前回は、日本国憲法第9条第一項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言に注目して、
「戦争」とは「侵略戦争」のことだった、と述べました。
今回は、何故そうなったのか、(補足)説明をします。
先ず、1945.9.22 米国本国より「降伏後における米国の初期の対日方針」が示された。
その内容は、「(第一.a)日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和と安全の脅威となる事無き様保証すること。」
つまり、再び反撃してこないように=日本を弱体化せよ。ということでした。
1946.2.3 マッカーサーはその「対日方針」の内容を、憲法草案作成に当たるGHQ民政局に、マッカーサーノートという形で伝えた。
その第二項は、
「 国権の発動たる戦争は、廃止する。
日本は、国際紛争を解決する手段としての戦争、さらに自国を守る手段としての戦争をも放棄する。
日本は、防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。交戦権は認められない。」
つまり、「侵略戦争も自衛戦争も放棄する」という内容でした。
ところが、9条担当者ケーディスは、マッカーサーノート第二項をほぼそのまま採用したのですが、ただ「自衛戦争放棄」については「まずい」と配慮して削ったのでした。
その理由は、「国際紛争を解決する手段としての戦争」の出典となっているパリ不戦条約(1928年)締結にあたり、
米国は「これは、いかなる形においても自衛権を制限し又は毀損するなにものも含むものではない。
この権利(自衛権)は、各主権国家に固有のものであり、すべての条約に暗黙に含まれている。」と主張していること、更に、国連憲章51条には、「自衛権は各国固有の権利である」ことを書いていることを知っているからでした。
*GHQ(外国人)による憲法草案作業は、1946.2.4~12のわずか8日間でした。
(つづく)