マインドフルネス精神療法:自己洞察瞑想療法でクライアントを支援して3年半が経過しました。
もっと時間が経ったように思うけど、意外とそうでもない。
自己洞察瞑想療法は、10回セットの精神療法で、日頃、難しいことを簡単に伝えること、何よりも継続は力なりとクライアントをサポートしております。
自己洞察瞑想療法は、認知行動療法の1つです。
第3世代とグルーピングされています。
第2世代の認知行動療法でよくならなかった方の数名から、口を揃えて
「考えを無理して変えなくていいやり方は自分にはあっていた」と聞きます。
確かに、考えを変えるよりも、やっていることは、
・不快な思考をやめること、
・自分にとっての価値・願いに注意を切り替えること、
・その価値願いの実現のための行動を取ること
そして、
価値・願いは大それたものである必要はなくて、
家族と笑ってテレビをみて他愛もない話ができる時間を増やすとか、仕事が終わって帰ったら夫婦で笑顔で晩酌をするとか、
半年に1回は家族で旅行するとか、
自分の趣味で作ったものをプレゼントして喜んでもらいたいとか、断捨離してスッキリした家で暮らすとか、
自分のことしか考えてないような、よっぽどエゴまみれでない限りは、スケールなんかは関係なくって、
手を伸ばせば、実現するようなそういう距離にあるものでいいのではないかなと。
で、
例え、不快な思考に苛まれても、
自分とその周囲数十メートル以内の人がとりあえず幸せになるようなイメージのことに、注意を切り替えて、小さな行動に注意を向け続けるのです。
この「自分とその周囲数十メートル以内の人がとりあえず幸せになるようなイメージのこと」に注意を向け続けることができないので苦しいのではないかと・・・
結局、苦手な人のこと、苦手どころか本当にうまくいっていない人のこと、うまくいかない家族のことなど、
人間関係の問題に振り回されてしまうことってやっぱり多いもので、
いつの間にか、不快なものに脳は占領されて、いつしか幸せは見失われてしまう。
つまり、注意をコントロールすることができないから、不快な感情から瞬く間に広がる思考に飲み込まれてしまう。
マインドフルネスのトレーニングでは、価値願いに注意を向けることを持続する練習をしているんでしょうねーーー。
で、
あの人が嫌い、この人が嫌い、あの人のせい、この人のせい、いなくなればいいのにとか、どうして自分ばっかりこんな目に、悪いのはあの人。。。
でも、
自分が幸せになるのに、必ずしも人を嫌ったりする必要ないし、
当然、自分が幸せになるために他者の不幸を願うみたいなんておぞましいこと考えなくてもいいでしょ?
大脳辺縁系の扁桃体が、瞬く間に生み出し増幅して行く嫌悪感情は湧いてくるものはしょうがない。
ある意味正当なもの。
これを育てずに、自分の描く「プチ幸せ」に注意を向け続けて行動していくことを練習する、
これをクライアントと練習しているんだなぁって最近しみじみと思います。
マインドフルネスについて、テレビ番組では注意の制御については、ざっくりと「今ここに注意を向ける」とはいいますけど、
それは、注意の移動の練習ですね。
あんまり強調されないけど、本当はそういうこともっと練習した方がいいよね、って日々思っています。
マインドフルネスについて記事更新中。
こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
自己洞察瞑想療法でよくなった方の体験談もぜひご覧ください→こちら
(表示されるまでにちょっと時間がかかります)
もっと時間が経ったように思うけど、意外とそうでもない。
自己洞察瞑想療法は、10回セットの精神療法で、日頃、難しいことを簡単に伝えること、何よりも継続は力なりとクライアントをサポートしております。
自己洞察瞑想療法は、認知行動療法の1つです。
第3世代とグルーピングされています。
第2世代の認知行動療法でよくならなかった方の数名から、口を揃えて
「考えを無理して変えなくていいやり方は自分にはあっていた」と聞きます。
確かに、考えを変えるよりも、やっていることは、
・不快な思考をやめること、
・自分にとっての価値・願いに注意を切り替えること、
・その価値願いの実現のための行動を取ること
そして、
価値・願いは大それたものである必要はなくて、
家族と笑ってテレビをみて他愛もない話ができる時間を増やすとか、仕事が終わって帰ったら夫婦で笑顔で晩酌をするとか、
半年に1回は家族で旅行するとか、
自分の趣味で作ったものをプレゼントして喜んでもらいたいとか、断捨離してスッキリした家で暮らすとか、
自分のことしか考えてないような、よっぽどエゴまみれでない限りは、スケールなんかは関係なくって、
手を伸ばせば、実現するようなそういう距離にあるものでいいのではないかなと。
で、
例え、不快な思考に苛まれても、
自分とその周囲数十メートル以内の人がとりあえず幸せになるようなイメージのことに、注意を切り替えて、小さな行動に注意を向け続けるのです。
この「自分とその周囲数十メートル以内の人がとりあえず幸せになるようなイメージのこと」に注意を向け続けることができないので苦しいのではないかと・・・
結局、苦手な人のこと、苦手どころか本当にうまくいっていない人のこと、うまくいかない家族のことなど、
人間関係の問題に振り回されてしまうことってやっぱり多いもので、
いつの間にか、不快なものに脳は占領されて、いつしか幸せは見失われてしまう。
つまり、注意をコントロールすることができないから、不快な感情から瞬く間に広がる思考に飲み込まれてしまう。
マインドフルネスのトレーニングでは、価値願いに注意を向けることを持続する練習をしているんでしょうねーーー。
で、
あの人が嫌い、この人が嫌い、あの人のせい、この人のせい、いなくなればいいのにとか、どうして自分ばっかりこんな目に、悪いのはあの人。。。
でも、
自分が幸せになるのに、必ずしも人を嫌ったりする必要ないし、
当然、自分が幸せになるために他者の不幸を願うみたいなんておぞましいこと考えなくてもいいでしょ?
大脳辺縁系の扁桃体が、瞬く間に生み出し増幅して行く嫌悪感情は湧いてくるものはしょうがない。
ある意味正当なもの。
これを育てずに、自分の描く「プチ幸せ」に注意を向け続けて行動していくことを練習する、
これをクライアントと練習しているんだなぁって最近しみじみと思います。
マインドフルネスについて、テレビ番組では注意の制御については、ざっくりと「今ここに注意を向ける」とはいいますけど、
それは、注意の移動の練習ですね。
あんまり強調されないけど、本当はそういうこともっと練習した方がいいよね、って日々思っています。
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