「身体と向き合う」こと、自分が健康なのか具合がよくないのか、判断するのはだれなのでしょう?
特別なライセンスを持った医者、看護師、薬剤師しか、ひとの健康を判断できないのでしょうか。
調子がよいとかわるいとか、ひとはこころを通して判断します。
ひとが感じるのはこころです。
こころが傷つけばいたいのです。
そんことぐらいわたしなら痛くないわ、と言うひとは、こころについて知らないのです。
痛みがフィジカルであれメンタルであれ、痛いと感じるのはこころで感じるのです。
先日、ある方が、最近みんなメンタル弱すぎるんじゃない、と言われました。
弱い??
なにかに乱されたり、反応したりすることは弱さでしょうか?
ならば、感じない、反応しないのが「強さ」なのでしょうか?
満員電車にたとえてみましょう。
詰め込もうと思えばいくらでも詰め込めます。
ホームにはみ出した乗客を駅員がぎゅうぎゅう押しこんで、扉が閉まるようにふたりがかりで有名な写真があります。
アメリカで売られていた絵葉書です。
つめこもうと思えばそのような状態でも電車は走るのです。
しかし、それが健全な状態なのかどうなのか、といえば話しはべつです。
そんな状態は耐えられない、と思うのは弱さで、どんな状態でもがまんできることが強さなのでしょうか。
強いとか、弱いとかじゃないと思うけど、と私は返しました。
敏感な自分でい続けたいと思います。