日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

第2回 学校説明会

2017-10-14 14:29:53 | お知らせ

明日(10月15日)、第2回学校説明会が行われます。

くわしくはリニューアルされた学校HPをご覧ください(www.buzan.hs.nihon-u.ac.jp/)。

時間は、高校が10:00~12:00、中学が13:30~15:30です。

全体説明の後に、個別説明と施設見学ができます。

予約は不要です。

施設見学の時間に水泳部は練習を行っていますので、クラブ活動の様子もご覧いただけます。

水泳部顧問・コーチがプールサイドにおりますので、ご質問などがございましたらお声掛けください。

プール(10コース)

水泳部の活動は11階です。

プールの様子はこちらからも見ることができます。

https://www.google.com/maps/@35.7202869,139.7259732,2a,75y,338.8h,78.02t/data=!3m6!1e1!3m4!1sZKAlk4PtQucAAAQpp-_A2g!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

多数の受験生の御来場をお持ちしております!

竹村知洋

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インターハイ 写真集 2

2017-10-13 13:51:50 | ニュース

 

 

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日大豊山水泳部の歴史 4

2017-10-13 13:34:52 | トピックス

昭和38(1963)年の総合優勝を記念して造られたのが、屋内温水プールである。

高校として全国でも初めてといわれる浄化水循環装置を備えた室内温水プールである。

水泳部OBの皆さま方が最も懐かしさを覚えるプールではないだろうか。

このプールは昭和39(1964)年の東京オリンピックで、外国人選手の練習用プールとして使用された。

当時の校長は第3代の中路正義先生であるが、その志は第4代校長の牛山栄治先生にも受け継がれることになる。

牛山校長は戦後のベビーブームが終息した後に予測される生徒数減少、そのために生じる経営難を回避する目的から生徒が急増している当時から教育環境の整備に乗り出した。

その一つとして板橋区中台の運動場用地の買収・造成があった。

28000平方メートルの用地を獲得したことで体育授業のみならず、運動部の練習環境は格段と充実した。

この場所に昭和40(1965)年に豊山女子高校校舎が新築され、昭和43(1968)年に運動部合宿所(現在の中台体育実習棟)が造られた。

その他、千葉県に野栄学寮が建設されたり、昭和42(1967)年には新しくプラネタリウムを備えた第1号館が誕生した。

当時、高校レベルで温水プールやプラネタリウムを備えている学校は誰もが思いもよらない斬新な設備であった。

このような発想は牛山校長の先見の明というべきものであり、日大豊山高校の原形が完成した時期であったといえる。

このように教育環境が整備された時代、昭和40(1965)年に新たに赴任されたのが井上敦雄先生である。

井上敦雄先生は就任当時から退職される平成15(2003)年まで、実に38年間もの間水泳部の監督を務められ、水泳部の発展を支え続けた先生である。

井上先生の監督時代に日大豊山水泳部は、インターハイでは優勝5回、第2位16回、第3位8回という偉業を成し遂げた。

しかし、その井上先生も就任当初から順調だったというわけではなく、数年間はチーム作りにかなり苦労したということである。

就任当初の数年間はインターハイでも総合で上位に入賞できなかったことから考えてもそれをうかがい知ることができる。

成果がではじめたのはのちにオリンピック選手となる駒崎康弘氏の入学後からであるが、これから始まる輝かしい日大豊山水泳部の歴史は次回から紹介したい。

現在、井上敦雄先生(以下井上先生)は東京都目黒区の日出学園の理事長を務めている。

写真左から二人目が井上先生。平成29(2017)年、インターハイ総合優勝直後に現在のスタッフと共に記念撮影。

第4回終わり

竹村知洋

 

 

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日大豊山水泳部の歴史 3

2017-10-12 16:44:00 | トピックス

昭和35(1960)年、石井氏がローマオリンピックで活躍した年に日大豊山水泳部は関東大会で初優勝を遂げた。

その原動力となったのは井上敦雄先生と同学年の福島滋雄氏である。

福島氏は背泳ぎと個人メドレーを専門種目とし、井上敦雄先生の話によると180cmという長身を生かした正統派の泳ぎでフォームが美しい理想的な泳法だったということである。

