泣けました。本日の 青天を衝け。
という事だそうです。
史実とわかっていますが、こんな人生の終わり方なんて。円四郎さん、本当に無念だったと思います。
実際のところ、円四郎さん自身ははどこの誰に襲われてこんな事になったのか、死ぬ間際にはわかっていたのでしょうか❓
犯人はー同じ水戸藩の者、という事はわかっていたのかなあ。
円四郎さんは、なぜここで死ななければならなかったのか。
のちの渋沢栄一さんの活躍を鑑みると、栄一さんと慶喜を引き合わせる事に最も関係していたのが円四郎さんなんですが、そのお役目も終わったので、ここで死ぬ運命だったのかとも考えてしまいます。
栄一さんによると、円四郎さんは他の人よりも10先を見ていた、というような人物だったらしい。
平岡が水戸浪士の為に暗殺せられてしまうやうになつたのも、一を聞いて十を知る能力のあるにまかせ、余りに他人のさき廻りばかりした結果では無からうかとも思ふ
という事だそうです。
要するに、先回りして色々と知恵を巡らしているため、IQが低いバカな奴らの考えている事には考えも及ばなかった、という事でしょうか。
攘夷派にとって、一向に外国勢と戦いもしない慶喜の態度に我慢できず、慶喜に変な知恵を授けているらしい円四郎は殺してしまえ、という短絡的な考えで殺されたようです。ドラマでも描かれていましたね。 あの頃は、同じ藩でも色々あって、大変だったようですね。
実は、円四郎以外の慶喜の取り巻きも、この前後に何人か殺されているという事です。そこで、もし円四郎さんや他の人が生きていたらどうなっていたのか、というと、明治時代にはならなかったかもしれない。そのまま慶喜の江戸幕府の体制のまま、日本の自主独立となっていたかもしれません。
もし、そうなったら、サムライはまだ続いていたのかな、なんて。
が、天の采配ではそれはダメ、という事なんでしょう。栄一さんには日本の資本主義を引っ張って行ってもらわなければ困る、だから、慶喜と栄一さんを引き合わせていた時点で、円四郎さんの命運は尽きていたのかもしれません。それに、徳川はダメで、新しい時代が日本には必要なのだから。円四郎さんではダメだという事なのですね。
日本にとって、江戸時代は慶喜に側近が誰もいなくなった時点で過去のものになったしまったのでしょう。
しかしながら、栄一さんは強運の持ち主だと思う。
円四郎さんが殺されてしまうような物騒な京都にはいなかったわけですから。余計な争い事にも巻き込まれず、一応は関東でのんびりと。
それに、本舞台の前の年の1867年にはヨーロッパですから。年表によると、栄一さんは1867年の1月11日に横浜からパリへ向かったという事。大政奉還があったのはその年の10月です。帰国したのは、明治元年となった、1868年の11月3日です。鳥羽伏見の戦いも何もかもすっ飛ばしての明治時代への帰国です。
そこからは怒涛の人生。
ここから先は、ドラマではどう描くのでしょうか。あれをやりました、これをやりましたで、終わるの❓
栄一さんは帰国後、静岡を経て、明治政府の民部省、大蔵省で働き始めます。銀行設立に関わってくるのは、明治6年のことのようです。その他、東京株式取引所設立に関わるし、その他諸々。
明治以降の渋沢栄一さんを、このドラマではどのように描くのでしょうか。個人的には再婚したり色々ありますが、なんだか今とは別物のドラマになりそうな予感。
その時代から100年ちょっとの現代では、栄一さんが関わった銀行も、今やオワコンなんて言われています。仮想通貨の取引もある現代。栄一さんはこのような未来を想像できたでしょうか。
それにしても、人の人生にはあらかじめレールが引かれているように思えて、不思議です。
追加)平岡円四郎さんのことは、あの、せごどん でも描かれていたんですね。知らなかった。せごどん、見ていなかったなあ。