やっちゃんの叫び

感じたまま、思ったままを話してみませんか。

そうだったのか、憲法9条!(Ⅺ)置き換え憲法を作ってみた    

2015-07-06 19:42:16 | 憲法9条
 
憲法9条を理解するために、次のように 言葉を置き換えてみた(赤字箇所)

「憲法9条 は、家族の笑顔を希求し、刃物の使用は、他人との言い争いを解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 第二項 前項の目的を達するため、出刃包丁や菜切り包丁などは、これを保持しない。(以下略)」

注)この置き換え憲法が、原文憲法と国語的に可笑しいなら、指摘お願いします。
「可笑しくない」ことを前提に、以下を述べます。

さて、お母さん方にお伺いします。
  
「出刃包丁や菜切り包丁など」を(すべて)保持することを止めますか?

それじゃあ困りませんか? 可愛い坊やに美味しい料理を作ってあげられませんよね。

 でも・・・ご安心ください。第一項で、「他人との言い争いを解決する手段としては」と条件がついています。
ですから、それ以外の条件では包丁を持つことは可能です。

要は、包丁の使い方次第なんです。その使い方を決めるのは「人」ですよね。(スッキリ!)

 自衛隊を「暴力装置」と言って、問題を起こしたM党のS議員がおりましたが、自衛隊は平和をもたらしてくれる女神でもあるんです。戦車も大砲も、自衛のために使えば良いのです。

 これで、お分かりでしょう? 
憲法9条は、第一項と第二項は一つの文章として読まなければならない。それを切り離して読むから自己矛盾(守る権利がありながら、守る手段は持ちません、ということ)を起こすのです。
 
 そもそも自分が困るような決め事をするバカはいませんよね。

 他人が書いた、しかもメモ的に書いたものを解釈しようとするから、真反対の解釈が生じてしまうのです。おかしいですよねえ~。

 戦後半世紀にわたって、そのことを指摘したり、憲法9条には何が書かれているかを正直に説明する教師も、文化人(?)も、言論の府なるマスコミもいなかった。

 今回、私は、名のある憲法学者の解説を読んでみて・・・驚く????ばかりである。

(つづく)



 【】そうだったのか、憲法九条!(Ⅶ)政府見解・通説のチョンボ

2015-06-17 22:49:10 | 憲法9条
  <むむっ、おかしいぞ? 一切の???>

では
 政府見解・通説をみてみよう。

、二項についての見解は『「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」を含め、1項全体の趣旨を受けたものと解し、一切の戦力保持を否定する。』となっている。

 <これでは、いままで、9条一項、二項を丁寧に読み,理解してきた経緯から、どうも変である。>


 再度、ゆっくり読んでみよう。

「・・平和・・を希求し」1項全体の趣旨を受けたものと解し(ここまでは良い)、「一切の」(えーっ? なんで、ここに条文にない文字が入っているんだ? 「一切の戦力」と? 

「一切の」ということは、勿論「自衛のための戦力も」ということになりはしないか!

 <自分を守るための手段(固有の権利)まで放棄???  おかしいではないか!>


条項に戻って、初めから・・・再考

吉田茂政府が、「第一項で侵略戦争はしません。第二項で 一切の(=侵略戦争と自衛戦争の)戦力を持ちません。」と第一項と第二項を切り離し、文字の「つまみ食い」をした上、余計な文字を加えて言うから、可笑しくなる。政府自身矛盾に陥ってしまったし、国民も、頭が混乱してしているではないか。悪いことに、東大を頂点とする共産党教授たちがこの説明を我がものとし学生たちに伝播していったのである。

 正しくは、第二項は、第一項の趣旨(侵略戦争の放棄)を受けて、その具体策として、「(侵略戦争のための)戦力の不保持」を述べているのだ、と解釈するのが国語的理解ではないか。。

 それで、第二項は「侵略戦争の放棄を達するため、そのための陸海空その他の戦力は、これを保持しない。」と言い直すことができる。これで9条は、スッキリする。ケーディスにっこり、芦田議員にっこり!だ。



