御霊神社さんからスグの場所に満願寺さんはあります。
この辺り一帯は御霊神社の神宮寺である霊安寺があったそうです。
明治の神仏分離の影響もあり廃寺となってしまった霊安寺は、沢山あった塔頭もなくなり本堂があった場所に今、満願寺があるのだそう。
本地堂が今あるお堂で、元禄のころに移されたのだそう。なので、建物自体はそれ以前に建てられたものとのこと。
この日は大山蓮華が咲いており、お寺の方が私たちのために手折って見せてくださいました。
蓮の花に赤いおざぶを敷いて座っている仏様のよう。
一日だけの開花なのだそうです。蓮より短いね。
ご本尊様は中央にいらっしゃる、准胝観音様。こちらを御霊大明神(井上内親王様)。
両脇に、千手観音様と十一面観音様。こちらを他戸親王様、早良親王様としてお祀りされているのです。
この配置もお堂の移築前からの並びらしい。
ご住職様が、「御霊さんは東に向いていはる。丹生川と吉野川が合流するその方向を向いているのは、終焉の地を拝むための礼拝所だったんじゃないかと思う。研究がなされていないので何とも言えませんがね」とおっしゃっていた。
その向きに作られている真偽のほどはわかりませんが、もしご住職様が思っておられる通りなら、神社へ行く度にいつでも心が内親王様たちに添っているという、何とも心がホッコリする話。オイラはそうであるといいなぁと思いながらご住職様のお話を聞いてました。
こちらのお寺には、井上内親王様のお名前が刻まれた鐘もあり、お寺の方が「撞いてもいいよ」とおっしゃってくださったので、ツアーのメンバーさんがゴイ~ンと鐘を撞いてくれました。
南無~
オイラの大好きなおちゃると青面金剛さんもいはりました。
満願寺さんは通常公開をしていないお寺です。
参拝を希望される場合は、事前にお寺にご連絡してくださいね。
お寺の門を出ると、昔を忍ばせる三重塔の礎石が民家のお庭にあるのが見えます。
在りし日のお寺の姿に思いを馳せながら次の場所へようやく移動したのでした。
次に金剛寺さんへ。
こちらは西国薬師霊場でもありますので、オイラは行ったことがあったのです。
その頃はギリ大山蓮華が咲いてる。。。状態でしたが、今回は満開でございました^^
御本尊様はお薬師さんですが、准胝観音様を井上内親王様、十一面観音様を天神さんとして祀られた御厨子がありました。
昔は花が咲くのや芽吹きなど植物を見ることで暦としたと教えていただき、沢山のお花が咲く庭を歩きながら、あぁ、若い色の緑に次々に咲く花々を見て、田に水を張り稲を植える時期を読み解いてたのかぁとワクワク気分になりました。
なぜか金剛寺さんではお写真とってなかった模様。。。^^;
次の場所は、火雷神社。
バスで少し移動した後、畑の畦道をテクテクあるいて行く場所です。
火雷様は、井上内親王様が五條でお産みなったお子様で、生まれてすぐに火雷神となり、後に母と兄の仇を討たれたそうです。
そんな荒々しい伝説を感じさせないほど、境内は穏やかで、時折爽やかな風が吹き抜ける清々しい場所でありました。
狛犬のお顔も心なしかおどけた可愛い感じ。
お参りしたり、説明を聞いたり、参加者がそれぞれ楽しそうにお話をしている。。そこにサワワ~っと風が吹くと、もう、歓迎されてる!!って妄想しちゃうオイラであります。
享保年間に奉納されたと思われる手水に「若宮」の文字も見え、ここでもやはり土地の人に愛されて守られて今までいてくれている神社なのだなぁと実感。
文字はもう読み取れなかったけれど、真ん中の社には薄く「御霊」の文字が見えました。
再度バスに乗り込み、他戸親王様墓を車窓からお参りして宇智陵へ。
こちらが井上内親王様が改葬されたという御陵。
因みにオイラよくわからないのですが、こういった場合の改葬って、ちゃんと石室石棺を作っているものなのでしょうか?「遺骨を改葬」ってあるから、ちゃんと石棺におさめているのかなぁ。。。ただ見た目だけの土まんじゅうじゃないですよね?←当日聞けば良かった。。^^;
この神域の中に、整備のためでも入ると雨が降るそうです。
参道を綺麗にするだけでもダメだとは、井上内親王様お厳しい!
