ちょっとカウンセリングネタから脱線してみたいと思います。
「いまどきの若いヤツらは、やる気がない、根気がない、覇気がない、何を考えているかわからない」
本当だろうか・・・?
以前から、そんな言葉を聴くと何となく抵抗を感じていて、今の若者は「2極分化してるのかもしれない」と考えてしまいます。
あと、時代は変わっているのに何か決まった枠組みでしか彼らを見ようとしない社会や、時代を越えて伝えたい大切なことがあるはずなのに、評論・評価だけに終始し、本気で関わろうとしない大人。
「やる気」や「ひらめき」「勤勉さ」もちろん「常識」「道徳」を備えた若者だっているでしょ?
そういう若者はそういう自分が活躍できるステージがどういうところなのかわかっていて、そういうステージを探しながら、力をつけながら多分活躍していると思うんですよネ。
そこは、「いまどきの若いヤツラは・・・」なんて言っている大人が知らないステージなだけかもしれません。以前、転職活動をしている時に垣間見ました。
「うちの会社の面接に来るヤツろくなヤツ来ない・・・」
「会社の若いやつらは言われたことしかやらない、やるべきことすらもできていない」
そんな言葉も、同世代から聴くようになり、
「あなたんとこ、そんな人しか面接にこない会社ってことでしょ?」
「それでも働き続けることができる会社なんでしょ?」
「そんな人を教育できない会社もどうよ・・・」
ってむしろ自分の会社に危機感を覚えるべきなんじゃないかって、ココロの中で毒づいてしまう私です・・・。
私自身も勤め人時代はそう考えるようにして、自戒をしていました。
私は、最後のバブル組なんですが、失われた10年の間に就職活動をした学生って、多分私たちの時代よりも、はるかにたくさんの企業訪問をし、業界を研究し、自己分析なんかもやってます。
20代前半ならではのみずみずしさを持って、果敢に戦い、破れ、泣き、諦めを知り、口では愚痴りつつも、まばゆいばかりの喜びの意味も知っているように思うんですよね。(景気が上向いた今の学生は、今後どうなっていくのか別の傾向を示すんでしょう)
そりゃ、苦労して入社した会社が、しょぼかったら、がっくりするって気持ちもわかんなくもないんです。会社も、上司も先輩も自分の未来を重ねるとガックリしてしまうくらい見た目もココロもくすんでて・・・
何か言い訳をしながら、私たちの世代自身が「彼らに望むこと」ができてなくて仕方ないだろ的に開き直り、自分のどんな背中が彼らの目に映っているのかの感度を失い、彼らのエネルギーの低さを育った家庭環境のせいにして、いつの間にか彼らとの接触を避けたら終わりだと思うんです。
30代後半になって、私も十分におとなになりました。
最近思うのは、私も一人でここまでおとなになった訳でなく、教わったことや身につけたことをたな卸しをすると、お世話になった人たちの顔がたくさん浮かんでくるようになりました。
もしかしたら、そういう人たちに教わったことやしていただいたことを、もっと下の世代に伝えていく年になったのかなぁって思うんですよね。
そして、自分たちが亡くしつつあるものを逆に教えてもらう。
私自身は、彼らが困ってたら「どうしたの?」って言える自分でありたいと思うし、逆に何かしていただいたり、教えていただいたら、素直に「ありがとう」って言える自分でありたいと思っています。
私たちの世代は、20代の半ば~後半からITの恩恵を受け、情報の処理、収集、発信の手段として、それなりに使いこなせる世代でもあります。
しかし、その一方でネットワークを築いている年齢の幅が狭くなっているのも確かで、仕事以外に地域や趣味などで年長の人たちから『縦軸』で何かを教わることというのは、意識しなければ少なくなっています。
「すぎなみソーシャル・デザイン塾~人・モノ・組織をつなぐ社会起業家になる~」という場で、3月まで学ぶ場を得たのですが、自分は何をつなぐことができるのか、卒業時には社会事業モデルを創ることなります。
「世代をつなぐ」そんな取り組みを時間をかけてゆっくり考えたいと思います。
はるさん、そりゃ甘いよと考えるか、やってみなはれと考えるか、何か少しでも感じた方はぽちっとよろしく。
↓
ブログの更新サボっている時はここにいます
→「のほほん」なBlog「Breathe&Stretchな暮らし」
「いまどきの若いヤツらは、やる気がない、根気がない、覇気がない、何を考えているかわからない」
本当だろうか・・・?
以前から、そんな言葉を聴くと何となく抵抗を感じていて、今の若者は「2極分化してるのかもしれない」と考えてしまいます。
あと、時代は変わっているのに何か決まった枠組みでしか彼らを見ようとしない社会や、時代を越えて伝えたい大切なことがあるはずなのに、評論・評価だけに終始し、本気で関わろうとしない大人。
「やる気」や「ひらめき」「勤勉さ」もちろん「常識」「道徳」を備えた若者だっているでしょ?