 要するに、第一項と第二項は、ひとつの文章なのである。その証拠に、第二項には、主語が無いではないか。

 それを わざわざ二つに分けて論じようとするから、おかしくなってくる。

 その原因は、ケーディスがメモ的に二つに分けて書いたからであるのだが、・・・
 だからこそ、日本国民のための「日本国憲法」というのであるならば、国民に解りやすい(せめて真逆の解釈が生じないような)文章に修正すべきである、と考える。



 交戦権についても、同じ論理である。

 第一項は「侵略戦争の放棄」であった。「侵略戦争」については「交戦しません」と読むべきであろう。


 まあ弁護的になるが、国語的解釈が可笑しくても、政府が、戦争直後であり且つ占領下であったことから、そういう解釈をせざるを得なかった政治的解釈をしたことは理解できる。

 だが、戦後70年、時は流れ、我が国は平和国家に大きく変化した、また国際状況も大きく変化した。その中にあって、日本国民は自己を取り戻し、特殊(非常識)な国から普通の国への脱皮として、憲法改正(=真の主権回復)はしなければならないであろう。

 <追)自衛隊違憲論についてだが、その根拠は「陸海空その他の戦力は、これを保持しない。」にあるようだ。

 が、その前の「前項の目的を達するため」という文言を無視していないか?
 
都合の良いとこ文字の「つまみ食い解釈」学者や政治家が実に多い。

 私は、彼らの話を聞く気にもなれない。違憲であろうが、合憲であろうが、判断基準となる憲法自体が可笑しいからである。>

 【憲法改正】そうだったのか、憲法九条!(Ⅵ) 芦田修正の意味

2015-06-13 05:22:29 | 憲法9条
 GHQ作成の日本国憲法第9条第二項原案には、「前項の目的を達するため」の文言はなかった。

「陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と。

 これでは、一切の戦力をもたないことになる。もちろん自衛のためでも、だ。

 このことに危機感を抱いた芦田議員は、苦慮の末「前項の目的を達するため」の文言を加えた。

 <彼は、第一項が、侵略戦争のことを言っていると見抜いており、自衛のための戦力を持てる余地を密かに作ったのである。ただ当時の状況から、あからさまにそのことを口に出すわけのもいかず、後世に託したのであった。(推測)>


 さて、(Ⅱ)でも触れたが、中国がこの文言に注目し、将来日本が「自衛」を、口実に軍隊をもつようになるのではないか、と指摘した。

 この事実は、「第一項は、侵略戦争の否定」「第二項は、第一項の侵略戦争のための戦力の否定」である、と、中国は気がついていた証拠であろう。

 
 以上の事実から、この文言の重要性を認識しなければならないだろう。


 また、もうひとつ。知っておくべき事実は、憲法審議の国会で、唯一共産党が「軍隊のない国家は主権国家と言えない」と9条に反対していることである。
 まことに正論なのだが・・・何故か今では自衛隊大嫌いに変身している。

何故なのだろう・・・???

【】そうだったのか、憲法9条!(Ⅴ)外国の憲法=スイスの場合 

2015-06-09 21:55:34 | 憲法9条
 小学校で、時計技術国で、永世中立国のスイスのことを教えられた。
日本もそうなったらいいのにと、子供心に想っていた。

ところが今、スイスの実態を知ってみると・・・

長文なので、文字だけでも読んでください。
4月20日の「スイス=  」も読んでね。


 スイス連邦憲法 

概説
 スイス初の連邦憲法は、スイスを二分した市民戦争の後、新秩序樹立のため、1848年に制定されましたが、連邦の集権化等のため、1874年に全面改正され、その後、度重なる部分改正による憲法の体系性の喪失等を是正するため、長期にわたり全面改正が検討され、1999年国民投票を経て承認され、2000年から施行され、今日に至っています。

