いよいよ生きるか死ぬかのような展開になってきたおんな城主直虎。
今回で一番気に入ったところが、直虎と小野さんが各々碁を打ちながら、今後の策を考えているところ。
井伊は生き残れるのかという瀬戸際のピーンと張り詰めた空気を、あの碁を打つ時の音で表しているように思えました。



この姿を見ていて、思わず、
立派になったねえ、直虎❗️
と思ってしまいました。
折しも、女性の国会議員の醜態が騒がれている中、
直虎を見習え❗️
と思ってしまったのです。
ここで描かれている直虎の良いところ、それは、己よりもまず家のこと、そして領民のことを気にかけているように描写されています。実際もそうだったのかもしれません。これが普通の女子だったら、逆境に折れ曲がってしまうのかもしれませんが、お寺で修行しているという点がミソですね。ここでの修行で、忍耐というものを植え付けられているのかもしれないし、また、自分の幸せのことだけを考えるようには教育されていないからかもしれません。
まあ、この時代、女子は自分の思い通りには生きることはできなかったでしょう。しのもお家のために他家に嫁ぎましたからね。
でもリーダーということを考えたら、お寺で修行をした、というのは、直虎に強い精神力を与えていたのかもしれません。
家のためなら味方をも騙す、なんて、いつからこんな立派になってしまったのでしょう。
現代では間違った政策を行っても、生きるか死ぬかなどの究極の選択を迫られることはないので、失敗したら、ごめんね、で済みますが、当時は一つの誤りが死につながりますから、怖いものがあります。
本当に、こんな直虎のようなトップがいたら、なんて理想を追い求めてしまいます。
今話題になっている勘違い女性国会議員だけではなく、国のことより己のことが優先されているような議員の方、永平寺にでも行って修行してこい❗️と叫んでしまいそう。
また、小野さんですが、ここで描かれている小野さんって、敵のように見せかけて実は井伊の味方と考えて良いのでしょうか?
この小野さん、1569年5月3日に死没というように書かれているのですが、これってドラマの中ではもうすぐの日付でしょうか?何やら、次回は危なそうな予告なんですが。ドラマは一体、西暦何年なんでしょうか。
しっかし次回の小野さんてカッコ良さそう。
ところで、この碁盤ってどういう意味なんでしょう❓さっぱりわかりません。

今回で一番気に入ったところが、直虎と小野さんが各々碁を打ちながら、今後の策を考えているところ。
井伊は生き残れるのかという瀬戸際のピーンと張り詰めた空気を、あの碁を打つ時の音で表しているように思えました。



この姿を見ていて、思わず、
立派になったねえ、直虎❗️
と思ってしまいました。
折しも、女性の国会議員の醜態が騒がれている中、
直虎を見習え❗️
と思ってしまったのです。
ここで描かれている直虎の良いところ、それは、己よりもまず家のこと、そして領民のことを気にかけているように描写されています。実際もそうだったのかもしれません。これが普通の女子だったら、逆境に折れ曲がってしまうのかもしれませんが、お寺で修行しているという点がミソですね。ここでの修行で、忍耐というものを植え付けられているのかもしれないし、また、自分の幸せのことだけを考えるようには教育されていないからかもしれません。
まあ、この時代、女子は自分の思い通りには生きることはできなかったでしょう。しのもお家のために他家に嫁ぎましたからね。
でもリーダーということを考えたら、お寺で修行をした、というのは、直虎に強い精神力を与えていたのかもしれません。
家のためなら味方をも騙す、なんて、いつからこんな立派になってしまったのでしょう。
現代では間違った政策を行っても、生きるか死ぬかなどの究極の選択を迫られることはないので、失敗したら、ごめんね、で済みますが、当時は一つの誤りが死につながりますから、怖いものがあります。
本当に、こんな直虎のようなトップがいたら、なんて理想を追い求めてしまいます。
今話題になっている勘違い女性国会議員だけではなく、国のことより己のことが優先されているような議員の方、永平寺にでも行って修行してこい❗️と叫んでしまいそう。
また、小野さんですが、ここで描かれている小野さんって、敵のように見せかけて実は井伊の味方と考えて良いのでしょうか?
この小野さん、1569年5月3日に死没というように書かれているのですが、これってドラマの中ではもうすぐの日付でしょうか?何やら、次回は危なそうな予告なんですが。ドラマは一体、西暦何年なんでしょうか。
しっかし次回の小野さんてカッコ良さそう。
ところで、この碁盤ってどういう意味なんでしょう❓さっぱりわかりません。
