昨日は朝から、胃の具合が悪く、朝から栄養補給は必要とはわかっていても、ちょっと自信がなく・・・。
新幹線に乗る前に、朝食を買い求めようにもそんな時に限って、「カツサンド」とか「てんむす」しかなく、胃薬を忘れて心配な1日でした。
結局、研修中はさすがに痛みは忘れられるものの、帰宅後も胃痛は収まらず、夜9時にはベッドに入り、本を読みながら眠りについておりました。
読みたい本はたくさんありますが、最近は「働く」って何なんだと考えられる本を選んでは読んでいます。
先日、アンジェラ・アキの「手紙」を聴きながら、大人になった僕が、「苦くて甘い今を生きている」と言っている歌詞に妙に共感してしまいました。
確かにそうだもん・・・
個人的な「甘い味」だけを追い求めようとすれば、周囲との不協和音が生じ、でも、決して利己的ではなく、誰かの役に立つ自分の信じることを迷いなくできれば、プロセスに味わう苦味も自分の喜びになるだろうし。
自分以外のことを変えることは残念ながらたやすいことではありませんが、
変えたいと思えば、相手を巻き込む本気さや、誰かの胸を打つひたむきさみたいなものや、本当に率直に相手と正対する潔さみたいなものって必要だよなぁ・・・って思うんです。
しかも、ハンパない感じっていうか、でも、自分以外の人への優しさがあったりで。
自分が影響を受けて、行動変容に至ったのも、そんな人たちとの出会いだったと思います。
満員のNHKホールで「手紙」を歌う、中学生たちは何を思って涙するのか?
感動の大合唱は→コチラ
未来の自分に何が待っていようとも、自分の声を信じ、今を生きていこうという決意か・・・
振り返れば、学生の頃は、選択肢も少なく、経済的に自立した今と比べれば自由とは言えなかったと思います。
時間の自由や責任の小ささという点では、自由は大人になってからよりははるかにあったけど。
大人になっていったん自由の意味を知った後に感じる不自由さは確かに違和感はありますが、それが現実。
不自由な中に、誰かと共に自分らしく生きていく自由を自分で見つけていく。
涙しながら歌う中学生から改めて考えたことです。
しかし、今日も、胃薬は苦いです。
そろそろ1回クリックをお願いいたします。
↓
新幹線に乗る前に、朝食を買い求めようにもそんな時に限って、「カツサンド」とか「てんむす」しかなく、胃薬を忘れて心配な1日でした。
結局、研修中はさすがに痛みは忘れられるものの、帰宅後も胃痛は収まらず、夜9時にはベッドに入り、本を読みながら眠りについておりました。
読みたい本はたくさんありますが、最近は「働く」って何なんだと考えられる本を選んでは読んでいます。
先日、アンジェラ・アキの「手紙」を聴きながら、大人になった僕が、「苦くて甘い今を生きている」と言っている歌詞に妙に共感してしまいました。
確かにそうだもん・・・
個人的な「甘い味」だけを追い求めようとすれば、周囲との不協和音が生じ、でも、決して利己的ではなく、誰かの役に立つ自分の信じることを迷いなくできれば、プロセスに味わう苦味も自分の喜びになるだろうし。
自分以外のことを変えることは残念ながらたやすいことではありませんが、
変えたいと思えば、相手を巻き込む本気さや、誰かの胸を打つひたむきさみたいなものや、本当に率直に相手と正対する潔さみたいなものって必要だよなぁ・・・って思うんです。
しかも、ハンパない感じっていうか、でも、自分以外の人への優しさがあったりで。
自分が影響を受けて、行動変容に至ったのも、そんな人たちとの出会いだったと思います。
満員のNHKホールで「手紙」を歌う、中学生たちは何を思って涙するのか?
感動の大合唱は→コチラ
未来の自分に何が待っていようとも、自分の声を信じ、今を生きていこうという決意か・・・
振り返れば、学生の頃は、選択肢も少なく、経済的に自立した今と比べれば自由とは言えなかったと思います。
時間の自由や責任の小ささという点では、自由は大人になってからよりははるかにあったけど。
大人になっていったん自由の意味を知った後に感じる不自由さは確かに違和感はありますが、それが現実。
不自由な中に、誰かと共に自分らしく生きていく自由を自分で見つけていく。
涙しながら歌う中学生から改めて考えたことです。
しかし、今日も、胃薬は苦いです。
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周囲を変えるには、勇気が必要ですけど、
「優しさ」もそれ以上に大事ですよね…。
今、身にしみてます。
アンジェラ・アキさん、
NHKの放送で歌を聴く事が多いですね。
合唱の時の様子もテレビで少し観た様な記憶がありますが、
以前、平井堅さん・大塚愛さん・アンジェラ・アキさんの三人が、
出演しているNHKの番組もありましたね。
相手が変わるには自分が変わること。
変えられないものを無理やり変えようとするエネルギーはもう少し自分に投入するのがよいと思います。
社会全般に言えることですが・・・。
社会学者の上野先生が、
意見が対立する相手の良い議論をするには、
「完璧に追い込んではダメだ、
相手の逃げ道をつくらないと。」
というような事を述べていらっしゃった記憶があります。
引き続き、身にしみています。
自分にエネルギーを投入する事に、
軸足を移していきたいと思います。
私は、実は、本当は相手の息の根を止めてしまうような辛辣さを持ち合わせているんです。
若い頃は、逃げ場をなくすというより、ノックダウンさせてしまっていました。
その後の人間関係の修復が面倒臭くなり、最近ではそういうことはなくなりました。
その後、訪れたのは、無関心・無関与の時期。
これは良くなかったです。
結局、自分が変わるというよりも、子供の頃、自分の率直さや素直にゴメンと言えた自分に戻ったのが自分らしくてさっぱりして気に入っています。