前回はこんなことを書いたわけですが、「今、ここ」に、とどまれるようになるというのは、頭ではわかっていても、
自分の脳で実感できるまでには、私は多少なりとも時間がかかったのだと思う。
初期の頃は、色々本も読みました。
今は、本を読んでも効果があまり実感できないという方から相談を受けることは多々あるのですが、
自分の頭と身体で実感できるようになるには、私の場合は、2年〜3年ぐらいはかかっていたのかなと思う。
主に私が傾きがちだった「脳の習慣」を変化させるのに、それくらいかかったと言えるのかも。
もちろん、まだ克服できていないこともあるけど、「そのまま、そのうち、それはそれとして」と3Sをモットーに。
強引に変えようともしない。
しばらくは、注意を向けておくだけで、本質的な変化は、来たるべき時に必ず来ると思っている。
脳神経システムが学ぶにはちょっと時間がかかるっぽい(汗)
まだいくつか効果を感じていることとして、
2)修正力の向上
私たちの外部環境や他者は、常に変化し、そこから受ける影響は必然で避けようがない。
だけど、自分の外側にある観察可能な「対象」に気を取られ過ぎてしまうと、自分を見失う状態になる訳で
行動時自己洞察を訓練していると、対象を意識する「自分の中に働く作用」、主には思考、感情、感覚、行動といった自分に働く作用側を観察するので、そう簡単には振り回されない。
自分に気づきやすくなり、修正することがごく当たり前になる。
自分を振り返ると、もともと修正力が低い訳ではないのだけど、以前よりもうまくいっていないことに気づいたら修正するということがすんなりできているのかもしれない。
しかも、そのことが静観でき、少なくとも他者を責めることはない。
もちろん自分を責めることも少ない。
「自分にダメ出ししている時間があったら、さっさと次の行動をとれよ」ってことで、あくまで自虐的な反省はくどくど続けない。
こういう瞬間がいちいちコマ送りで見えている。
心(頭)は比較的静かなことが増えてきたのだろうと思う。
3)呼吸の安定
上記の理由から、
全体的に、登壇時に、そんなに慌てることがなくなったため、交感神経が過剰に興奮している実感はなく、ほとんど自分が早口になっている実感もない。
バカでかい声を出す必要もないので、その時の会場の環境にあった声で話す。
比較的大きな声を出す必要がある時も、腹式の呼吸を意識できる時というのは、自然と豊かな声量を保つこともできているんだなと静観することができ、
自律神経が失調しやすかった数年前とは大きく変わったなあと感じるこの頃。
これまでは、自分の戦いグセの中で、定着した呼吸のパターンがあったのだと思うが、それを自分で観察をできるようにもなり、
このパターンを崩すことができているのは、フェルデンクライス・メソッドをやってきたということも大きい。
以前に比べると、身体が余計な力を使わないような、考えや動きができるだけでずっとずっと登壇が楽になることを知った次第。
上記を徒然なるままに書いてみて、
より早く、より多くのことができるようになりたいという「効率」に重きを置いていた時、私にはできなかったことばかりだなと思う。
まだ十分できているとは言えないけど、
この数年でできるようになったことは、より少ない力で今までやってきたことができるようになったんだろうと思う。
そして、今までは、時間的がないと「衝動的」「無意識」に諦めていたことができるようになってもいると思う。
結局「できている」と思えるし、「できてない」と思ってもその状態に浸らないから、不全感を感じることも少なくなった。
それだけで、自分の自己肯定感はある程度維持できている感触がある。
不全感は、交流分析でもその他のアセスメントにおいても浮かび上がってくる私の「ラケット感情(偽物の感情)」
こうして、不全感を感じがちな自分にとっては、人生の後半戦に入ってこの習慣を身につけることができてどれだけ幸運だったと思えることか。
私自身はこの「不全感」を産まない習慣を身につけたことで、幸・不幸でもどちらでもない(あるいはどちらでもある)コンディションにいられることが、意外と幸せなのかもしれない。
そういう自分の中にそういう静かな場所があることを知ったこと、これは大きかった。
で、何かをゲットしていなくても幸せだと感じることができる。
マインドフルネスを実践すると幸福度が上がるというけど、どういう経緯でそうなるのかというのは、人それぞれだろうなと思う。
続く
マインドフルネスについて記事更新中。
