今日は3回目、歯医者さんへ行きます。
明日は母の付添で日野の病院にMRIを撮りに行きます。
病院は時間を取られますね。
歯医者さんは予約制なのであまり待ち時間はありませんが、母の付添は半日仕事になります。
介護離職0は無理だと思います。
介護の事、最初はあまり知らなくて戸惑い、自分で一所懸命がんばってそれから研究を始める人も多いと思います。
申請から動き出すまで結構時間がかかります。
1か月半から2か月と言っていた人がいますけど、そんな感じです。
認定の保険証が届かなくても申請した日から利用できるとの事ですけど、そのあたりの段取りがなかなか難しい、仕事をしながら、特に私のような相手の都合でいつ入るか解らないような仕事の場合、何月何日に来てください、とか行きますと言われて果たして調整できるか?
病院に通う場合もこれは難しいのです。
突然、明日コンクリート打ちです!などと慌てて連絡してくる監督さんもいるので、その場合その日に行かざるをえません、。
ですからやはり仕事と病院、介護は両立できないと思うのです。
私の場合、妹が国立にいますが、それなりに4年前に大きい病気になり手術して色んな病院にも通っているようだし、足が痛くてだんなか甥っ子の運転でしか移動できないとの事ですし、頼りにはできません。
週1日とかでも来てくれたら私も息抜きできるのですけど・・・・・・・・。
たぶんもうすぐ介護保険の段取りも進むと思うのです。
介護経験者はみんな使える制度はみんな使ってと言います。
でも、そこに至るまでの葛藤、戦いは経験者でないと解りません。
毎朝、痛い、妹や甥っ子を呼べ、入院させろ の繰り返し。
病院に行っても取ることの出来る痛さではないけど、時間がたてば痛く亡くなることも多いとの事。
水曜日に行った時も車いすに乗っての待ち時間、痛い痛い、看護婦さん早くお医者さんに診てもらいたいと大騒ぎ、結局整形外科には順番を飛び越えて診てもらったのですけど、内科ではこれは医療の範疇ではない、介護だのような態度で診察も無しで薬の手配だけ。
私の心もけっこうズタズタにされる一日でした。
ラジオで介護経験者の話など聴いていると、たまの息抜きは大事なようです。
先日はスポーツクラブに行ったり、フラダンスに目覚めた人が話していました。
聴いているとずいぶん長い間介護をしていたんですよね、そうとうな葛藤があったことでしょう。
風呂に入りたがらない母になってしまったので、せめて足湯だけでもと、足湯用のバケツを発注しました。
_______________________________________
「 下で家事の合間にポメラで書いた日記 」
昨日は運良く昼に帰ることが出来て紫苑さんに昼食、母にも煮込みうどんを作って食べさせ昼の薬も与える事が出来ました。
昼食時に一度帰る事を心がけないといけないなと思いました。
今日は私の歯科、明日は母の付き添いで日野の病院です。
医療費が嵩んでいるので色々な工夫がされているようです。
ベッド数の削減とか聞いたような。
福祉を削減していって、介護離職0、これ無理でしょう。
今、団塊世代は介護世代、これから介護される世代です。
高齢少子社会でどっちにしても団塊世代は早く絶滅したほうが良いのでしょうね。
団塊世代は生まれてずっと激しい競争社会、学校でも人数が多く教室の後ろまで机が並んでいました。
私は団塊世代最後ですけど、受験の時はそれまでの浪人さんたちも溜まっていたのですごい競争率。
しかし今団塊世代は高齢者になりました。
これから老々介護の時代です。
親の在宅介護から孤独死への道を歩む人が確実に増えます。
戦争を知らない世代ですけど幸せな世代だったのでしょうか。
確かに若いころはいろんな趣味を楽しんだ世代ではあります。
人間、生老病死、どっちみち死です。
長生きしても最後病から死。
若いころ好きなことが出来たと言うことは幸せな世代だったと言って良いのではないかと考えています。
私は幸せだったと思います。
人間の一生、最後の最後の終わりでハッピーエンドとはなんでしょうね。