( 写真は昔のものです )
友人も50代で死んでしまった人も多い、入院して亡くなった者、急に倒れて亡くなった者、様々ですけど
人の寿命は分からないものです。
朝、行ってきますと出て急病になったり、事故にあったり、事件にあったりで帰ってこない人もいます。
ただいまと帰ってこられたら良かったなと思わなければなりません。
普通の事、普通だと思わないほうが良いなと思います。
先日珍しく訪ねてきた仕事仲間ももう何度も心臓の血管系?でステントやバルーンで何度も入院しているとの事、血管は全体的に弱っていると思うので何種類も薬を飲んでいるとの事。
若くてもそうですけど、来年も花見が出来るかなとかこの時期だったらアジサイが見られるかな、夏の花火は見られるかな、そういう意識を持って今日を生きる。
70歳を超えてそう思います。
マイナカードは話のタネに作りましたが何も紐づけしていません(のはず、勝手に紐づけされているのかも知りませんが)
紙の保険証が予定通り廃止とか、高齢者でこのシステムに付いていけない人も多いと思いますし、私も最後まで見極めて、保険証が使えない状態でしたら保証人もいないので入院も出来ないでしょうからあっさり死んでしまうつもり。
( かもめ : 未来は捨てたな )
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先日出かけた時、野点用の寸八棗を二つ持って行き、一つは使ったのですけどもう一つは使いませんでした。
お茶を家用の抹茶ふるいに移し替えたのですけど、使わなかった棗の内蓋が見つからない、外で使わず、持ち帰って移し替えて洗ったので家の中にあるはずですけど、半透明だし、ごみに紛れ込んで捨ててしまった?どこかの隙間に落ちた?
無くなると気になります。
内蓋だけ売っていないかなと探しますが中棗の物はあっても寸八棗の物はどこにもありません。
色々探していたら寸八棗で面白い物を数点見つけましたのでこれを発注。
私、小さいものが好きなので幾つかコレクションになりました。
今行方不明のお茶関係、抹茶ふるい(大)の蓋とへら、普段使いにしていた中棗の蓋、先日行方不明になった寸八棗の中蓋。
と、言う訳で昨日中棗を置いていた冷蔵庫の一番上の段を大掃除、思っていた通り一番奥にありました。
寸八棗の内蓋は迷宮入り。
日本は真似の文化、物まね芸人さんを思い浮かべてください、オリジナルを超えられますか?
江戸時代はほぼ外国からの情報、文化をシャットアウト、鎖国に寄って日本独自の文化が発展していきました。
建築にしても工芸品にしても優れたものがあります。
これが明治以降外国人に寄ってその素晴らしさを認められて すごいんだ と思うわけです。
建築にしても、自然にしても外国人の指摘で気づく。
ま、客観視しなければ気が付かないのは分かります。
赤い光の中で赤は見えない。
今日本はオリジナルは永久に超えられない物まねではなく、独自の文化に自信を持つことではないかと思います。
今朝は雨、ですが洗濯シャワーの1セット。
洗濯物はいつものように洗面所で除湿器の衣類乾燥モード。
これ、お勧めです。
天気緩解なく、PM2.5とか花粉関係なく乾燥できるのはとても助かります。
もちろん晴れている日は外に干しますけど。
ニャンさんは台所テーブル上で寝ていました。
一連の作業を終えてチュールを食べて今膝の上で寝ています。
親族の誰も見向きもしない身の上でニャンさんの存在がどれほど大きい事か。