やっちゃんの叫び

感じたまま、思ったままを話してみませんか。

わが国について語った有名人の言葉 「ねずきちのひとりごと」より

2012-05-22 22:04:29 | 日記

世界の国歌のうち最も荘厳なもの。(『君が代』について)
[ヘルベルト・フォン・カラヤン]

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我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことが出来ない訳はないと発憤したからである。
[スカルノ大統領]

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裁判官パール氏の主張が絶対に正しいことを、私は全然疑わない。
[ハンキー卿(英国枢密院顧問官)]

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日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。
人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。
[ラフカディオ・ハーン]

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日本の僧侶たちはといえば、老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。
[ハインリッヒ・シュリーマン]

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大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。
[朴鉄柱(韓国、韓日文化研究所)]

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日本の天皇の宣戦書には、東洋平和を維持し大韓独立を強固にすると書かれていた。
そのような大義は青天白日の光線より勝っていたのであり、韓・清の人々の智恩を論ずることなく、みな心を同じくして、賛同し服従したのである。
もう一つは、日露の開戦は黄白両人種の競争というべきものであって、前日までの日本に対する仇敵の心情がたちまち消え、かえって、一大愛種党となるにいたったのであり、これまた人情の順序であり、理に合うものであった。
快なるかな、壮なるかな。
数百年来、悪を行い続けてきた白人種の先鋒が、鼓を一打したたけで大破してしまったのである。
日露戦争の勝利は一千古に稀な事業として万国で記念すべき功績であった。
だからこのとき韓・清両国の有志は、はからずも同じように、自分たちが勝ったように喜んだ。
[安重根(伊藤博文を暗殺した韓国の“英雄”)]

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私は貧農の生まれで、学校に通うなど思いもよらなかったが日本人の役人が両親を説得して小学校に行く事が出来た。
そしたら学校の教師がお前は頭が良いから無料の師範学校に行った方が良いと推薦してくれた。
師範学校では更に優秀さを認めてくれて陸軍士官学校に推薦してくれた。
その結果士官学校首席として日本人同期生のトップで卒業し、陸軍将校に成る事が出来た。
今の私が有るのは清廉で誠実な日本人達のおかげである。
[朴正熙(韓国元大統領)]

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日本人はいずれも色白く、きわめて礼儀正しい。
一般庶民や労働者でもその社会では驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ、あたかも宮廷の使用人のように見受けられる。
この点においては、東洋の他の諸民族のみならず、我等ヨーロッパ人よりも優れている。
[ヴァリニャーノ]

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アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
[ナチール(インドネシア元首相)]

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日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。
だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ。
[ラフカディオ・ハーン]

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日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持つてゐる。
ごく幼い頃から讀み書き、法制、國史、地理などを教へ、大きくなると武術を教へる。
しかし一等大切な點は、日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、禮儀を極めて巧みに教へこむことである。
われわれは實地にこの賞讃すべき日本人の資質を何度もためす機會を得た。
[ゴロヴニン]

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日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。
日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。
[ノンチック(元マレーシア上院議員)]

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この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造型に対するすぐれた美的感覚を表してないものは、何ひとつとしてない。
花の金蒔絵が施された時代ものの目を見張るような菓子器。
飛び跳ねるエビが、一匹小さく金であしらわれた透かしの陶器の盃。
巻き上がった蓮の葉の形をした、青銅製の茶托。
さらに、竜と雲の模様が施された鉄瓶や、取っ手に仏陀の獅子の頭がついた真鍮の火鉢までもが、私の目を楽しませてくれ、空想をも刺激してくれるのである。
実際に、今日の日本のどこかで、まったく面白味のない陶器や金属製品など、どこにでもあるような醜いものを目にしたなら、その嫌悪感を催させるものは、まず外国の影響を受けて作られたと思って間違いない。
[ラフカディオ・ハーン]

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この国に来られた日本のある学校の先生は、
「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。
私は驚きました。
「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。
日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。
[ノンチック(元マレーシア上院議員)]

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日本人は信用すべしと認められる。彼らは第一の目的である名誉に邁進する。
また恥を知るを以て漫に他を害うことは無い。
彼らは名誉を維持するためには喜んで生命を捨てる。
[フランソア・カロン]

