ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

1/9日 三ツ峠から清八山まで その2:最高地点の開運山(三ツ峠山)では、凄い眺望があった。

2016-01-16 07:17:40 | 草花
軽井沢でのスキーバスの事故は悲惨すぎました。亡くなられた方の冥福を祈ります。

三ツ峠山には木無山・開運山・御巣鷹山と三つの峰があるとインプットできましたが、いま歩いている木無山はちょっとわからない部分がありました。
というのは、山頂部分がとても広くて高度差も少ないのでどこが山頂だか見当がつかなかったのです。
ここに入る前は、昨日の記事のところが山頂にも思えましたが、それは1732mの地点であり、そこから400mほど北東にもう少し高いところがあり、そこが木無山の山頂のようです。

そのことには、山行後、家に帰ってから気づきました。
現地では気づいてはいませんでしたが、その場所の写真はしっかり撮ってありました。

木無山の山頂部の一角で ↓

ここでも三つの峰の総称として三ツ峠山と呼んでいるとありますが、実態は最高峰の開運山を指すようになって来ているようです。
富士山を従えた看板とは贅沢です。



山小屋 ↓

地図上の木無山山頂の間近に「三つ峠山荘」という山小屋がありました。この横にジープがありましたので、あの林道は山の頂上まで来ていたようです。



木無山の山頂 ↓

山小屋から最高峰の開運山に向かう途中で、小広い禿山風の裸地があります。
ここが地図上の木無山の山頂のようです。 この時はそのことを知らずに写真を撮るだけで通り過ぎました。



開運山 ↓

あの場所が最高地点の開運山(三ツ峠山)のようです。



取付き ↓

コブの根元に来て、ここから最後の部分に取付きます。高度差は50メートル程度です。



最後の部分 ↓

空が限られていますので、あれが最高地点なのでしょう。



開運山山頂 ↓

頂に着くと、そこはこんなところでした。



二等三角点 ↓

1785.2mの二等三角点標です。



石碑の先に ↓

「三ツ峠」とだけ書かれた石碑の裏側には「昭和37年5月建立 河口湖町長小林武郎書」と刻まれていました。
その石碑の先にワクワクするような大景観が広がっています。



開運山の施設

枝の向こうに見えるのはどうもNTTの施設のようです。



広い裾野 ↓

広い裾野を入れて、レンズの画角の許せる範囲内で撮りました。



山体を ↓

今度は少しズームして山体の上部分を撮ります。時刻は午前8時31分でした。



近場の山と遠くの南アルプス ↓

天気が良いので近場の山も、遠くの山もよく見えています。
眼下の裸地は先ほど知らずに通りすぎた木無山の地図上の山頂のようです。



懐かしい山域 ↓

西北西の方角に学生時代に歩いた奥秩父の西端に位置する山並みが見えています。
とても懐かしい山域です。
あの頃の小生の住む地方では、「山登りは奥秩父に始まり、奥秩父で終わる」と言われていました。
卒業後には雁坂峠を一度しか歩いていませんから、もう50年近くご無沙汰していますので、一度ご挨拶に行かねば・・・・と思っている山域です。
コメント (8)
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