また映画「永遠の0」ネタなんですが、特攻訓練中のわずかな時間を割いて愛児と妻の待つ
家に帰宅し、赤ちゃんをお風呂に入れる場面がありました。
その場面はこの遺書を想定してるな・・・と思いながら見ました。
十数年前に父の戦死場所を探して調査した時期がありました。
当時、この遺書に遭遇して号泣しながら暮らしたものでした。
有名な遺書なのですでにご存じの方も多いと思いますが、改めてご紹介します。
『愛児への便り』 植村眞久 1919(大正8)~1944.10.26(昭和19)
素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。
素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。
私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。
素子といふ名前は私がつけたのです。素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、
お父様が考へたのです。
私はお前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのをみとどけたいのですが、
若しお前が私を見知らぬま死んでしまつても決して悲しんではなりません。
お前が大きくなつて、父に会いたい時は九段へいらつしやい。
そして心に深く念ずれぱ、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。
父はお前は幸福ものと思びます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちやんを
見ると真久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がつて下さるし、お母さんも亦、
御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。
必ず私に万一のことがあつても親なし児などと思つてはなりません。
父は常に素子の身辺を護つて居ります。優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。
お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを讃んで貰びなさい。
昭和十九年○月吉日父 植村素子ヘ
追伸、
素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。
だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。
というご本、前にさくらさんから紹介されていたように思うものです。靖国神社が発行している冊子にも紹介があったし。
さくらさんはなんでもよく読んでおられるから、。
こないだ、ときどき行く、思考の部屋さんのブログで、上野千里さんというかたの詩(遺書)をみつけました。
心打たれて、自分のブログにも紹介しましたら、その詩を世に広く知らしめる契機となった仏教者に紀野一義とおっしゃる高名なかたがあった、ということを知りました。(それを知った頃、紀野一義氏は亡くなられ、余計に印象深く刻まれました。)
そのコメント欄で、三土修平とおっしゃる方が、幻冬舎ルネッサンス新書『靖国問題の深層』という自著を紹介しておられます。
あらためて、自分はつくづくなにもしらないなあとおもうとともに、ぜんぶが重なっていることにあっとおどろかされます。
さくらさん、いろいろと、ありがとうございます。
特に戦犯と言われる人たちの遺書を読んだ人なら今更何も言えなくなります。
亡くなられた作家上坂冬子さんは戦犯の本をたくさん書かれていました。