昭和57(1982)年、日大豊山水泳部は鹿児島で開かれたインターハイで3回目となる総合優勝を飾った。
その年は戦力が整っており、優勝候補の筆頭として楽勝で優勝できるかもしれないという予想であった。
本田和励氏が100m背泳ぎで優勝(日本高校新記録)、400mメドレーリレーでも優勝(日本高校新記録)などの活躍もあったが、一日目、二日目と日が経つにつれ予想に反して苦戦していた。
得点争いをしていたのは、瀬戸内高校である。
最終日の最後の800mリレーの500m位でようやく優勝が決まるというきわどい勝ち方であった。
最終的な得点は日大豊山が60点、第二位の瀬戸内高校が59点で、その差はわずか1点であった。
井上先生は「伝統の力」と純粋に母校を応援していただいたOBをはじめとした皆さまに大変感謝しているという記事を残している。
井上先生はこの年の僅差での優勝の記憶を強く留めており、ダブルスコアやトリプルスコアの差があっても油断してはならず、負けていても決してあきらめてはいけない、ということを教訓としてお話されることが多い。
下は祝勝会の写真であるが、この会のお祝いは全国中学校飛び込み競技大会の団体優勝も兼ねている。
昭和57(1982)年、中学3年生の金戸恵太氏が飛込み選手として活躍し、全国中学校大会で総合優勝した。
金戸氏は同年の全日本ジュニア水泳飛込み選手権でも優勝している。
高校3年生の時には高飛び込み、飛び板飛び込みの2種目で優勝、日大豊山高校初の飛込競技での総合優勝を飾った。
金戸氏はオリンピック選手として昭和63(1988)年のソウル大会、平成4(1992)年のバルセロナ大会(高飛び込み第8位)、平成8(1996)年アトランタ大会に出場し、活躍した。
第8回終わり
竹村知洋