 なお、スイスは、国民提案等により、後述するように憲法の改正が比較的に簡単に出来る国で、過去140回以上にわたる改正が行われているとのことであります。

 現行のスイス連邦憲法(1999年)は、6編197条から成る、西ヨーロッパやアメリカ合衆国憲法と同系列の憲法であり、自由主義的・民主的・社会法治国家的・連邦主義的性格を有する憲法といわれており、その主な特徴を列記すると、次の通りであります。

1 スイス連邦は、26のカントンから成る連邦国家であり、各カントンは、連邦法の範囲内で、憲法を有し、連邦に委譲されていないすべての権利を行使でき(第3条)、連邦法の執行が可能な限りカントンに委ねられており(第46条)、これは「執行連邦制」ともいわれております。

2 スイスでは、内閣が議会に従属する「議会統治制」がとられており、内閣に当たる「連邦参事会」(対等の7人のメンバーで構成される。)は、下院と上院の二院から構成される「連邦議会」によって選任され、同輩中の主席に過ぎない「連邦大統領」は、輪番で連邦議会によって1年の任期で選任されることとなっております(第5編 連邦官庁)。

3 10万人の有権者の憲法の全面改正や部分改正のための発案が認められており、この発案について国民投票に付すこと等が詳細に認められており(第4編 138条、139条等)、第6編においては、憲法改正について、一章を設け、特別に規定しています。(第192條~第125条。この条項については、本文において後掲します。)

4 第2編において、「国民の基本権、市民権及び社会目標」と題し、3章を設けて、第7条~第41条までにわたり、基本権等について詳細に規定しておりますがが、内容は省略させて頂きます。

   本稿の主たる目的であります国の安全保障・防衛の分野で、特筆する必要がありますのは、スイスは、永世中立国であると言う点です。

 スイスが、永世中立国として、国際会議において、正式に認められたのは、フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序の再建と領土分割等を目的として開催されたウイーン会議で、1815年でした。

 永世中立国というのは、「自ら戦争を開始せず、多国間の戦争にも参加しない。」ことを宣言し、他国が、国際会議等で正式に承認した場合、認められることとなっています。

 永世中立国を維持するということは、簡単では有りません。

 永世中立国は、隣国や親しい国が戦争をはじめ、援助を求めてきても、断らなければなりません。
 他国が自国を通って相手国に攻め込もうとしても、勿論、通すわけにはいきませんし、自力で、これを防がねばなりません。

 従って、スイスが国の独立と国民の安全を維持していくためには、武装中立政策を取る他なく、連邦憲法第3編において、外交、安全保障、国防、民間防衛等について詳細に規定しておりますので、これ等の条項等を中心に、以下において紹介いたします。

 なお、スイスは、永世中立国の立場を堅持し、国際連合に加盟しませんでしたがたが、21世紀に入り、各分野での国際協力の進展を背景に、憲法に基づく国民のイニシアティブとして、国際連合への加盟が提案され、2002年3月3日、国民投票により採択されました(第197条)。



第2節 安全、国防、民間防衛

第57条(安全保障)

① 連邦及び州は、その権限の範囲内で国の安全及び住民の保護に配する。
② 連邦及び州は、国内的安全の分野において、その施策を調整する。

第58条(軍隊)

① スイスは、軍隊を有する。軍隊は、基本的に民兵制の原則に従って組織される。
② 軍隊は、戦争の防止及び平和の維持に寄与する。軍隊は、国及び住民を防衛する。軍隊は、国内的安全への重大な脅威及びその他の非常事態に対処するため、非軍事官  庁を援助する。法律は、その他の任務を定めることができる。
③ 軍隊の出動は、連邦の権限事項である。非軍事官庁が利用することができる手段が国内的安全への重大な脅威への対処のために不十分である場合には、州は、公共秩序  の維持のために州の部隊をその領域に出動させることができる。

第59条(兵役及び代替役務)

① すべてのスイス人男性は、兵役に従事する義務を負う。
 法律は、非軍事的代替役務を定めることができる。
② スイス人女性については、兵役は、任意である。
③ 兵役にも代替役務にも従事しないスイス人男性には、税が課される。当該税は、連邦によって課され、州によって査定され、徴収される。
④ 連邦は、所得の損失に対する適正な補償について定める。
⑤ 兵役又は代替役務への従事の際に健康被害を被った者又は生命を失った者は、自ら又は親族に対し、連邦による適正な扶助を要求する権利を有する。

