ヨガのあいだ、こころを空っぽにしろ、とはよく言われることですが、
果たして「こころをからっぽにする」などということができるのでしょうか?
わたしたちは、身体の動きをストップすることはできても、意識のながれを止めることはできません。
なぜならば、意識を止めないほうがよいからだ、と私は思います。
必要があって出て来ているのです。
スカラヴェッリでさえ、ヨガをしているあいだは、心のながれに囚われず、ただそこにあることだけを意識するように説いています。
私は、心のながれにどっぷりと浸かって、もがき出したくなるような苦しい想いであっても、自ら飛び込み、浸るほうがよいと思います。
私の方法ですが。
逃げれば追いかけてくるのが自然の摂理。
かたちのないものであっても、その法則は同じです。
ヨガが終わった時点で、すこし薄くなる。
すこし楽になる。
そういうのが良いと思うのです。
そうして、うっすら一皮ずつ剥けていく。
空にしては危険だと思います。
空になった場所に、またなにかが入って来てしまうに相違ありません。