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我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。
インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。
アラムシャ(インドネシア元第三副首相)

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日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか。
大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。
わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。
私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。
日本は敗れたが英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。
[シャフィー(元マレーシア外務大臣)]

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日本人は、野蛮な西洋人がするように、花先だけを乱暴に切り取って、意味のない色の塊を作り上げたりはしない。
日本人はそんな無粋なことをするには、自然を愛しすぎていると言える。
[ラフカディオ・ハーン]

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特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。
日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。
[サンパス(インドネシア元復員軍人省長官)]

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世界に最も「良い影響」を与えている国は日本。
米メリーランド大が世界の約4万人を対象に実施した英BBC放送との共同世論調査で、こんな結果が出た。
同大が3日発表した。調査は昨年10-12月に米州、欧州、中東、アフリカ、アジア各地域の33カ国で行われた。
質問の対象となったのは日本、米国、中国、ロシア、フランス、英国、インド、イランの8カ国と欧州。
調査結果によると、日本が世界に「好影響」を与えているとの回答は、33カ国中31カ国で「悪影響」を上回り、平均すると好影響が55%、悪影響が18%だった。
[(共同通信2006/02/04)]

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日本「世界に良い影響」、独と並びトップ。
読売新聞社が英BBC放送と実施した共同世論調査によると、日本は世界に良い影響を与えていると思う人は56%で、悪い影響を与えているとの答えは21%だった。
「良い影響」はドイツと並んで最も高く、「悪い影響」はドイツの18%に次いで低い数値となり、総合的に高く評価された。
調査は昨年10月から今年1月にかけて34か国で行い、政治、経済、安全保障分野で世界に影響を及ぼす14か国・国際機関についての評価を聞いた。(中略)
日本に対する各国の評価を見ると、「良い影響」が最も高かったのはケニアの78%。「悪い影響」は中国55%、韓国52%が目立った。
[(BBC・読売調査2008/04/02)]

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東京裁判はいくつかの重大な誤判を含むのみならず、全体として、復讐の感情に駆られた、公正ならざる裁判だった。
[キーナン(極東国際軍事裁判首席検事)]

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自分の農地を整然と保っていることにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはないであろう。
田畑は、念入りに除草されているばかりか、他の点でも目に見えて整然と手入れされていて、まことに気持ちがよい。
[オールコック]

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この裁判は歴史上最悪の偽善であった。
このような裁判が行われたので息子には軍人になることを禁ずる。
[ウィロビー(GHQ参謀第二部長)]

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ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。
もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。
彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。
[イザベラ・バード]

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日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、その四半世紀もたたないうちに、1960年(昭和35年)に国連が植民地を保有することを不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした。
[レーリンク(極東国際軍事裁判蘭代表判事)]

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我々は戦争法規を擁護する為に裁判をしているはずだったのに、連合国が戦争規を徹底的に踏みにじった事を、毎日見せつけられていたのだから、それは酷いものだった。
もちろん、勝者と敗者を一緒に裁く事は不可能だった。
東條が東京裁判は勝者による復讐劇だと言ったのはまさに正しかった。
[レーリンク(極東国際軍事裁判蘭代表判事)]

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このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。
しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。
殊に優秀な貴国国民においておやである。
私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。
インドは程なく独立する。
その独立の契機を与えたのは日本である。
インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。
これはインドだけではない。
インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。
インド四億の国民は深くこれを銘記している。
インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。
他の東亜諸民族も同様である。
[グラバイ・デサイ(インド弁護士会会長)]

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日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。
日本はわがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。
しかも、わが不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表わしてくれた以上、われわれポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。
われわれの児童たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、孤児たちの服装の惨めなのを見て、自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、髪に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までもとってポーランドの子供たちに与えようとした。
こんなことは一度や二度ではない。しばしばあった。
ポーランド国民もまた高尚な国民であるが故に、われわれは何時までも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。
日本人がポーランドの児童のために尽くしてくれたことは、ポーランドはもとより米国でも広く知られている。
ここに、ポーランド国民は日本に対し、最も深い尊敬、最も深い感銘、最も深い感恩、最も温かき友情、愛情を持っていることを伝えしたい。
[ヤクブケヴィッチ(ポーランド極東委員会副会長)]

