コールセンターでの仕事について書きます。
ちょっと長いかも・・・
直近の仕事は、自社でコールセンターを運営しているメーカーでしたが、私のコールセンターでの仕事の大半は、コールセンター運営業務のアウトソーシング先でした。最近の言葉で言うとBPO(Business Process Outsourcing)企業とも言われます。
サービスベンダーとして、クライアントのコールセンターの運営業務をお預かりするのです
コールセンターも規模が大きくなると、もちろん大切なことなんですが、採用や、定型的なオペレーション業務は外注し、コールセンターの担当社員は、自社の大切な基幹業務に注力をするのは自然なことです。
そこで働く、コールセンターの接客要員は、オペレーター・コミュニケーター・サービスレップなどその企業が彼らに期待するミッションによって異なる呼称もさまざまです。
そして、彼らの電話応対の品質を管理する業務というのは、本来はクライアント側が、自分たちで手綱を握りたい基幹業務だと思います。自分たちの顧客に対してのあるべき姿を描き、現状とのギャップを埋めていく、非常にやりがいのある仕事です。
しかし、ギャップを産む要因はとてもたくさんあり、それを解消するのは地道な取り組みであります。その仕事に関わる人たちの気持ちやココロにフォーカスする必要があり、一歩間違えればモチベーションダウンにもつながります。
人がサービスを提供する訳で、人が「命」の仕事ですから。
私が関わってきた非常に「思い出に残るクライアント企業」のことです。
通信系の会社です。
クライアント主導で取り組みたいとは言え、応対品質管理のノウハウのないクライアントが自力でかつ効率的に取り組むのは難しいことだと思います。
そんなクライアントを、私を含めて3名のチームでサポートしていた時のことなんですが、その時の私たちのクライアントは非常に混乱している時期で、応対品質を高める以前に課題は山積していました。
クライアントがあるべき姿もイメージできない中でのサポートですから、非常に苦心し、皆、日々いらだっていました。
サポートチームの中でも3人とも考えが違い、サポートの方向性もテンでバラバラでした。
この時に、私が痛感したのは、クライアントの現状に合わない提案はクライアントを苦しめることになり、結果、共に進むことができないものであるものだと。
クライアントとベンダーという力関係もあり、なかなか素直になれないクライアントでした。そして泣き言も言えない人でした。
言わせてあげることもできていなかったんでしょうね。
私は、いつもそんな風に彼女を感じていました。閉塞感を何とか打破しなければなりませんので、ちょいと提案してみました。
「一緒にセンター全体のスローガンを作りましょう。通常はトップダウンで作るのが理想ですけど、センター長もそれどころではないようですので、ボトムアップだっていいじゃないですか。」
そんなことから彼女と品質管理の担当者が集まり、ブレーンストーミングをしながら、現場主導でスローガンを作りました。
彼女も一生懸命やりました。担当者は皆、心がきれいな人ばかりでした。
自分たちの意見が遠慮なく言えて、本当に生き生きしていました。私は、ミーティングの進行をサポートし、出てきた意見を集約し、形にして納品しました。
その後、センター長が、スローガンを精査し、非常にぎこちないものができました。ポスターができた時に、ちょっと違う方向に進んでいるなあと苦笑いもしました。
しかし、クライアント企業がひとつの方向性を示したことは非常に意義のあることでした。
彼女はその後、結婚退職をしました。
私は、彼女が退職する前に勇気を持って、自分の言葉で上層部を動かす仕事ができたことをうれしく思い、私もその時にひとつの仕事を成し遂げた充実感がありました。
ポスターがで出来たころまでは私も知っていたのですが、私もその後、その業務を離れてしまい、しばらくして現場の業務に戻った時に、コールセンターのブースのマウスパッドに、ぎこちないながらも、あのスローガンがプリントされているのを見て、驚きました。
あの時、彼女と一緒に作ったスローガンが今もまだ生きているのかと。
その後、私は採用や教育の業務でそのクライアントを支援しました。
そのクライアントを取り巻く環境変化のスピードは極めて早く、非常に大変な業務でした。
これからの仕事も、痛みを分かち、クライアントの成長のスピードにあわせた提案と現場感覚を大事にしていきたいと思います。
今も、あの感慨深いクライアントのサービスを利用しながら、成長を祈っています。
そんな泣き笑いもあるんですよ。最後まで読んでいただきありがとうございます。
ついでにポチッとよろしくね。
↓