大学進学後から頭角を現し、日本選手権では200m背泳ぎで7連覇した。

昭和37(1962)年にはオーストラリア国際水泳大会で220ヤードの背泳ぎと440ヤードメドレーリレーで世界新記録を樹立した。

また同年には100m・200m背泳ぎ・400m個人メドレーで日本記録を樹立している。

そして昭和39(1964)年、東京オリンピックに出場し、200m背泳ぎで第4位、400mメドレーリレーで第5位に入賞した。

アメリカの水泳コーチは福島氏の泳ぎを水中カメラやその他でフィルムにおさめ、徹底的に研究したという記録がある。

その後も昭和41(1966)年にバンコクで開催されたアジア大会において200m背泳ぎで優勝した。

また、昭和38(1963)年の2月に開催された全豪選手権に派遣された選手が当時3年生であった青木守喬氏と2年生の石川健二氏である。

翌年に開催される東京オリンピックのために生かす試合として男子選手は高校から12名が選抜されている。

当時の日本水泳連盟機関紙『水泳』(第151号)によると、1月6日に山代に集合し約1か月間の合宿、2月にはオーストラリア各地を3か所転戦しながらパースの全豪選手権に出場するという大変な遠征であったようだ。

記事によると、「この困難な日程を乗り切る方法は選手団の和と選手個々の意欲高揚と節制以外にないと判断し特にブリスベン、シドニー、メルボルンの転戦中に団体行動の厳守、外出禁止、食事の統制、観光気分の排除〝自己の最高記録はパースで出すんだ〟と云う意欲の注入に全力を挙げる必要があります」という選手団の気持ちの入れようである。

この遠征に関する記事には、その当時取り入れられたインターバルトレーニングの練習内容が詳しく掲載されているのも興味深い。

その甲斐あってか、青木氏は100m背泳ぎで前年度のベストを大きく更新する目標タイムを出し、石川氏も100m平泳ぎで目標タイムをクリアしている。

石川氏は高校在学時から日本新記録を出し数々の国際大会に出場した。

高校2年時の第4回アジア大会では100m平泳ぎで金メダルを獲得、大学進学後は福島氏と共に出場した東京オリンピックで400mメドレーリレーにおいて第5位に入賞した。

東京オリンピックのメドレーリレーに2名の日大豊山OBが出場したことは誇りとされることである。

そして石川氏が高校3年の昭和38(1963)年には念願であったインターハイ初優勝を果たした。

石川氏は100m・200m平泳ぎで優勝し、その原動力となった。

得点は、第1位日大豊山92点 第2位柳井商工54点 第3位桜宮27点 第4位三潴17点 第5位諫早商14点 第6位磐田農11点で、断トツの総合優勝である。

当時の井上隆コーチの情熱は素晴らしく、自営業(設計事務所)であったが朝練習・午後練習でも絶対に休むことなく熱心に指導にあたり、コーチ就任5年でインターハイ総合優勝を成し遂げた。

井上脩氏と同様に無報酬での毎日に指導に頭が下がる思いでした、という井上敦雄先生の『二十年誌』回顧録がある。

その情熱を私たちも引き継いでいかなければならない。

第3回終わり

竹村知洋

  

 

 

 

 

 

