昭和38(1963)年の総合優勝を記念して造られたのが、屋内温水プールである。
高校として全国でも初めてといわれる浄化水循環装置を備えた室内温水プールである。
水泳部OBの皆さま方が最も懐かしさを覚えるプールではないだろうか。
このプールは昭和39(1964)年の東京オリンピックで、外国人選手の練習用プールとして使用された。
当時の校長は第3代の中路正義先生であるが、その志は第4代校長の牛山栄治先生にも受け継がれることになる。
牛山校長は戦後のベビーブームが終息した後に予測される生徒数減少、そのために生じる経営難を回避する目的から生徒が急増している当時から教育環境の整備に乗り出した。
その一つとして板橋区中台の運動場用地の買収・造成があった。
28000平方メートルの用地を獲得したことで体育授業のみならず、運動部の練習環境は格段と充実した。
この場所に昭和40(1965)年に豊山女子高校校舎が新築され、昭和43(1968)年に運動部合宿所(現在の中台体育実習棟)が造られた。
その他、千葉県に野栄学寮が建設されたり、昭和42(1967)年には新しくプラネタリウムを備えた第1号館が誕生した。
当時、高校レベルで温水プールやプラネタリウムを備えている学校は誰もが思いもよらない斬新な設備であった。
このような発想は牛山校長の先見の明というべきものであり、日大豊山高校の原形が完成した時期であったといえる。
このように教育環境が整備された時代、昭和40(1965)年に新たに赴任されたのが井上敦雄先生である。
井上敦雄先生は就任当時から退職される平成15(2003)年まで、実に38年間もの間水泳部の監督を務められ、水泳部の発展を支え続けた先生である。
井上先生の監督時代に日大豊山水泳部は、インターハイでは優勝5回、第2位16回、第3位8回という偉業を成し遂げた。
しかし、その井上先生も就任当初から順調だったというわけではなく、数年間はチーム作りにかなり苦労したということである。
就任当初の数年間はインターハイでも総合で上位に入賞できなかったことから考えてもそれをうかがい知ることができる。
成果がではじめたのはのちにオリンピック選手となる駒崎康弘氏の入学後からであるが、これから始まる輝かしい日大豊山水泳部の歴史は次回から紹介したい。
現在、井上敦雄先生(以下井上先生)は東京都目黒区の日出学園の理事長を務めている。
写真左から二人目が井上先生。平成29(2017)年、インターハイ総合優勝直後に現在のスタッフと共に記念撮影。
第4回終わり
竹村知洋