そういう若者はそういう自分が活躍できるステージがどういうところなのかわかっていて、そういうステージを探しながら、力をつけながら多分活躍していると思うんですよネ。
そこは、「いまどきの若いヤツラは・・・」なんて言っている大人が知らないステージなだけかもしれません。以前、転職活動をしている時に垣間見ました。
「うちの会社の面接に来るヤツろくなヤツ来ない・・・」
「会社の若いやつらは言われたことしかやらない、やるべきことすらもできていない」
そんな言葉も、同世代から聴くようになり、
「あなたんとこ、そんな人しか面接にこない会社ってことでしょ?」
「それでも働き続けることができる会社なんでしょ?」
「そんな人を教育できない会社もどうよ・・・」
ってむしろ自分の会社に危機感を覚えるべきなんじゃないかって、ココロの中で毒づいてしまう私です・・・。
私自身も勤め人時代はそう考えるようにして、自戒をしていました。
私は、最後のバブル組なんですが、失われた10年の間に就職活動をした学生って、多分私たちの時代よりも、はるかにたくさんの企業訪問をし、業界を研究し、自己分析なんかもやってます。
20代前半ならではのみずみずしさを持って、果敢に戦い、破れ、泣き、諦めを知り、口では愚痴りつつも、まばゆいばかりの喜びの意味も知っているように思うんですよね。(景気が上向いた今の学生は、今後どうなっていくのか別の傾向を示すんでしょう)
そりゃ、苦労して入社した会社が、しょぼかったら、がっくりするって気持ちもわかんなくもないんです。会社も、上司も先輩も自分の未来を重ねるとガックリしてしまうくらい見た目もココロもくすんでて・・・
何か言い訳をしながら、私たちの世代自身が「彼らに望むこと」ができてなくて仕方ないだろ的に開き直り、自分のどんな背中が彼らの目に映っているのかの感度を失い、彼らのエネルギーの低さを育った家庭環境のせいにして、いつの間にか彼らとの接触を避けたら終わりだと思うんです。
30代後半になって、私も十分におとなになりました。
最近思うのは、私も一人でここまでおとなになった訳でなく、教わったことや身につけたことをたな卸しをすると、お世話になった人たちの顔がたくさん浮かんでくるようになりました。
もしかしたら、そういう人たちに教わったことやしていただいたことを、もっと下の世代に伝えていく年になったのかなぁって思うんですよね。
そして、自分たちが亡くしつつあるものを逆に教えてもらう。
私自身は、彼らが困ってたら「どうしたの?」って言える自分でありたいと思うし、逆に何かしていただいたり、教えていただいたら、素直に「ありがとう」って言える自分でありたいと思っています。
私たちの世代は、20代の半ば~後半からITの恩恵を受け、情報の処理、収集、発信の手段として、それなりに使いこなせる世代でもあります。
しかし、その一方でネットワークを築いている年齢の幅が狭くなっているのも確かで、仕事以外に地域や趣味などで年長の人たちから『縦軸』で何かを教わることというのは、意識しなければ少なくなっています。
「すぎなみソーシャル・デザイン塾~人・モノ・組織をつなぐ社会起業家になる~」という場で、3月まで学ぶ場を得たのですが、自分は何をつなぐことができるのか、卒業時には社会事業モデルを創ることなります。
「世代をつなぐ」そんな取り組みを時間をかけてゆっくり考えたいと思います。
はるさん、そりゃ甘いよと考えるか、やってみなはれと考えるか、何か少しでも感じた方はぽちっとよろしく。
↓
ブログの更新サボっている時はここにいます
→「のほほん」なBlog「Breathe&Stretchな暮らし」
ジェラールフイルップとジーナロロブイジータの名作(今DVDショップであります)そのくだりが「今どきの若者がなってないで、どんどん、歴史を遡りとうとう原始時代までさかのぼります。」何時の世代も同じです。そこで大切なことは、次世代に何を「襷渡し」するかということです。本当に渡したいものそれを考えることも大切です。
こんにちは。多分、世代によってミッションが違うのではないかと最近思っています。今、現在は私は鼎さんの世代から、襷を譲り受けているとして、今度はそれを誰にどんな形でさらに渡していけばいいのか。
自己完結ではなく、さらに下の世代に伝えていくのは私たちの世代の役割ではないのかと感じ始めています。
まだ、自分たちの世代はこれを伝えたいからというものは確立していないのですが、襷として渡されたものは、自分でも理解をして、下の世代が「わかる言葉」で伝えていく行動が必要だと思っています。
少し時間をかけてゆっくり考えていきたいと思います。