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日大豊山水泳部の歴史 2

2017-10-11 16:11:17 | トピックス

昭和30年代のプール開きの写真が残っている。

井上敦雄先生が中学生の頃の写真である。

後ろは護国寺だろうか。

この写真が撮影された昭和32(1957)年は高校3年生の石井宏氏がインターハイで400m・1500m自由形で優勝し、男子総合第4位に入賞した年である。

翌年、石井氏は第3回アジア大会に出場、1500m自由形で銀メダルを獲得した。

写真は昭和34年のプール開きを見ている先生方の様子である。

中央に座って、髭をたくわえている先生は第2代学園長の大塚健夫先生。

昭和35(1960)年、水泳部は関東高等学校選手権で初優勝を飾った。

そしてこの年、日本大学3年生であったOBの石井宏氏(昭和33年卒)はローマオリンピックの800mリレーに出場、見事銀メダルを獲得した。

オリンピック壮行式の写真である。

『二十年誌』に井上敦雄先生が石井氏の選手時代の様子を掲載している。

「石井氏の練習熱心、頑張り方、レース度胸、競い合った時の驚くほどの強さは、私の知っているかぎり石井氏以外見たことがありません」

800mリレーの第2泳者でオーストラリアの100m自由形金メダリストのデヴィットに追い上げられた石井氏は、最後の50mで逆転し第3泳者につないだ。

第3位のオーストラリアとのトータルタイムは0.6秒差で日本チームが銀メダルに輝いたのである。

銅メダルがやっとという日本チームを石井氏の頑張りによって銀メダル獲得へ導いたといえる快挙であった。

また『二十年誌』には、石井氏の日大豊山を卒業してから15年後の回顧録が掲載されている。

「オリンピック選手を夢みて来る日も来る日も水と取り組んでいた。いうなれば、「よく泳ぎ、よく泳ぐ」が信条であり全てであった。」

4月や5月の寒いシーズンでは木造校舎の外壁を壊してたき火として寒さをしのいでいたことや皆で相談して公費でソバを食べた話が掲載されているのも面白い。

昭和34(1959)年に水泳部コーチに就任したのがメキシコオリンピックで代表コーチを努めた井上隆氏である。

当時高校2年生だった井上敦雄先生の話によると井上隆氏は独特の雰囲気を持ち、当時の水泳部員はたちまちその魅力と指導力、説得力に心酔したそうである。

さらに井上脩氏が優秀な選手の勧誘をはじめたことにより、日大豊山水泳部はチームとしての成果があらわれはじめる。

第2回終わり

竹村知洋

 

 

 

 

 

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日大豊山水泳部の歴史 1

2017-10-09 10:55:44 | トピックス

2017年度の中学・高校の全国制覇は、日大豊山水泳部の歴史と伝統の力によるものです。

創部以来、長年にわたり諸先輩方が築いてこられた歴史と伝統が現在に至るまで続いており、今年の成果につなげることができました。

これを機会に日大豊山水泳部の歴史を振り返ってみようと考えています。

参考とする資料は、学校の記念誌・育友会新聞、OB会報などです。

可能な限り写真なども交えながら調べられた範囲で情報をまとめていこうと考えていますので、この記事をご覧いただいている水泳部OBの皆さま方にはご協力いただければと思います。

特に大正から昭和初期の情報がほとんどありませんので、もし写真や校友会雑誌などを含めまして情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非ご連絡いただきたいと思います。

 

『軌跡 日本大学移行二十周年記念誌』(以下二十誌』によると、日大豊山水泳部の創部は、大正元年頃(1912年)である。

これによれば、2017年の今年は創部から105年目を迎えていることになる。

歴代顧問は、松田・山本・松井・小谷野・井上先生で、部員数は中学・高校で60名である。

毎年発行されているOB会報には昭和19(1944)年卒業のOBが記載されているのが最初である。

昭和27(1957)年、日本大学へ移行した当時の学校の状況は、鉄筋コンクリート2階建て校舎と木造モルタル2階建て校舎、それに護国寺側に木造2階建て校舎である。

この時点で鉄筋校舎以外は老朽化が進んでいたという記述がある。

体育用施設として木造体育館(バスケットコート1面)と“なんじゃもんじゃの木”が植えられた校庭とテニスコート、そして中学校舎わきに金網で囲った25mプールがあった(写真右上)。