第60条(軍隊の組織、教練及び装備 )

① 軍事に関する立法並びに軍隊の組織、教練及び装備は、連邦の権限事項である。
② 州は、連邦法の範囲内で、州の部隊の編成、当該部隊の将校の任命及び昇進並びに制服及び装備の一部の供給について管轄する。
③ 連邦は、州の軍事施設を適正な補償の下に取得することができる。

第61条(民間防衛)
① 武力紛争の影響に対する人及び財産の民間防衛についての立法は、連邦の権限事項である。
② 連邦は、大災害及び緊急事態における民間防衛の出動について法令を制定する。
③ 連邦は、男性について民間防衛役務が義務的である旨を宣言することができる。女性については、当該役務は、任意である。
④ 連邦は、所得の損失に対する適正な補償について法令を制定する。
⑤ 民間防衛役務への従事の際に健康被害を被った者又は生命を失った者は、本人又は親族について、連邦による適正な扶助を要求する権利を有する。
                         (元参議院議員 依田智治氏HPより)


【憲法】そうだったのか、憲法9条!(Ⅳ)「前項の目的」

2015-06-07 14:31:34 | 憲法9条

もう一度、端的にいうと、

 第一項は 侵略戦争はしません。
 第二項はそのための戦力は持ちませんし、戦いもしません、

と読み解けば 9条はスッキリする。正に、平和憲法だ。

 ただし、国民にとって解りやすい文言に書き変えてもらいたい。専門家でも、ああでもない、こうでもない、という論議をせねばならないような憲法は、「国民のための憲法」とは言えないであろう。又、「自衛」に関しては、加筆してもらいたい。国民の生命を守る「現実的」手段について現憲法は何も書いていないのだから。

 従って、その限りにおいて、私は憲法9条を守ることには賛成である。




 ところで、ネットで調べてみたら、第二項の「前項の目的」とは第一項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」を指す(政府見解・通説)というのがあった。

 が、少し違うのではないか、はたして、その部分だけであろうか?・・・ 考えてみたい。 

 先ず、第一項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する」ことは、戦争直後のことでもあり、誰もが望んでいることであり、当たり前のことすなわち原則論(総論)といえよう。

 次に、それを受けて、現実論としての具体策(各論)として第一項で「戦争の放棄」を宣言し、引き続いてその道具としての「戦力の不保持」を第二項に明記しているのであって、第一項から第二項へと文脈は流れているのである。

逆に言えば、第二項に戦争に関する「戦力」の不保持を続いて書いている、ということは、「前項の目的」が「国際平和を誠実に希求して、戦争を放棄する」ということだからであり、それを受けた内容が書かれるは自然であろう。


 もし、「前項の目的」が総論の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」であるならば、第一項から独立した(関係のない)具体策でよいはずだ。「花を植えよう」、でもよいし「仲良くしよう」でも、なんでもいいはずである。

  
 だから再度言う。第一項から第二項へと文脈は流れている。のであって、二項の戦力は、侵略戦争のための戦力ということである。



(つづく)

【憲法改正】そうだったのか、憲法九条!(Ⅲ)自衛戦争は

2015-06-02 23:16:34 | 憲法9条
さて、第二項。ゆっくり読んでみましょう。

「前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 この項も なんだか変ですねえ。

・・・「持たない」とか「認めない」とか・・・

日本国民自身が幸せになるための誓を成文化する憲法なのに、なんだか非常に縛られている感じがしませんか?