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日本人は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。
そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。
彼らの鋼や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。
その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。
農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい。
[ツュンベリー]

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日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。
日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。
[マハティール(マレーシア首相)]

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有色人種が先天的に劣っているという誤解を日本が打破してくれた。
日本が有色人種を白色人種の奴隷から救ってくれるので、有色人種は日本を指導者として従い我々の夢を実現しなければならない。
[ウィリアム・デ・ボイス(アフリカ解放の父)]

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日本人の間には、罵倒、呪詛、悪口、非難、侮辱の言葉がなく、また戦争、借用者、海賊の名目をもってなされる場合を除けば、盗みは行なわれず、窃盗行為はひどく憎悪され、厳罰に処せられる。
[ヴァリニャーノ]

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パリもニューヨークもローマも忘れてしまえ。
グルメの本場は東京なのだ。
[ロイター通信(ミシュラン東京版発売の報道)]

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日本人は造園芸術にかけては世界一ともいうべく、彼等はあらゆる事象の美しさをたのしむらしく見えた。
[モース]

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私は、日本人ほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。
子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。
[イザベラ・バード]

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欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。
誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられなければならない。
[ラダ・ビノード・パル(極東国際軍事裁判判事)]

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日本は国際法に照らし、全被告は無罪である。
[ラダ・ビノード・パル(極東国際軍事裁判判事)]

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人々が正直である国にいることは実に気持がよい。
私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。
錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。
[モース]

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第一に、私たちが交際することによって知りえた限りでは、日本人は今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。
彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。
驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。
大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。
[フランシスコ・ザビエル]

・・・・・・・・・
日本国民は有能で、秀でた理解力を有し、子供達は我等の学問や規律をすべてよく学びとり、ヨーロッパの子供達よりも、はるかに容易に、かつ短期間に我等の言葉で読み書きすることを覚える。
また下層の人々の間にも、我等ヨーロッパ人の間に見受けられる粗暴や無能力ということがなく、一般にみな優れた理解力を有し、上品に育てられ、仕事に熟達している。
[ヴァリニャーノ]

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昭和23年の国会で教育勅語がとりやめになったのは残念です。
教育勅語で日本の教育が成長したんです。
父母に孝に友に、夫婦相和し朋友相信じ…。
もういっぺん日本は教育勅語をやり直すべきです。
日本には教育勅語がないから、夫婦相和さず、離婚率が高いのです。
朋友が信じないから「いじめ」が絶えないのです。
外国は日本の弱体化を図ってこの教育勅語を外してしまった。
それを日本人は知らないが、これは間違っている。
どこにも軍国主義的なところはない。
教育勅語は人間の人間たることを明治天皇がお示しになったまでです。
一旦緩急アレバ義勇公ニ奉」ずる精神が失われたから「陸軍記念日」も祝われず、国会で謝罪決議さえ行うのです。
台湾には、大和魂があるから、選挙の時に中共(中華人民共和国)から台湾沖にミサイルを三発撃ち込まれても、ビクともしませんでした。
能登半島沖に北朝鮮からノドン一号が打ち込まれましたが、日本の反応はいかがでしたか。
[許国雄]

・・・・・・・・・
日本がキリスト教に改宗するなら、道徳やそのほかの面で得るものは何もないが、失うものは多いといわねばならない。
これは、公平に日本を観察してきた多くの見識者の声であるが、私もそう信じて疑わない。
[ラフカディオ・ハーン]

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神道は西洋科学を快く受け入れるが、その一方で、西洋の宗教にとっては、どうしてもつき崩せない牙城でもある。
異邦人がどんなにがんばったところで、しょせんは磁力のように不可思議で、空気のように捕えることのできない、神道という存在に舌を巻くしかないのだ。
[ラフカディオ・ハーン]

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ノギとかトーゴーとかいう名前の者は、この辺はたくさんいましてね。
ノギ集まれ、トーゴー集まれっていったらこの教会からはみだしますよ。
「ノギ」というのは乃木大将のノギですよ。
「トーゴー」はもちろん東郷平八郎に因んでのことです。
[ポーランドのある教会の神父]