『二十周年記念誌』に書かれた井上敦雄先生の記事によると、当時はプールがある学校は少なく、夏休みに一般公開をすると近所の子供や大人で大混雑だったようである。

昭和29年には創部以来初めて、マニラで開かれた第2回アジア大会に林(旧姓長島)務氏が出場、1500m自由形で銀メダルを獲得した。

この快挙には平田文夫氏(昭和22年卒業)が指導した結果であるという記述がある。

林氏は勉強もクラスで一番、字を書かせると書道展で入賞という文武両道の学生であり、人柄も良い優等生であった。

『二十周年記念誌』には、井上敦雄先生のお兄様である井上脩氏が『ふるさとの水に魅せられて』という題で寄稿されている。

井上脩氏が高校を卒業したのは昭和29(1954)年で日大豊山高校の第2回卒業生である。

井上3兄弟は文京区音羽で生まれ育ち、先生の目をぬすみプールで泳ぎをおぼえたということである。

井上兄弟の少年時代は古橋・橋爪を中心とする水泳日本の全盛時代である。

その影響を受けてか3兄弟に共通していた点は、泳ぎが大好きであったことだそうだ。

寄稿文の最後はこう締めくくられている。

「やはりふるさとの水は偉大である。私はおそらく生涯を通じ、このふるさとの水に魅せられつづけるであろう。」

その言葉通り、当時から井上脩氏は豊山同窓会として学校を支え、現在に至るまで豊山水泳部OB会の会長を務めている。

第1回終わり

竹村知洋

 

 

 

 

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インターハイ 写真集

2017-10-07 17:26:54 | 大会結果報告

 

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全国中学校 写真集

2017-10-07 11:25:01 | 大会結果報告

 

 

 

 

 

 

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国体 祝勝会

2017-10-03 17:53:49 | ニュース

愛媛国体総合優勝V3の祝勝会が新宿ハイアットリージェンシーで開催されました。

祝勝会には北島康介理事も駆けつけ、選手と一緒に楽しいひと時を過ごしました。

また、本年度の優秀選手・指導者の表彰式が行われ14名の選手・指導者に賞状楯と副賞が贈呈されました。(菊池章体育振興基金表彰)

DSC_5236

【優秀選手】
中村  克(競泳)
伊東 隼汰(競泳)
吉田 啓祐(競泳)日大豊山2年生
遠藤 柊斗(競泳)
谷口  卓(競泳)日大豊山1年生
山口 愛斗(競泳)
中田優一郎(競泳)日大豊山1年生
地田 麻未(競泳)
青木玲緒樹(競泳)
長谷川涼香(競泳)
池江璃花子(競泳)
金戸  華(飛込)
藤掛遼太郎(OWS)

【優秀指導者】
竹村 知洋(日大豊山)

国体での個人種目優勝者が優秀選手として表彰され、日大豊山高校からは3名の選手が選ばれました。

私も優秀指導者として表彰していただきました。

東京都チームはコーチ・選手共に大変チームワークが素晴らしく、トレーニングや大会運営まで最高の環境を準備しています。

国体チームとして共に戦い抜いたスタッフの方々に改めて感謝申し上げます。

来年もこのような祝勝会ができますように!

竹村知洋

 

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優勝記念BBQをしました!

2017-10-03 07:51:35 | 日常

先日の日曜日に合宿所屋上にてOB会主催のバーベキューを行いました。

このバーベキューは前回優勝した時にも開催していただきました。

OBの渡邉 和宏さんが先日焼肉屋「ミスター焼肉」をオープンし、お肉をその場で焼いてくれました。

とても美味しく、選手もたくさん食べていました!

 

秋葉原、炭火焼肉のミスター焼肉 http://misteryakiniku.com/

 

 

ケイグラントさんからは今回も優勝記念Tシャツをいただきました!

 

 

 

 

 

最後は井上敦雄先生からお言葉を頂きました。

 

 

 

 

来年もまたこのような会が開催できるように我々も頑張っていきたいと思います!

OBの皆様方にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。

 

 

野本

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