・・・違和感を覚えますよねえ。

でも、まあ、文言を追ってみましょう。


 先ず、「前項の目的を達するため」とは・・・

「前項」は「侵略戦争を放棄する」ということだったので、「侵略戦争を放棄することを実現するため」ということになる。

従って、「陸海空その他の戦力は、これを保持しない。」は、条文の流れから言うと、「侵略戦争をす」るための 「戦力は、持たない」ということになろう。

 
 ところが、今まで受けてきた教育やマスコミをはじめとする言論界、政治家に至るまでのあらゆる階層は、「保持しない」という字面のみを取り上げて、「全ての戦争」「一切の戦力」に反対、反対の大合唱を、半世紀以上もの間叫び続けてきた印象がある。

 そのために、日本国民はそれが当たり前であるかのような錯覚に突き落とされ、洗脳されてきたように思えてならない。
 


 話を戻すが、第一項は、自衛のための戦争については、何も書いていないのであるから、第二項の戦力は、侵略戦争のための戦力であって、自衛戦争のための戦力は含んでいない、と考えるのが自然ではないか。

 ならば、自衛のための戦力の保持については、何も書かれていない、だけで、肯定も、否定もされていない。

自衛のための戦争について言いたいのであれば、「別途書けばいいこと」なのである。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 以上のことを裏付ける事実がある。

 それは・・・日本の憲法草案について検討している極東委員会において、中国代表が、「前項の目的」に注目し、
「それ以外、たとえば「自衛という口実」で、日本が実質的に軍隊をもつ可能性がある」と指摘した。ことである。

 裏を返せば、日本には自衛権(戦争)があるよ、ということを言っていることになるだろう。
  (つづく)

 ・・・・・・・・・・・・・
 ここで、日本国民がしっかり自覚しておかなければならないことがある、と考える。

 それは、この憲法は、建前上日本国民が作った(書いた)ということになっている。

ならば、自衛権(戦争)がありながら、自らを危険にさらすような具体策=自衛のための戦力さえも放棄するという自己矛盾を書く、ということは到底考えられない。

 戦後独立した多くの国を含め、世界は憲法の中で平和主義(他国を侵略しない)をとなえつつ、自国を守るための軍隊を持っている。これが世界の現実であり、常識である。

 かつて共産党がは、「軍隊のない国は独立国とはいえない」と主張した。正論なのである。

 ところが、わが国では、(防衛)軍さえ、認めようとしない論調がはびこっていることは、狂気の沙汰というほかない。何故か? 日本乗っ取り集団とその加担者たちの内部工作によるものというべきであろう。

 現実をみよ! 「平和」は現実論、であり、「理想」は観念論だ。

 戦後70年にもなるが、この間、我が国につづいて、自衛戦争も放棄した国が1国でもあったか? 一部を除き、世界中の国が自国をしっかり守る姿勢をもっているから、平和がたもたれているのであり、もし、守る手段を持たないまま口先だけで平和を唱えていては、くさかりばとなって蹂躙されていたであろう。




そうだったのか、憲法九条!(Ⅱ)マッカーサーノート

2015-05-30 14:42:40 | 憲法9条

  前回は、日本国憲法第9条第一項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言に注目して、

「戦争」とは「侵略戦争」のことだった、と述べました。

 
 今回は、何故そうなったのか、(補足)説明をします。


 先ず、1945.9.22 米国本国より「降伏後における米国の初期の対日方針」が示された。

 その内容は、「(第一.a)日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和と安全の脅威となる事無き様保証すること。」
つまり、再び反撃してこないように=日本を弱体化せよ。ということでした。

 1946.2.3 マッカーサーはその「対日方針」の内容を、憲法草案作成に当たるGHQ民政局に、マッカーサーノートという形で伝えた。

 その第二項は、

「 国権の発動たる戦争は、廃止する。

 日本は、国際紛争を解決する手段としての戦争、さらに自国を守る手段としての戦争をも放棄する。

 日本は、防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。交戦権は認められない。」

つまり、「侵略戦争も自衛戦争も放棄する」という内容でした。


 ところが、9条担当者ケーディスは、マッカーサーノート第二項をほぼそのまま採用したのですが、ただ「自衛戦争放棄」については「まずい」と配慮して削ったのでした。


 その理由は、「国際紛争を解決する手段としての戦争」の出典となっているパリ不戦条約(1928年)締結にあたり、

米国は「これは、いかなる形においても自衛権を制限し又は毀損するなにものも含むものではない。

この権利(自衛権)は、各主権国家に固有のものであり、すべての条約に暗黙に含まれている。」と主張していること、更に、国連憲章51条には、「自衛権は各国固有の権利である」ことを書いていることを知っているからでした。


