ひとは年間一千万回として、生涯何億回かの呼吸をすることになります。
魂ということばは、プネウマ(気息)に由来しています。
生きるとは息をすること、と言い換えることもできます。
呼吸に集中するために、呼吸を数える。
禅における数息観。
吐くを一、吸うを一と数える、
吐くと吸うを一と数えるのが二番目のステップでした。
たとえばこれを電車やバスの中で行うこともできます。
こころを落ち着ける必要のあるときに試してみることもできます。
「息を通す」というのは野口整体の文言にもあります。
息を通すこと、気を通すことを心かけています。
すると詰りが見えてきます。
呼吸法によって詰りを感じ、楽になると、さらに呼吸が深くなります。
ため息は調整です。
ため息が出たあとの呼吸は深く入ります。
そして、呼吸が通ったところを「よいもの」で満たしていくのです。
「通す」ことに目的があるのではない、通ったこころとからだに「よいもの」を注ぐことが宇宙にひろがっていくことにつながる、と思うのです。