popoちゃんが私と母に『お手玉作って』と言いました。
布と中身の小豆の用意をすることが、なかなかできないでいました。
先日、栗駒山に行った時、宿の売店でお手玉を見つけました。
不精な祖母(わたし!)は即お買い上げ。
大きい方が大人用、小さい方が子供用。
母にはリハビリになるし
popoちゃんには伝承遊びでよいかもねー
おさーらいっ。
数え歌は母は案外、忘れていてわたしの方がまだ
覚えていました。
母の覚えている数え歌は
一列談判破裂して
で、始まる歌詞です。
わたしはその歌は「まりつき」で歌いました。
お手玉は
おさーらいっ。
おひとつ、おひとつ、、、
と、いうのでした。
ネットやyoutubeで調べてみたら
一列談判破裂して
日露戦争はじまった
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも尽くすは日本の兵
五万の兵を引き連れて、
六人残して皆殺し
七月八日の闘いに
ハルピンまでも攻め寄せて
クロパトキンの首を取り
東郷大将 万々歳
てした。
十一一夜の戦いは
と、続くように思うのですが
この続きは見つかりませんでした。
子供の頃は意味も分からず歌っていましたが
日露戦争の内容をうまいこと歌っていますね。
私が子供の頃、昭和30年代前半ごろまでは
この歌で子供たちは遊んでいたんですね。
ちなみに東京です。
おさーらいっ。で、始まるお手玉の遊び方を覚えている方いませんか?
お手玉を手の平に乗せたり、指の間に挟んだりしました。
ステージがあがると、ポンとお手玉を飛ばしたようにも覚えています。
popoちゃんはひとしきり遊びましたが
すぐに飽きちゃったみたいです。
布と中身の小豆の用意をすることが、なかなかできないでいました。
先日、栗駒山に行った時、宿の売店でお手玉を見つけました。
不精な祖母(わたし!)は即お買い上げ。
大きい方が大人用、小さい方が子供用。
母にはリハビリになるし
popoちゃんには伝承遊びでよいかもねー
おさーらいっ。
数え歌は母は案外、忘れていてわたしの方がまだ
覚えていました。
母の覚えている数え歌は
一列談判破裂して
で、始まる歌詞です。
わたしはその歌は「まりつき」で歌いました。
お手玉は
おさーらいっ。
おひとつ、おひとつ、、、
と、いうのでした。
ネットやyoutubeで調べてみたら
一列談判破裂して
日露戦争はじまった
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも尽くすは日本の兵
五万の兵を引き連れて、
六人残して皆殺し
七月八日の闘いに
ハルピンまでも攻め寄せて
クロパトキンの首を取り
東郷大将 万々歳
てした。
十一一夜の戦いは
と、続くように思うのですが
この続きは見つかりませんでした。
子供の頃は意味も分からず歌っていましたが
日露戦争の内容をうまいこと歌っていますね。
私が子供の頃、昭和30年代前半ごろまでは
この歌で子供たちは遊んでいたんですね。
ちなみに東京です。
おさーらいっ。で、始まるお手玉の遊び方を覚えている方いませんか?
お手玉を手の平に乗せたり、指の間に挟んだりしました。
ステージがあがると、ポンとお手玉を飛ばしたようにも覚えています。
popoちゃんはひとしきり遊びましたが
すぐに飽きちゃったみたいです。
今でもおぼえてます
♪錦糸輝く日本の
あいこでアメリカヨーロッパ
パリフランスドイツ
スイス軍隊 負けちゃった(おたまじゃくしはかえるのこの節で歌ってました)
ゴムとびの歌です
お手玉にもあったんですね
ちなみに わたしらは 「きんし」やろうっていって
この歌歌いながらゴムとびしました 笑
北海道限定かなあ、、、
子どもころに母と一緒にお手玉を作りました
長方形の記事を合わせ縫い
「あずき」を入れていたと思います(*^^*)
「おひと~つおさら~」と歌ってました
一つ投げて全部取るんですよね
歌は覚えてないな~
日露戦争の歌・・・ちょっと怖いですね
俵形の方です。
六角形?みたいなのは難しかったと思います。
歌はwakameさんの歌と同じみたい。
日露戦争があったのは明治だから、ずいぶん長く歌い継がれていたのですね。