2017年度の中学・高校の全国制覇は、日大豊山水泳部の歴史と伝統の力によるものです。
創部以来、長年にわたり諸先輩方が築いてこられた歴史と伝統が現在に至るまで続いており、今年の成果につなげることができました。
これを機会に日大豊山水泳部の歴史を振り返ってみようと考えています。
参考とする資料は、学校の記念誌・育友会新聞、OB会報などです。
可能な限り写真なども交えながら調べられた範囲で情報をまとめていこうと考えていますので、この記事をご覧いただいている水泳部OBの皆さま方にはご協力いただければと思います。
特に大正から昭和初期の情報がほとんどありませんので、もし写真や校友会雑誌などを含めまして情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非ご連絡いただきたいと思います。
『軌跡 日本大学移行二十周年記念誌』(以下二十誌』によると、日大豊山水泳部の創部は、大正元年頃(1912年)である。
これによれば、2017年の今年は創部から105年目を迎えていることになる。
歴代顧問は、松田・山本・松井・小谷野・井上先生で、部員数は中学・高校で60名である。
毎年発行されているOB会報には昭和19(1944)年卒業のOBが記載されているのが最初である。
昭和27(1957)年、日本大学へ移行した当時の学校の状況は、鉄筋コンクリート2階建て校舎と木造モルタル2階建て校舎、それに護国寺側に木造2階建て校舎である。
この時点で鉄筋校舎以外は老朽化が進んでいたという記述がある。
体育用施設として木造体育館(バスケットコート1面)と“なんじゃもんじゃの木”が植えられた校庭とテニスコート、そして中学校舎わきに金網で囲った25mプールがあった(写真右上)。
『二十周年記念誌』に書かれた井上敦雄先生の記事によると、当時はプールがある学校は少なく、夏休みに一般公開をすると近所の子供や大人で大混雑だったようである。
昭和29年には創部以来初めて、マニラで開かれた第2回アジア大会に林(旧姓長島)務氏が出場、1500m自由形で銀メダルを獲得した。
この快挙には平田文夫氏(昭和22年卒業)が指導した結果であるという記述がある。
林氏は勉強もクラスで一番、字を書かせると書道展で入賞という文武両道の学生であり、人柄も良い優等生であった。
『二十周年記念誌』には、井上敦雄先生のお兄様である井上脩氏が『ふるさとの水に魅せられて』という題で寄稿されている。
井上脩氏が高校を卒業したのは昭和29(1954)年で日大豊山高校の第2回卒業生である。
井上3兄弟は文京区音羽で生まれ育ち、先生の目をぬすみプールで泳ぎをおぼえたということである。
井上兄弟の少年時代は古橋・橋爪を中心とする水泳日本の全盛時代である。
その影響を受けてか3兄弟に共通していた点は、泳ぎが大好きであったことだそうだ。
寄稿文の最後はこう締めくくられている。
「やはりふるさとの水は偉大である。私はおそらく生涯を通じ、このふるさとの水に魅せられつづけるであろう。」
その言葉通り、当時から井上脩氏は豊山同窓会として学校を支え、現在に至るまで豊山水泳部OB会の会長を務めている。
第1回終わり
竹村知洋