★2008年 再び『通院と通勤』の日々
「今を精一杯生きる」
それを信じて頑張ってきたご褒美は
カタチとなって突然やってきました。
再び、以前と同じ職場での就職。
患者として通っている病院の職員として。
しかも全く同じ部署での採用でした。
再び通院する病院へ通勤することになります。
ただ戻りたいとは思っていたけど迷っている自分もいました。
ソコで再び働くことは福祉の道に
もう進むことは無いであろう場所だからです。
でも悩む暇もなく働き始める日はやってきます。
新聞に求人がでていたのでダメだろうとは思いながらも
以前採用してもらった人事の方に直接電話を繋いでもらい、
とりあえず面接を受けたのは3月30日。
このとき精神保健福祉士の合否もわかっていません。
面接した人もかつて同じ職場の人なので
もちろん知っている顔です。
その日には採用してもらえたのかどうなのかも
よくわからないまま帰宅となり、
4月1日になって急に自宅にかかってきた電話は
本社:人事「どうしたの?体調悪いの?」
私からの電話を受けた時点で採用は決定していたとのこと。
悩む暇もなく主治医に相談する間もなく、
唐黷髑Oと全く同じ場所の同じ職で
その日の午後から出勤することになります。
それで良かったのかもしれません。
イロイロ悩んでしまうと悪いことばかり考えて
きっと断っていただろうと思います。
戻ってきた仕事場には唐黷髑Oの私の文字。
私がまとめたファイルや記録が現役で活躍していました。
以前とは変わってしまったやり方に
多少の戸惑いはあったものの身体は仕事を覚えていました。
かつての仕事仲間は快く歓迎してくれました。
ソコにはまだ私の居場所が残っていました。
唐黷ス後に‘見た景色’と‘得た知識’と‘感じた経験’は
私に「生きる勇気」を与えてくれました。
失った時間をより実りあるモノとして埋めて行きながら
記憶の途切れた日の続きを生きている気がします。
「今を精一杯生きる」
それを信じて頑張ってきたご褒美は
カタチとなって突然やってきました。
再び、以前と同じ職場での就職。
患者として通っている病院の職員として。
しかも全く同じ部署での採用でした。
再び通院する病院へ通勤することになります。
ただ戻りたいとは思っていたけど迷っている自分もいました。
ソコで再び働くことは福祉の道に
もう進むことは無いであろう場所だからです。
でも悩む暇もなく働き始める日はやってきます。
新聞に求人がでていたのでダメだろうとは思いながらも
以前採用してもらった人事の方に直接電話を繋いでもらい、
とりあえず面接を受けたのは3月30日。
このとき精神保健福祉士の合否もわかっていません。
面接した人もかつて同じ職場の人なので
もちろん知っている顔です。
その日には採用してもらえたのかどうなのかも
よくわからないまま帰宅となり、
4月1日になって急に自宅にかかってきた電話は
本社:人事「どうしたの?体調悪いの?」
私からの電話を受けた時点で採用は決定していたとのこと。
悩む暇もなく主治医に相談する間もなく、
唐黷髑Oと全く同じ場所の同じ職で
その日の午後から出勤することになります。
それで良かったのかもしれません。
イロイロ悩んでしまうと悪いことばかり考えて
きっと断っていただろうと思います。
戻ってきた仕事場には唐黷髑Oの私の文字。
私がまとめたファイルや記録が現役で活躍していました。
以前とは変わってしまったやり方に
多少の戸惑いはあったものの身体は仕事を覚えていました。
かつての仕事仲間は快く歓迎してくれました。
ソコにはまだ私の居場所が残っていました。
唐黷ス後に‘見た景色’と‘得た知識’と‘感じた経験’は
私に「生きる勇気」を与えてくれました。
失った時間をより実りあるモノとして埋めて行きながら
記憶の途切れた日の続きを生きている気がします。
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