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この勝利(日露戦争)がアジア人の意識の底流に与えた影響は決して消えることはなかった。
それはすべての虐げられた民衆に新しい夢を与える歴史的な夜明けだったのである。
ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞いたのである。
それはわれわれに新しい誇りを与えてくれた。
歴史的にみれば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点とも呼べるものであった。
[バ・モー(ビルマ首相)]

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私達は国旗の選択に相当苦労した。
応募者は悉く各島の人々であり、それぞれの旗にパラオの歴史と伝統がこめられていた。
だから、選考委員は真剣であった。
選考に日数をかけた。
でも、最終的にこの旗に決まったのは、日本の旗に一番似ていたので、最大の人気が集まった。
日の丸の部分を黄色にしたのは、月を現わす。
周囲の青地は海を意味する。
月は太陽が出ないと輝くことができない。
つまり月は太陽によって支えられ、月としての生命を持つ。
太陽とは日本のことである。
海に囲まれたパラオという国は、日本の太陽の反射によって輝かねば生きられないのである。
我々はまた戦争中に、日の丸を掲げて強大な米軍と交戦した日本軍将兵の勇敢さと純粋さに、大きな魅力と尊敬を捧げている。
一万に及ぶ英霊たちは私達に、勇気と国を想う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのである。
[パラオ国旗の解説文]

・・・・・・・・・
アジアの一国である日本の(日露戦争の)勝利は、アジアの総ての国々に大きな影響を与えた。
ヨーロッパの一大強国が破れたとすれば、アジアは昔たびたびそうであったように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。
ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり『アジア人のアジア』の叫びが起きた。日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった。
[ネール(インド首相)]

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これら日本の英雄達(大東亜戦争の戦士)は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。
彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。
[ベルナール・ミロー(フランス人ジャーナリスト)]

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私は海外に出て初めて「実物の日本人」と会い、かれらが予想外に洗練された人たちであり、韓国人と比べて立派な点が多くあることを知りました。
[金完燮]

・・・・・・・・・
日本のみなさん、自信を持って下さい。まだまだ日本には底力があります。
皆さんが立ち上がって、大国としての政治をやれば日本は強い国になります。
欧米の金融メジャーからアジア経済を守り、共産主義国家の武力侵攻に対抗できる国は日本しかありません。
地球環境保護の問題で世界をリードできる技術も日本は持っています。
私は、日本がもっと強い国になり、政治経済の上で本当にアジアの盟主となってくれることを願っています。
日本と台湾が手を取り合って頑張れば、きっとアジアはもっとすばらしい発展を遂げることができると思います。・・・
皆さん、すばらしい日本と台湾、そして新しいアジアの建設のために共に努力してゆこうではありませんか。
[許国雄]

・・・・・・・・・
アメリカの青年たちよ。東洋には、すばらしい国がある。
それは日本だ。
日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。
ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。奮起しろ!
[スプルアンス(硫黄島の激闘時の米軍司令官)]

・・・・・・・・・
かつて日本人は清らかで美しかった 
かつて日本人は親切でこころ豊かだった
アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命つくしてくれた
何千万人もの人のなかには少しは変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけていばってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない
でもその頃の日本人はそんな少しのいやなことや不愉快さを越えて
おおらかでまじめで希望に満ちて明るかった 

戦後の日本人は自分たち 日本人のことを悪者だと思い込まされた
学校も ジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから
まじめに自分たちの父祖や先輩は悪いことばかりした 
残酷無情なひどい人たちだったと 思っているようだ
だから アジアの国に行ったらひたすら ペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと言えばよいと思っている
そのくせ 経済力がついてきて技術が向上してくると自分の国や
自分までがえらいと思うようになってきて
うわべや口先では済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの自分本位のえらそうな態度をする
そんな今の日本人が心配だ 

本当にどうなっちまったんだろう日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは
今は いつも 歯がゆくてくやしい思いがする
自分のことや自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人はこれが本当の日本人なのだろうか
自分たちだけで集まっては
自分たちだけの楽しみやぜいたくにふけりながら
自分がお世話になって住んでいる自分の会社が仕事をしているその国と 
国民のことをさげすんだ眼で見たりバカにしたりする
 
こんなひとたちと本当に仲良くしてゆけるだろうか
どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ
[ラジャー・ダト・ノンチック]

