梅雨空が一転してかんかん照りの月曜日となりました。
ヨガのあいだは、ふわふわと途切れることなく、いろいろな想いがこころにうかんで、流れて行きます。
身体は「ストップ!」と号令をかければ止めることができますが、こころはそうはいきません。
いくら号令をかけても、笑いたいきもち、にがにがしい思い、いとおしさやにくらしさは、なかなか止まってくれません。
これがこころというもの。
むりに矯正すると、一時的に矯正できたつもりでも、あるとき思わぬところで破裂する、こころとは、そういうものです。
ヨガのあいだ、脱力と呼吸法、そしてリラクゼーションのなかで、こころの流れに身をまかせてみましょう。
一皮むけたような、すっきりした気分になります。
最近、肉体を改造するというプログラムが相当な資本力で宣伝されています。
専門家によるトレレーニングで、自分の体型を造り変える、ビフォー・アフターの写真がショッキングなほどです。
こういうのっていいのかな?と思うのです。
心身にわるそうじゃないですかね。
自分らしい体型はどこへ行ってしまうのでしょう。
「自分らしい」の「自分」「自分の体型」の「体型」の意味。
それぞれに意味があると思います。
筋肉トレーニングで封じ込めてしまうのは、どうなのでしょう。
ひとはさまざま劣等感やコンプレックスをもっているいきものだと思います。
私は、思春期から三十代まで、ダイエットをしていない期間がないほど、常にダイエット、体重計に一喜一憂していました。
昔のダイエットノートを見るとその細かさにおどろきます。
これはきっと一種の摂食障害だっただろう、と思います。
いまでも太ることは好きではありません。
体重が増えて、いやな感じがすると体重を減らそうと食事を減らしています。
でも、それは外から見た体型を気にして、というのではなく、自分のなかから生まれる感覚です。
六十代のいま、コントロールしていないと安心できなかったころの自分を振り返り、自分を乱暴に扱ってきた、と反省しています。