こぐまのらくがきファイル

日々の出来事、思ったことをつづります。

一日5枚のクロッキー

2013-06-13 16:32:09 | 昔話

先日の旧友に偶然再会した記事で、受験時代の画塾について書いたが 今回はそれの続き。


その昔、通っていた画塾では 週末の夜になると先生達の麻雀が行われていた・・・。
その前に 夕方の受験生の授業があるが、週1で遠方から来られるM先生がデッサンの指導をしてくださっていた。
当時、クロッキー(短時間でする描写)は受験生の毎日の宿題になっていた。

入塾した最初の1か月間は円筒形の静物を毎日宿題で描く。
家で塩や醤油の瓶、ジュースの缶など。
その後はひたすら人物クロッキー。

枚数は一日5枚。
これが結構大変なのである。
一日5枚というとまぁまぁな枚数の様に思えるが、一日サボると翌日は10枚になる。一週間で35枚…。
毎週末、M先生は来られるのでまとめてみて頂くことになる。

私は、家では父や母の後ろ姿を描いたり、祖母や弟にもモデルになってもらったりした。
学校では、クラスメイトに頼み込んで放課にあんまり動かないようにしてもらって描いたり…。
そのうち枚数が足りないと、電車やバスの乗客も描くようになった。
プールの季節には、画塾の友達と公共のスポーツセンターに出向き、遊びつつも こっそりプールサイドで他の人をモデルに描いた。

夏休みになると さらにお題はプラスされて休み期間中に動物100枚となり、動物園に通った。
枚数が足りないと、友人の家の犬や猫も描かせてもらった。


そして このクロッキーにはなんと、枚数不足だった人に罰があった。

現代ではちょっと問題になってしまうかもしれないが、足りない枚数の数だけお寺の修行僧のように棒で肩を叩かれるのである。
棒は結構重くて 太い角材なのでかなり痛い・・・と思う。

毎週末 麻雀が始まる前の時間に、ひとりずつM先生にクロッキーをみて頂き あまりいい加減な内容だと枚数のカウントはされない。

この時間はいつになく緊張していた。

時に 一週間ほとんど手をつけずに過ごしてしまった生徒は、夕方になって泣きそうな顔で慌てて白紙をうめていたりした。

叩かれると決まった人は 皆少しでも痛さを軽減する為に上着を羽織ったりするのだが 、中には潔い浪人生もいた。
余程反省していたのだろう、上着どころかシャツも脱ぎ、「お願いします」と素肌をM先生に向けた先輩もいた。

もちろんM先生は容赦ないので、一発ずつゆっくりと バシ!と音をたてて叩いていた。
真っ赤になった肩を仕舞い、「ありがとうございました」とお礼を言った先輩に 皆注目をしたものだ。

・・・・。

結局のところ、私は1枚も不足することなく受験時代を終えた。

今となると、痛いのの怖さで必死になって描いていたのが何だか滑稽であり恥ずかしくも思える。
そうまでしないと枚数描けなかったのだ、と苦笑いな感じである。

どんな罰があろうとなかろうと、大量にクロッキーをしたことは本当にいい経験になったと思う。



山積みになったクロッキー帳。
大学時代のデッサンは捨てることが出来ても、これだけは捨てられない。




















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2 コメント

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やや的外れ (とみー兄貴)
2013-06-13 22:56:28
ていうかかなり的外れ、
なんだけどうちの父が国語の先生だった頃、
学校に行くと小部屋(宿直室?)で麻雀してたね。
で出前のオムライスが美味しくてね~、
学校行くの楽しみにしてたなあと。
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>とみー兄貴様 (ベベポポ)
2013-06-15 07:55:33
返コメ遅れてごめんなさい。

お父様も麻雀ですか!
誰としていたのか気になります…
理科の先生?社会の先生とか?

そういえば 昔 自分の小学校、大正時代からある古いものだったんですが、用務員さんの宿直室が普通の家みたいな作りで 生徒が立ち入りはできないものの、座敷や土間が見えてて気になったなぁ~。
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