2014年から始めた日々のマインドフルネスの実践(トレーニング)も5年目に入っている。
静坐瞑想と行動時の自己洞察も習慣になってきた。
やっているのは、「自己洞察瞑想法」
心理療法として、教えている内容を自分も日々実践している。
私の場合は、うつでも不安障害でもないけど、
じゃ、罹患した人と何が違うか?
もう、それは身心に現れる問題の「程度」の違いの問題であって、精神的に「しんどい」「きつい」などと不快な感情や思考に苛まれている時、
自分の内部に起きている仕組みは、運悪く罹患してしまった人と全く別物ではない。
誰もが陥る可能性があり、全く人ごとではないと感じている。
それでもなお、
自分を快適な状態にするには、マインドフルネスの実践は、本当に実践する価値があったように振り返る。
基本的には、日常生活の中で、自分が価値を置いている活動において、マインドフルネスを実践することで行動をマネジメントしているというのが現状。
昨年の春から、抑制していた研修の仕事を戻してみて、実践する前と比べると、登壇前後、登壇中の自分のは、明らかに変わったという実感がある。
たった1つ言えることは「以前よりずっと登壇が楽になった」ということ。
このことについての変化を徒然に・・・
1)後先を考えなくなった
つまりは「今、ここ」のことしか考えなくなった。
厳密に言うと、「今、ここ」を基本として、研修開始から終了時間までのことぐらいに考えをとどめている。
先日、そのことを同行した協業先の方に話したら「先もですか?」と聞き返され、「そう」としか言えなかった。
先方は、「先のことは考えてくれよ・・・」って感じだったと思いますが(汗)
基本的には、先、つまりは後工程にご迷惑をおかけしないようにする姿勢は忘れないようにしていますが、
過去のトラウマとか後悔やリベンジの類のものに取られる時間は短くなっているんだろうと思う。
登壇で「んー、もうひとつだったなぁ」と思うことは、研修終了後の報告書で「全力」で振り返って、その日のうちに仕事に決着をつける。
で、忘れる。
もうこれに尽きる。
そして、よかったことも、よくなかったことも対等に忘れる。
よかったこと(そうでないことも)は、自分1人で起きたことではないので、その仕事に関わる全ての方の「おかげさま」でな訳で、「ありがとうございました」で終了し、
忌まわしい「慢心」や「過信」のようなものを育てない。
私の脳は、特に粘着質で、そう簡単に忘れることができないデフォルトで「困ったちゃん」だから、思い切って忘れる。
それくらいできてちょうどいいんです(汗)
そして、次の仕事でも「今、ここ」で観察できることを当たり前に観察し、次の瞬間に必要に応じ修正することを連続させるだけ。
そうやって、先のことについて、自分以外の人が担う責任について必要以上に負わない。
もう、これだけでも、まだ講師として蒼かった頃と比べると無駄なエネルギーを使わないため、楽になっているはず。
そうそう、楽になっていいんだよーーーって。
だって、苦労と研修の品質って正比例の関係じゃないと思うし、しかも、評価はみんな違うんだ。
しかも、数値で表せる評価って本当に一部なんだし、良い評価を鵜呑みにしたり、たとえよくない評価であったとしても、もう今となってはどうすることもできないんだし、
それこそ、過去にタイムマシーンで逆戻りするのは、建設的な振り返りが終わったら、もうそれはそれで終わっていいと自分を許す。
登壇中に苦労しそうなことは、ある程度準備の段階で済ませておくこと(リスク管理)であって、登壇期間中はもっと楽じゃないとプロセスが見えない。
うまくまとまらないけど、こういった一連の考え方や行動の変化ということが
マインドフルネスの実践によって、獲得できたマインドフルネスの実践効果としては「王道」的なことの1つなのかもしれません。
続く
マインドフルネスについて記事更新中。
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静坐瞑想と行動時の自己洞察も習慣になってきた。
やっているのは、「自己洞察瞑想法」
心理療法として、教えている内容を自分も日々実践している。
私の場合は、うつでも不安障害でもないけど、
じゃ、罹患した人と何が違うか?
もう、それは身心に現れる問題の「程度」の違いの問題であって、精神的に「しんどい」「きつい」などと不快な感情や思考に苛まれている時、
自分の内部に起きている仕組みは、運悪く罹患してしまった人と全く別物ではない。
誰もが陥る可能性があり、全く人ごとではないと感じている。
それでもなお、
自分を快適な状態にするには、マインドフルネスの実践は、本当に実践する価値があったように振り返る。
基本的には、日常生活の中で、自分が価値を置いている活動において、マインドフルネスを実践することで行動をマネジメントしているというのが現状。
昨年の春から、抑制していた研修の仕事を戻してみて、実践する前と比べると、登壇前後、登壇中の自分のは、明らかに変わったという実感がある。
たった1つ言えることは「以前よりずっと登壇が楽になった」ということ。
このことについての変化を徒然に・・・
1)後先を考えなくなった
つまりは「今、ここ」のことしか考えなくなった。
厳密に言うと、「今、ここ」を基本として、研修開始から終了時間までのことぐらいに考えをとどめている。
先日、そのことを同行した協業先の方に話したら「先もですか?」と聞き返され、「そう」としか言えなかった。
先方は、「先のことは考えてくれよ・・・」って感じだったと思いますが(汗)
基本的には、先、つまりは後工程にご迷惑をおかけしないようにする姿勢は忘れないようにしていますが、
過去のトラウマとか後悔やリベンジの類のものに取られる時間は短くなっているんだろうと思う。
登壇で「んー、もうひとつだったなぁ」と思うことは、研修終了後の報告書で「全力」で振り返って、その日のうちに仕事に決着をつける。
で、忘れる。
もうこれに尽きる。
そして、よかったことも、よくなかったことも対等に忘れる。
よかったこと(そうでないことも)は、自分1人で起きたことではないので、その仕事に関わる全ての方の「おかげさま」でな訳で、「ありがとうございました」で終了し、
忌まわしい「慢心」や「過信」のようなものを育てない。
私の脳は、特に粘着質で、そう簡単に忘れることができないデフォルトで「困ったちゃん」だから、思い切って忘れる。
それくらいできてちょうどいいんです(汗)
そして、次の仕事でも「今、ここ」で観察できることを当たり前に観察し、次の瞬間に必要に応じ修正することを連続させるだけ。
そうやって、先のことについて、自分以外の人が担う責任について必要以上に負わない。
もう、これだけでも、まだ講師として蒼かった頃と比べると無駄なエネルギーを使わないため、楽になっているはず。
そうそう、楽になっていいんだよーーーって。
だって、苦労と研修の品質って正比例の関係じゃないと思うし、しかも、評価はみんな違うんだ。
しかも、数値で表せる評価って本当に一部なんだし、良い評価を鵜呑みにしたり、たとえよくない評価であったとしても、もう今となってはどうすることもできないんだし、
それこそ、過去にタイムマシーンで逆戻りするのは、建設的な振り返りが終わったら、もうそれはそれで終わっていいと自分を許す。
登壇中に苦労しそうなことは、ある程度準備の段階で済ませておくこと(リスク管理)であって、登壇期間中はもっと楽じゃないとプロセスが見えない。
うまくまとまらないけど、こういった一連の考え方や行動の変化ということが
マインドフルネスの実践によって、獲得できたマインドフルネスの実践効果としては「王道」的なことの1つなのかもしれません。
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