尊敬する先人、
マキアヴェッリの言葉
「今までにも幾度も述べてきたように、人の運の良し悪しは、時代に合わせて行動できるか否かにかかっているのである。
誰でも知っているように、あるものは激情のほとばしるままに行動し、他のものは慎重に慎重を重ねた上で行動を起こす。
それなのに、両人とも限界を踏み外し、失敗に終わってしまうことがある。
反対に、誤りが少なく、幸運に恵まれた人々は、時代の流れを感じ取り、それに合わせて行動して成功する。
激情派、慎重派の違いには関係なくだ。
ファビウス・マクシムスは、ローマ人でいながら、ローマ人特有の激情と大胆さからは離れた、慎重な戦いぶりをする型の武将であった。
この彼のやり方が成功したのは、
それが時代と合っていたからである。
当時イタリアに侵攻してきたハンニバルは、いまだ若さと幸運に恵まれており、2度もローマ軍を破ったのだが、当時のローマ共和国ときたら、精鋭軍団もなく、常勝ハンニバルの前に茫然自失の態にあった。
このような状態では、ファビウスのような、慎重のあまりに行動の遅れがちな指揮官がちょうど良いのである。敵を破ることができなくても、敵軍の牽制はできたからだ。
しかし、ファビウスに栄誉をもたらしたこの幸運も、彼が彼の性格に合った時代に生まれ合わせたことによる。
実際、状況が変わって戦争終結のために敵地アフリカに軍を派遣したいとスキピオが主張した時、それに誰よりも反対したのはファビウスであった。
これは、自分が慣れ親しんできたやり方を変えられない、つまり頭の切り替えのできない人によく起こる現象である。
もしも、ファビウスの意見が多数を制していたら、ハンニバルは、イタリアに居続けることになったであろう。戦争もまた、時代や状況が変われば、その進め方も変わらねばならないのだ。
もしも、ファビウスが専制君主であったならば、ローマはカルタゴに敗れていたに違いない。だが、ファビウスは共和国の人間だった。共和国ならば種々異なる性格を持つ人間たちをかかえる自由もある。困難な情況下で軍を率いていくに適したファビウスのような人間もいるし、勝負を決する状況が訪れれば、それを十二分に活用できる、スキピオのような人間もいるというわけだ。
しかし、時代の流れを察知し、それに合うよう脱皮できる能力を持つ人間は、極めて稀な存在であるのも事実だ。
その理由は、次の2つにあると思う。第一は、人は生来の性格に逆らうような事は、なかなかできないものであると言う理由。
第二は、それまでずっとあるやり方でうまくいってきた人にそれとは違うやり方がこれからは敵策だと納得させるのは、至難の業であると言う理由。
こうして、時代はどんどん移り変わっていくのに、人間のやり方は以前と同じ、と言う結果になるのである。
〜マキアヴェッリ語録 塩野七生