初詣は、元旦に、地元の神社に「今年もよろしくお願いいたします」とご挨拶を済ませていました。
今年は、酉年ということで、年女であることもあり守護尊の「不動明王」にお参りするために
石川県津幡町にある高野山真言宗別格本山「倶利伽羅不動寺」の鳳凰殿にも、併せてお参りに行ってまいりました。
御摩法にてお参りすることができました。
薪が赤々と燃える中での読経による祈祷は密教ならではのスタイルだそうです。
しかも、このお正月の間の初御摩法は1時間刻みで夕方まで行われており、僧侶の方々の祈りのエネルギーが
ひしひしと感じられ「ジーン」としました。
お正月にお寺に参るということが初めてだったこともあり、ちょっと緊張しましたが、
僧侶の方が経典をお唱えになる中で、テロのような報復がなくなることを願い、悲しい出来事が少なくなることを願いました。
御朱印をいただいた時に添えていただいた教法や運勢についてとても参考になりました。
神社仏閣で手渡されるこの種の資料から思わぬひらめきを得ることがこれまでにあったので、ありがたく拝読。
おみくじはひかない主義なので、さらにありがたく拝読。
教法の1月号のテーマが「忍耐を養う」というテーマに「うう、これ以上耐えたくない。。。」という思いを掻き立てます(汗)
内容は、仏教の教えに基づくものでした。
あくまで自分のためのメモとして残しておきます。
ーーーーーーー
1)忍耐は修行の最高の形、それを通して悟りに達するが、実践するのは困難でもある。
2)実践のための4か条として
・乱暴に扱われても寛容であれ。
・怒りに対して怒りでもって答えてはならない。
・打たれても打ち返してはならない。
・辱められても侮辱して返してはならない。
3)これらの修行は自分と他人を平等にみなすことを養う基礎となり、自分の態度を変えていくということを意味し、
見返りなくこれを行うことができれば、多くの実りを得ることができる。
4)苦労が人を育てる。苦しみや悲しみを知れば他人の気持ちを推し量れるようになり、思いやりの心も養われる。
ーーーーーーー
積極的に苦労を選ぶ必要はないけど、やはり状況は刻々と変わるので、避けようのない出来事もあるし、
渦中にいると認知・解釈を変えるまでに時間がかかることもあり、やっぱり葛藤してしまいそうだなぁと思ったりもしますが、
「知恵のあるものにとっては、苦しみは重荷ではなく絶好の修行機会」と書かれているように、
時代を超えて、やっぱり「ピンチはチャンス」ってことか。。。
逆らわずに甘んじて受け取ること「も」、今後の避けようもない困難を乗り越える力につながるように感じ入りました。
「実践のための4か条」は、ちょっと自分なりの解釈を交えてしまって恐縮なのですが、
「反応的になってしまうことは少ないに越したことはない」としたいと思います。
「報復」ほど幸せと縁遠い感情はないと思っていますが、決して、黙って歯を食いしばって耐えろというわけではなく、
表現・行動に配慮・工夫した上で、「対処」することは日々必要かなと思っています。
反射的に反応するのではなく、対処する・対応すること。
しかし、苦しみは少ない方がいいなぁ。。。
でも、その都度、その都度、苦しみから学習していくことで、苦しみを減らすことはできると思うので、
苦しみも楽しみを「分別」しない、あるいは同等に自分を豊かにするものと思って日々過ごしていきたいなと思いました。
倶利伽羅不動時の鳳凰殿は23年間、金沢を離れている間に、鳳凰殿ができたため、これが初めてのお参りでした。
山頂本山には、幼い頃1度行ったきりで、ずいぶん風情が変わっておりとても新鮮な気分でした。
門前には、門前町があるわけではありませんが、道の駅が整備されていました。
思うことがあり、また近々参りたいと思いました。
そんなことに思いを巡らせた「小寒」の寒い日でした。
今年は、酉年ということで、年女であることもあり守護尊の「不動明王」にお参りするために
石川県津幡町にある高野山真言宗別格本山「倶利伽羅不動寺」の鳳凰殿にも、併せてお参りに行ってまいりました。
御摩法にてお参りすることができました。
薪が赤々と燃える中での読経による祈祷は密教ならではのスタイルだそうです。
しかも、このお正月の間の初御摩法は1時間刻みで夕方まで行われており、僧侶の方々の祈りのエネルギーが
ひしひしと感じられ「ジーン」としました。
お正月にお寺に参るということが初めてだったこともあり、ちょっと緊張しましたが、
僧侶の方が経典をお唱えになる中で、テロのような報復がなくなることを願い、悲しい出来事が少なくなることを願いました。
御朱印をいただいた時に添えていただいた教法や運勢についてとても参考になりました。
神社仏閣で手渡されるこの種の資料から思わぬひらめきを得ることがこれまでにあったので、ありがたく拝読。
おみくじはひかない主義なので、さらにありがたく拝読。
教法の1月号のテーマが「忍耐を養う」というテーマに「うう、これ以上耐えたくない。。。」という思いを掻き立てます(汗)
内容は、仏教の教えに基づくものでした。
あくまで自分のためのメモとして残しておきます。
ーーーーーーー
1)忍耐は修行の最高の形、それを通して悟りに達するが、実践するのは困難でもある。
2)実践のための4か条として
・乱暴に扱われても寛容であれ。
・怒りに対して怒りでもって答えてはならない。
・打たれても打ち返してはならない。
・辱められても侮辱して返してはならない。
3)これらの修行は自分と他人を平等にみなすことを養う基礎となり、自分の態度を変えていくということを意味し、
見返りなくこれを行うことができれば、多くの実りを得ることができる。
4)苦労が人を育てる。苦しみや悲しみを知れば他人の気持ちを推し量れるようになり、思いやりの心も養われる。
ーーーーーーー
積極的に苦労を選ぶ必要はないけど、やはり状況は刻々と変わるので、避けようのない出来事もあるし、
渦中にいると認知・解釈を変えるまでに時間がかかることもあり、やっぱり葛藤してしまいそうだなぁと思ったりもしますが、
「知恵のあるものにとっては、苦しみは重荷ではなく絶好の修行機会」と書かれているように、
時代を超えて、やっぱり「ピンチはチャンス」ってことか。。。
逆らわずに甘んじて受け取ること「も」、今後の避けようもない困難を乗り越える力につながるように感じ入りました。
「実践のための4か条」は、ちょっと自分なりの解釈を交えてしまって恐縮なのですが、
「反応的になってしまうことは少ないに越したことはない」としたいと思います。
「報復」ほど幸せと縁遠い感情はないと思っていますが、決して、黙って歯を食いしばって耐えろというわけではなく、
表現・行動に配慮・工夫した上で、「対処」することは日々必要かなと思っています。
反射的に反応するのではなく、対処する・対応すること。
しかし、苦しみは少ない方がいいなぁ。。。
でも、その都度、その都度、苦しみから学習していくことで、苦しみを減らすことはできると思うので、
苦しみも楽しみを「分別」しない、あるいは同等に自分を豊かにするものと思って日々過ごしていきたいなと思いました。
倶利伽羅不動時の鳳凰殿は23年間、金沢を離れている間に、鳳凰殿ができたため、これが初めてのお参りでした。
山頂本山には、幼い頃1度行ったきりで、ずいぶん風情が変わっておりとても新鮮な気分でした。
門前には、門前町があるわけではありませんが、道の駅が整備されていました。
思うことがあり、また近々参りたいと思いました。
そんなことに思いを巡らせた「小寒」の寒い日でした。
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