 *GHQ(外国人)による憲法草案作業は、1946.2.4~12のわずか8日間でした。

(つづく)


 【憲法を知ろう!】そうだったのか、憲法九条!(1)第一項「としては」

2015-05-26 23:23:50 | 憲法9条
そうだったのか、憲法九条!

憲法九条って「戦争を・・・永遠に放棄する」ってヤツだろう?

確か小学校6年のとき(昭和34年)、習ったような・・・

以来50年間、「9条」といえばそのフレーズのみを常識として耳にしてきた気がする。

 テレビも、世間の知識人(?)も、それ以上の解説をしないし、私の周囲の者も同様だ。

 今更「九条を解説をして欲しい」と尋ねることも、出来ず、聞き流してきた。

だから、私の憲法9条知識は、小学生並みということである。



 ところで、今、国会では安保法制論戦で火花を散らしている。
一方、巷では 九条をめぐって護憲派、改憲派が活動を活発化させている。

 ところが、いずれの派の人と話してみて想うのだが、9条をちゃんと理解しているのだろうか?と。
 
 そこで、自分の反省も込めて、じっくり、国語的に(客観的に)読みながら再確認してみることにした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 その前に、このような場合の私の”流儀”について述べておきたい。

それは、・・・「今までの知識(先入観)を一旦とっぱらった上で、何度も解るまで読んでみる、そしてどうしても分からない箇所については調べてみる」・・・という方法である。

 どうしてそうするかというと、いきなり関連書を読むと、初めに読んだものに影響されてしまうからである。


 さて、先ず、「ざあーと読み」してみる。

 「憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 第二項 前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」


 はーーい。頭がクルクルなる文章ですねえ。


 今度は、「じっくり読み」で・・・ 憲法9条 第一項から。

  先ず(主語・述語は・・・っと) 「日本国民は、・・・永久に「これ」を放棄する。」

「これ」って、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を指すので、「戦争」という言葉にまとめると

「日本国民は、・・・永久に「戦争」を放棄する。」となる。

  ここまでは、日本人の常識ですよね。


 次に、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」・・これは希望願望ですから、そのままにして・・・


 最後に残ったのは、「国際紛争を解決する手段としては」です。

ええー? 国際紛争って何? 手段(戦争)っていろんなパターンがありそうだけれど? 「としては」って、微妙だよなあ?・・・・頭がくるくるしてしまいますねえ。

 さあ気を取り直して・・・・

 先ず「としては」から。辞書に、「としては」は、「の場合には」とありますから、再度 慎重に読んでみましょう。

 「日本国民は、・・・「戦争」は、国際紛争を解決する手段としては(の場合には)永久にこれを放棄する。」となります。

  さて、ここで、気が付くことは、「国際紛争を解決する手段ではない場合」がある、ということでしょう。

 幸いその場合とは、どういう場合かを知る鍵が、草案作成過程にありました。

 それは、マッカーサーが担当者に渡したマッカーサーノート(1946.2月)の存在です。

 これは、米国本国の対日占領政策(日本弱体化政策)を受けて3項目にまとめられたもので、「これに沿って作れ」とGHQ民政局の憲法草案作成チームに渡されたものでした。

 その第二項には「日本は紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する」と書かれていました。

 後者は明らかに自衛戦争のことを云っているのですから、前者は侵略戦争のことだと判断できます。

 従って、 憲法9条 第一項の「戦争」とは、「侵略戦争」のことを言っているのだということができます

 もし、第一項で「すべての戦争」と言いたいのであれば、「国際紛争を解決する手段としては」と(限定)条件を書かないはずだし、「全ての戦争」と書くか或いは書かない文章となるはずです。

つまり「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する。」と・・・。


(つづく)