・・・・・・・・・
日本は貧しい、しかし高貴だ。
世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本だ。
[ポール・クローデル]

・・・・・・・・・
日本民族の勇気、万邦安泰の礎たらんとする熱誠、自然や神々との緊密な結びつき、歴史の連続性、文化の奥深い独創性などからして、日本こそ、明日の文明の座標軸の一つとなってしかるべきではないでしょうか。
[オリヴィエ・ジェルマントマ]

・・・・・・・・・
昭和23年の国会で教育勅語がとりやめになったのは残念です。
教育勅語で日本の教育が成功したんです。
・・・もういっぺん日本は教育勅語をやり直すべきです。
[許国雄]

・・・・・・・・・
私はかつて日本人であったことに誇りを持っていますが、逆に日本の方々は誇りを持っていないんですね。
どうか皆さん、過去に対して正当な評価と自信を持ってください。
許文龍

・・・・・・・・・
戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。
戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨てました。
謝罪すべきはむしろ戦後の日本外交です。
[許文龍]

・・・・・・・・・
どうぞ心に留めていただきたい。
“日本”は、あなた方現代の日本人だけのものではない、我々“元日本人”のものでもあることを。
私は、台湾にやってくる日本人に説く。「自分の国を愛しなさい」と。
自分の国をも愛せない人が、どうして他人や他の国の人々を愛せるだろうか。
自らの祖先を敬い、親兄弟を愛し、そして、そうした人々が幸せに暮らす祖国を愛してこそ、世界の人々を愛せるのだ。・・・
どうぞ台湾に日本の正しい歴史を学び、自身と誇りを取り戻していただきたい。
そして誇りある日本がアジア地域の安定と平和を担う真のリーダーたらんことを願う。
日本人よ胸を張りなさい!
[蔡焜燦]

・・・・・・・・・
ぜひ、皆さんも歴史的に、伝統的に持っていた日本人の徳目、日本人の素晴らしさを再評価して、それをなんとか次の世代に伝えてゆくという仕事に、日本人ひとり一人が参加してほしいのです。
それが台湾のためなのです。
日本がちゃんとしていなければ、台湾は、存在できない。
日本と台湾は運命共同体だと考えています。・・・
日本は、責任をもってこの地域のリーダーであるというその使命を果たしてほしい。
日本以外にはないのです。
覇権主義国家の中国にこの地域のリーダーシップをとってもらっては皆が迷惑するのです。
ですから皆さん、“覚悟”を決めて、この地域のリーダーを担えるような国をつくり上げていってください。
[金美齢]

・・・・・・・・・
敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花
これは、私が敬愛する新渡戸稲造先生の名著『武士道』の中で改めて紹介されている本居宣長の和歌ですが、この「大和心」こそ、日本人が最も誇りに思うべき普遍的真理であり、人類社会がいま直面している危機状況を乗り切っていくために、絶対に必要不可欠な精神的指針なのではないでしょうか。
[李登輝]

・・・・・・・・・
しかし、結局のところ、最後に勝ったのは日本だった。
日本のとった道、すなわち、自らの主権のもとに、近代化、西洋化をはかるという道が、結局、西洋を打ち負かした。日本は西洋を取り込むことによって、西洋の支配を免れた。
軍事的には、日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)において、歴史上、最も決定的な敗北を喫した。自ら植民地大国たらんとする政治的な野望は達せられなかった。
しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。
日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。
その結果、西洋はアジア、ついでアフリカの西洋化された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるをえなくなった。
[P・F・ドラッガー]

・・・・・・・・・
日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。
第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。
第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。
第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。
[インドネシアの中学3年用の歴史教科書]

・・・・・・・・・
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
[アーノルド・トインビー]

・・・・・・・・・
この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底的な統一性を感得する。(伊勢神宮について)
[アーノルド・トインビー]

・・・・・・・・・
神宮の建築は、ギリシアのパルテノンに比すべき、すばらしいものである。
天から降ってきたようなこの建築は、日本固有文化の精髄であり、世界建築の王座である。
[ブルーノ・タウト]

・・・・・・・・・
アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。
それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。
往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。
私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、大東亜共栄圏のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。
[J・R・ジャヤワルダナ蔵相(セイロン -現スリランカ)]

