以降、藩の領域が明確になって和人地とアイヌ地(蝦夷地)が分けられアイヌ地に和人は原則定住禁止となる。

戦いの伏線(現在の市町村で表しました)
1648年、東蝦夷地の「新ひだか町静内」の大将「カモクタイン」と副大将「シャクシャイン」が、「門別町」の大将「オニビシ」と漁労、狩猟の場所の利権を巡って5年程、争っていた…

そのためアイヌとの交易がやりにくくなることや蝦夷地全体が戦争状態になるのを心配した松前藩は双方を松前に呼んで停戦を誓わせる。

しかし!
1662年再燃…
1668年、シャクシャイン側がオニビシを殺害、オニビシの娘婿ウタフが松前藩に武器と兵糧の援助を求めにやってくる…

がっ!しかし、
「アイヌは百姓身分なので武士の武具を貸すことはできない」という苦しい言い訳で拒否!(巻き込まないで…本音?)

その帰路の「八雲町野田追」でウタフが病気にかかり死んでしまう…

それから、
ウタフの死は松前藩による毒殺という噂がアイヌの間に…

そして彼は動いた…
松前藩によって元々の交易範囲を狭められたアイヌの不満と、このウタフ毒殺をシャクシャインは利用し、ウタフ側と全蝦夷地に檄を飛ばし1669年6月松前藩に一斉蜂起!!
ウタフの敵討ちとこの地を奴らから取り戻すのだ!!(妄想です…)

進軍
「登別市」から「白糠町」にかけての8カ所、更に「古平町」から「増毛町」にかけての7カ所で和人を襲い、殺害…

アイヌ蜂起を知った松前城下はパニック!
松前藩は江戸幕府へ報告、
幕府は旗本の松前と弘前藩に出陣を命令!

そして、
盛岡藩と秋田藩には要請があり次第出兵するように命じる。

8月、松前藩は「長万部町」(おしゃまんべ)に兵を進めたが、アイヌ軍伏兵の毒矢によって進軍を諦め後退…

その後
旗本の援軍と合流し再び東蝦夷地へ進軍…
9月、
弘前藩の援軍が松前城に到着!

松前藩はアイヌ軍を内部分裂するように作戦を仕掛ける。

まずは松前よりのアイヌ部族へ交渉。次第に降伏する集団が現れシャクシャインを追い込む。

10月
松前藩は追い込まれたシャクシャインに偽りの和睦を申し入れ、宴席にて毒で動けなくなったシャクシャインを殺害…

その後
新ひだか町静内のシャクシャインのチャシ(城)を攻撃して鎮圧した。

この戦いによって蝦夷地での和人の支配力が増したと言われています。










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