おととい5日(火)に発言通告が締め切られました。
今回の質問者は9名です。たまたまかもしれませんが昨年の3月議会での質問者と同じ議員が質問します。日本共産党からは大眉議員と私の両議員が質問を行います。
質問の日程は8日(金)、11日(月)、13日(水)の3日間となります。
大眉議員が13日(水)の2番目 ※11:30頃の予定
私が同じく13日(水)の3番目 ※14:00頃の予定です。
通告した内容は以下のとおりです。
1 質疑
第 2号議案 三木市子どものいじめ防止に関する条例の制定について
第28号議案 平成24年度三木市一般会計補正予算(第5号)
バス対策事業7600万(※繰越明許費1億600万)
幼小中施設整備事業-エアコン一斉整備について
第19号議案 平成25年度三木市一般会計予算
バス対策事業と神戸電鉄粟生線活性化事業
2 一般質問
質問番号 1 放射能汚染対策について
学校給食の単品検査の実施について
保育所・園での給食食材の産地公開と検査実施について
継続的な水質検査の実施について
質問番号 2 体罰問題について
体罰にかかる実態把握の調査について
体罰を容認する風潮について
質問番号 3 神戸電鉄粟生線について
駅を中心としたまちづくりについて
統合病院への直通バスとの整合性について
志染踏切(自由が丘団地入り口交差点)の安全対策について
今回の質問者は9名です。たまたまかもしれませんが昨年の3月議会での質問者と同じ議員が質問します。日本共産党からは大眉議員と私の両議員が質問を行います。
質問の日程は8日(金)、11日(月)、13日(水)の3日間となります。
大眉議員が13日(水)の2番目 ※11:30頃の予定
私が同じく13日(水)の3番目 ※14:00頃の予定です。
通告した内容は以下のとおりです。
1 質疑
第 2号議案 三木市子どものいじめ防止に関する条例の制定について
第28号議案 平成24年度三木市一般会計補正予算(第5号)
バス対策事業7600万(※繰越明許費1億600万)
幼小中施設整備事業-エアコン一斉整備について
第19号議案 平成25年度三木市一般会計予算
バス対策事業と神戸電鉄粟生線活性化事業
2 一般質問
質問番号 1 放射能汚染対策について
学校給食の単品検査の実施について
保育所・園での給食食材の産地公開と検査実施について
継続的な水質検査の実施について
質問番号 2 体罰問題について
体罰にかかる実態把握の調査について
体罰を容認する風潮について
質問番号 3 神戸電鉄粟生線について
駅を中心としたまちづくりについて
統合病院への直通バスとの整合性について
志染踏切(自由が丘団地入り口交差点)の安全対策について
それとも、国旗・国歌に関する共通の問題とは関係ない日本独特の問題か。
もしも、それが日本独特の問題であるならば、我が民族の特性に焦点を当てて深く論じなくてはならない。
そうでなければ、理性的な解決は得られない。
「なんで人を殴るのか」と問えば、「態度が悪いからだ」と答える。
相手が服従の態度を示さないところが、気に入らないのであろう。
序列メンタリティに対する批判には鉄拳制裁で応ずる。
服従が足りない。当人は、やけっぱちになっている。
日本語には、階称 (言葉づかい) というものがある。
上と見るか、下と見るかの判断を迫る日本語を使えば、モノの上下に関する判断は常について廻る。
この世俗的な上下感が日本人の判断を狂わせている。
理性 (理由・適当) 判断がないので、下とみられたものは、上からの暴力に抗することもむずかしい。
序列差法は礼儀作法の一環と考えられていて、無防備状態になっている。
上の者の声は、天から聞こえてくると感じられる。
「下におれ、下におれ」の掛け声は、昔から続いた為政者の要求である。
理屈はない。ただ、指導者の要求のみがある。
世俗の上下制度が唯一の頼りとなっている。
暴力は、「がんばって」の掛け声のようなものか。
序列に基づく精神力 (意気込み・気力) で、大東亜戦争に勝てるのか。
努力の空回りに気が付く時が来た。気力ではなく、知力 (intelligence) で負けた。
我々は、頭を鍛えなくてはならない。
だが、我が国の学歴社会の中では、頭を鍛えることは難しい。
同じコメントが2通来ていましたので一方は消去させていただきましたのでご了承下さい。
さて、いただいたコメントですが私の理解が足りない部分があるかもしれませんがその点ご勘弁くださいませ。
日の丸・君が代の問題ですが、世界共通の問題か、日本独特の問題かについては特段調べたわけではありませんがそのように聞かれて日本独特の問題かな~と思っています。
「民族の特性に焦点を当てて」ということですが分かったようで分かってないような気がします。
以前中学校の事業風景を視察に行ったことがあるのですがそこで日の丸・君が代問題についての授業をしているクラスがありました。私も聞いて居たかったのですがそうも行きませんでした。
戦前の日本帝国主義の象徴を現在の日本の象徴に使うのはおかしいというのが私の思考の基本です。
日本帝国主義時代の日本に復古させたいと思っておられる方は日の丸・君が代を国旗・国歌にしたいと思っておられる。
彼らの主張する愛国心やアイデンティティというものが一般市民の中でも受け入れられるようになって日の丸・君が代を国旗・国歌として受け入れてしまえるほどの時代になってしまったと思っています。
しかし、愛国心やアイデンティティを求めるひとが日の丸・君が代でないとダメだったのかというとそうではないのではないか感じています。
日本共産党の支持者の中でも上記の理由で日の丸・君が代を容認する意見を持っているひともいます。
そのときはびっくりしましたが、そのときは花見の時期で花見の席だったのですが桜の旗とさくらさくらの歌が国旗・国歌だったらだめなのかといったら、極論をいうとそれでもかまわない。とにかく日本人であることに誇りをもてるものが欲しいというニュアンスのことを言っておられました。
その一件から、そんなものなのかなと思うようになりました。
いじめであったり体罰の暴力は「なんで人を殴れるのか」の本心は、「自分より弱い人間だとみなしているからだ」と私は思っています。
>上と見るか、下と見るかの判断を迫る日本語を使えば、モノの上下に関する判断は常について廻る。
>この世俗的な上下感が日本人の判断を狂わせている。
おっしゃるとおりだと思います。
>理性 (理由・適当) 判断がないので、下とみられたものは、上からの暴力に抗することもむずかしい。
なるほど。
>暴力は、「がんばって」の掛け声のようなものか。
ちょっとこの辺からはよくわかりません。すみません。
ただ、私たちの知力や能力はどこかが勝った負けたではなく、すべての人間の幸福のために使える世の中にしたいと思っています。
ありがとうございました。