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日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。
更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。
我々はこの2つの日を忘れてはならない。
[ククリット・プラモード(タイ元首相)]

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日本人は、古きより美しくやさしき自然に育てられて、美しくやさしき詩人たるべく養われたりき。
[山路愛山]

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以上は、FBの友人のKさんからいただいた名言集です。
Kさんも、ご友人の方から送られてお読みになられたのだそうです。

Kさんはおっしゃいます。
「読んでいて、涙が止まりませんでした。今の私たちは、このように世界の人々が宝石のように大切に思って下さっている民族なのでしょうか?」

「今、反日抗日を叫んでいる朝鮮人の中にも真に日本人を評価している人もいたのだと知りました。
そのような朝鮮人の方々と真の歴史認識を共有して、両国の正しい歴史を共有する事が出来れば、日本と朝鮮は全く異なる未来へと向かう事でしょう」

「今、日本を滅亡させようと企む勢力は一体何なのか?
私達日本人は何と闘い、何と協力するべきなのか?
今一度、しっかりと考える必要があるのかもしれません。」

上述の名言集には、韓国、北朝鮮出身者の方も出て来ます。

その中に安重根も出ています。
彼は、伊藤博文を暗殺した犯人です。
安重根は、いまの韓国では、抗日の英雄、建国の義士として国民的英雄の地位を与えられているといいます。
けれど歴史を振り返れば、彼は初代韓国総監です。
そして当時の朝鮮半島は、日本の保護国でした。
その朝鮮半島を日本が併合すべしという意見に対し、伊藤博文は、これに反対しています。
つまり、日本と朝鮮半島の関係は、日本が半島を保護するに停めていれば良いというのが、伊藤博文の立場でした。
これに対して安重根は、むしろ積極的に日本に半島内に介入してもらうことで、短期間に韓国に地力を付けさせ、朝鮮民族の近代化を早期に実現しようと考えていました。
だから、日韓併合に反対だった伊藤博文を邪魔な存在として、暗殺しています。
要するに安重根は、朝鮮民族主義であると同時に、親日主義の日本統治歓迎派だったわけです。
彼の言葉が、その全てを物語っています。

それからもうひとつ、名言集の中に東京裁判関係のものがいくつかあります。
なので、ひとつだけ申し上げたいと思います。

東京裁判では、東條英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章の7人が死刑の宣告を受けました。
昭和23(1948)年12月23日、巣鴨拘置所内で、その執行がなされています。
この執行に、日本人でただ一人絞首台に立会ったのが、浄土真宗の僧侶であり東大教授であった花山信勝師です。
その目撃談です。
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残り時間は二分しかないというので、花山師は「三誓偈」の初めの三頌と最後の一頌を読んだ。
誰からともなく「万歳」はどうだろうか、という声が上がった。
いいだろうということになり、最年長の松井石根が音頭をとり「天皇陛下万歳」を三唱し、つづいて「大日本帝国万歳」を三唱した。
「日本で天皇陛下万歳、大日本帝国万歳を叫んだのはこの七人が最後でしょうな」
花山信勝師は当時の場面を思い出したのか、感動的にそう言ってから暫く言葉につまった。
いよいよ最期、というときに東條さんが、両腕をとっている大きな下士官にむかって、ゴクローサン、アリガトウ、アリガトウといい、七人みんながアリガトウといったんです。
死ぬ間際の真剣な万歳とアリガトウということばに感動したのか、後ろで見張り番をしていた四、五人の将校が繋がれた四人のところにやってきて、自分から手を差し出して握手を求めたんです。
こういうのは世界に例がありませんよ。
絞首刑にするほうと、されるほうが固い握手を交わすなんて。
まったく珍しいことですよ。
わたしはこの光景をこの目で見たんです
(「東條英機わが無念」佐藤早苗著)
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「死ぬ間際の真剣な万歳とアリガトウということばに感動したのか、後ろで見張り番をしていた四、五人の将校が繋がれた四人のところにやってきて、自分から手を差し出して握手を求めた」

これが日本人です。
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★ 最後まで御読みいただきありがとうございました。

実は、↑は、ネット友達が紹介してくれたものです。

どうお感じですか・・・・