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自分の脳で実感できるまでには、私は多少なりとも時間がかかったのだと思う。
初期の頃は、色々本も読みました。
今は、本を読んでも効果があまり実感できないという方から相談を受けることは多々あるのですが、
自分の頭と身体で実感できるようになるには、私の場合は、2年〜3年ぐらいはかかっていたのかなと思う。
主に私が傾きがちだった「脳の習慣」を変化させるのに、それくらいかかったと言えるのかも。
もちろん、まだ克服できていないこともあるけど、「そのまま、そのうち、それはそれとして」と3Sをモットーに。
強引に変えようともしない。
しばらくは、注意を向けておくだけで、本質的な変化は、来たるべき時に必ず来ると思っている。
脳神経システムが学ぶにはちょっと時間がかかるっぽい(汗)
まだいくつか効果を感じていることとして、
2)修正力の向上
私たちの外部環境や他者は、常に変化し、そこから受ける影響は必然で避けようがない。
だけど、自分の外側にある観察可能な「対象」に気を取られ過ぎてしまうと、自分を見失う状態になる訳で
行動時自己洞察を訓練していると、対象を意識する「自分の中に働く作用」、主には思考、感情、感覚、行動といった自分に働く作用側を観察するので、そう簡単には振り回されない。
自分に気づきやすくなり、修正することがごく当たり前になる。
自分を振り返ると、もともと修正力が低い訳ではないのだけど、以前よりもうまくいっていないことに気づいたら修正するということがすんなりできているのかもしれない。
しかも、そのことが静観でき、少なくとも他者を責めることはない。
もちろん自分を責めることも少ない。
「自分にダメ出ししている時間があったら、さっさと次の行動をとれよ」ってことで、あくまで自虐的な反省はくどくど続けない。
こういう瞬間がいちいちコマ送りで見えている。
心(頭)は比較的静かなことが増えてきたのだろうと思う。
3)呼吸の安定
上記の理由から、
全体的に、登壇時に、そんなに慌てることがなくなったため、交感神経が過剰に興奮している実感はなく、ほとんど自分が早口になっている実感もない。
バカでかい声を出す必要もないので、その時の会場の環境にあった声で話す。
比較的大きな声を出す必要がある時も、腹式の呼吸を意識できる時というのは、自然と豊かな声量を保つこともできているんだなと静観することができ、
自律神経が失調しやすかった数年前とは大きく変わったなあと感じるこの頃。
これまでは、自分の戦いグセの中で、定着した呼吸のパターンがあったのだと思うが、それを自分で観察をできるようにもなり、
このパターンを崩すことができているのは、フェルデンクライス・メソッドをやってきたということも大きい。
以前に比べると、身体が余計な力を使わないような、考えや動きができるだけでずっとずっと登壇が楽になることを知った次第。
上記を徒然なるままに書いてみて、
より早く、より多くのことができるようになりたいという「効率」に重きを置いていた時、私にはできなかったことばかりだなと思う。
まだ十分できているとは言えないけど、
この数年でできるようになったことは、より少ない力で今までやってきたことができるようになったんだろうと思う。
そして、今までは、時間的がないと「衝動的」「無意識」に諦めていたことができるようになってもいると思う。
結局「できている」と思えるし、「できてない」と思ってもその状態に浸らないから、不全感を感じることも少なくなった。
それだけで、自分の自己肯定感はある程度維持できている感触がある。
不全感は、交流分析でもその他のアセスメントにおいても浮かび上がってくる私の「ラケット感情(偽物の感情)」
こうして、不全感を感じがちな自分にとっては、人生の後半戦に入ってこの習慣を身につけることができてどれだけ幸運だったと思えることか。
私自身はこの「不全感」を産まない習慣を身につけたことで、幸・不幸でもどちらでもない(あるいはどちらでもある)コンディションにいられることが、意外と幸せなのかもしれない。
そういう自分の中にそういう静かな場所があることを知ったこと、これは大きかった。
で、何かをゲットしていなくても幸せだと感じることができる。
マインドフルネスを実践すると幸福度が上がるというけど、どういう経緯でそうなるのかというのは、人それぞれだろうなと思う。
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