なんくるないさぁ~だんな と わたし と SLE と

  12歳SLE発症。ループス腎炎Ⅳ型。
早発閉経で妊活強制終了。子なし人生の幸せ模索中。

就職編⑦

1980年01月22日 | 膠原病とともに
★2008年 再び『通院と通勤』の日々

「今を精一杯生きる」
それを信じて頑張ってきたご褒美は
カタチとなって突然やってきました。

再び、以前と同じ職場での就職。
患者として通っている病院の職員として。
しかも全く同じ部署での採用でした。

再び通院する病院へ通勤することになります。

ただ戻りたいとは思っていたけど迷っている自分もいました。
ソコで再び働くことは福祉の道に
もう進むことは無いであろう場所だからです。

でも悩む暇もなく働き始める日はやってきます。

新聞に求人がでていたのでダメだろうとは思いながらも
以前採用してもらった人事の方に直接電話を繋いでもらい、
とりあえず面接を受けたのは3月30日。

このとき精神保健福祉士の合否もわかっていません。

面接した人もかつて同じ職場の人なので
もちろん知っている顔です。

その日には採用してもらえたのかどうなのかも
よくわからないまま帰宅となり、
4月1日になって急に自宅にかかってきた電話は
本社:人事「どうしたの?体調悪いの?」

私からの電話を受けた時点で採用は決定していたとのこと。
悩む暇もなく主治医に相談する間もなく、
唐黷髑Oと全く同じ場所の同じ職で
その日の午後から出勤することになります。

それで良かったのかもしれません。

イロイロ悩んでしまうと悪いことばかり考えて
きっと断っていただろうと思います。

戻ってきた仕事場には唐黷髑Oの私の文字。
私がまとめたファイルや記録が現役で活躍していました。

以前とは変わってしまったやり方に
多少の戸惑いはあったものの身体は仕事を覚えていました。

かつての仕事仲間は快く歓迎してくれました。

ソコにはまだ私の居場所が残っていました。

唐黷ス後に‘見た景色’と‘得た知識’と‘感じた経験’は
私に「生きる勇気」を与えてくれました。

失った時間をより実りあるモノとして埋めて行きながら
記憶の途切れた日の続きを生きている気がします。





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