あ、もしかすると、近所の小学生などが授業の一環でお掃除に来るのだったら大丈夫なのかもしれませんね。
サイドに回り御陵の中を覗く。
ええ感じの木が生い茂ってて良かったですヽ(*´∀`)ノ
帰りにもう一度、他戸親王様のお墓を車窓から拝み、次の場所へ。
こんもり丸く木が見える場所が他戸親王様のお墓。
個人的に体力余りまくってたので、お墓まで歩きたかった。。。
最後のゆかりの地は、井上内親王様が最初に幽閉されたと言われる場所です。
現在は小さな祠があるだけの聖神社。
しかし古くてもきちんと清められているのが感じられる空間。
こんな小さな場所にも桜の木が植えられており、季節の巡りを感じることができるのも素敵です。
井上内親王様が慕われている証とも言えるのが、今では「須恵」という町名であるにも関わらず、今でも昔からの「井上」で呼ばれていること。
聖神社の前にあった消火器具箱にも「井上町自治会」の文字が見えました。
最後の最後に大和八木に向かうバスの中でお土産を頂きました。
やまとびとツアーズさんからはミルクのソフトキャンディを。
五條のパティスリー・クリアンさんからは「七虹(ななつのゆめ)」という、メレンゲのお菓子を。
このお菓子も井上内親王様をイメージし、和のフレーバーで作られているのです。
コーヒーを飲んだあとに口に含むと、至極の世界へ連れてってくれる魔法のお菓子でした。
文献などを見ていると、不幸なだけの人生のように感じられました。事実、最期の時にも疑惑が残るようですし。
しかし五條のまちの穏やかな空気には、そんなジメっとした暗い印象は全くなく、また井上内親王様に対する印象も荒んだ感じがしませんでした。
雅な都から遠く五條へと流されて、初めはきっと心を痛めておられたと思います。
ご自分の足元しかご覧になられなかった内親王様が、ふっと顔を上げられたとき、そこには殺伐とした都では触れられなかった優しい稜線のお山と里が季節を感じさせ、素朴な村の人のお顔があったのではないでしょうか。
きっとこの場所で痛めた心と体を癒されたのではないか。
お土産に頂いた「ななつのゆめ」の言葉通り、穏やかな時間の中で「風にそよぐ花を見る」「窓越しではない手の届きそうなお月様の光を浴びる」「村のお祭りをこっそり覗き見する」「人目を気にせず泣いてみる」・・・・そんな小さな夢をいくつもご覧になられたのではないかなぁと、そんな風に思えた今回の旅でした。
↑ とっても良いお天気で、井上内親王様に歓迎していただいたような五條の旅でした。またゆっくりお参りしに行きたいオイラのためにポチよろしく☆
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この辺り一帯は御霊神社の神宮寺である霊安寺があったそうです。
明治の神仏分離の影響もあり廃寺となってしまった霊安寺は、沢山あった塔頭もなくなり本堂があった場所に今、満願寺があるのだそう。
本地堂が今あるお堂で、元禄のころに移されたのだそう。なので、建物自体はそれ以前に建てられたものとのこと。
この日は大山蓮華が咲いており、お寺の方が私たちのために手折って見せてくださいました。
蓮の花に赤いおざぶを敷いて座っている仏様のよう。
一日だけの開花なのだそうです。蓮より短いね。
ご本尊様は中央にいらっしゃる、准胝観音様。こちらを御霊大明神(井上内親王様)。
両脇に、千手観音様と十一面観音様。こちらを他戸親王様、早良親王様としてお祀りされているのです。
この配置もお堂の移築前からの並びらしい。
ご住職様が、「御霊さんは東に向いていはる。丹生川と吉野川が合流するその方向を向いているのは、終焉の地を拝むための礼拝所だったんじゃないかと思う。研究がなされていないので何とも言えませんがね」とおっしゃっていた。
その向きに作られている真偽のほどはわかりませんが、もしご住職様が思っておられる通りなら、神社へ行く度にいつでも心が内親王様たちに添っているという、何とも心がホッコリする話。オイラはそうであるといいなぁと思いながらご住職様のお話を聞いてました。
こちらのお寺には、井上内親王様のお名前が刻まれた鐘もあり、お寺の方が「撞いてもいいよ」とおっしゃってくださったので、ツアーのメンバーさんがゴイ~ンと鐘を撞いてくれました。
南無~
オイラの大好きなおちゃると青面金剛さんもいはりました。
満願寺さんは通常公開をしていないお寺です。
参拝を希望される場合は、事前にお寺にご連絡してくださいね。
お寺の門を出ると、昔を忍ばせる三重塔の礎石が民家のお庭にあるのが見えます。
在りし日のお寺の姿に思いを馳せながら次の場所へようやく移動したのでした。
次に金剛寺さんへ。
こちらは西国薬師霊場でもありますので、オイラは行ったことがあったのです。
その頃はギリ大山蓮華が咲いてる。。。状態でしたが、今回は満開でございました^^
御本尊様はお薬師さんですが、准胝観音様を井上内親王様、十一面観音様を天神さんとして祀られた御厨子がありました。
昔は花が咲くのや芽吹きなど植物を見ることで暦としたと教えていただき、沢山のお花が咲く庭を歩きながら、あぁ、若い色の緑に次々に咲く花々を見て、田に水を張り稲を植える時期を読み解いてたのかぁとワクワク気分になりました。
なぜか金剛寺さんではお写真とってなかった模様。。。^^;
次の場所は、火雷神社。
バスで少し移動した後、畑の畦道をテクテクあるいて行く場所です。
火雷様は、井上内親王様が五條でお産みなったお子様で、生まれてすぐに火雷神となり、後に母と兄の仇を討たれたそうです。
そんな荒々しい伝説を感じさせないほど、境内は穏やかで、時折爽やかな風が吹き抜ける清々しい場所でありました。
狛犬のお顔も心なしかおどけた可愛い感じ。
お参りしたり、説明を聞いたり、参加者がそれぞれ楽しそうにお話をしている。。そこにサワワ~っと風が吹くと、もう、歓迎されてる!!って妄想しちゃうオイラであります。
享保年間に奉納されたと思われる手水に「若宮」の文字も見え、ここでもやはり土地の人に愛されて守られて今までいてくれている神社なのだなぁと実感。
文字はもう読み取れなかったけれど、真ん中の社には薄く「御霊」の文字が見えました。
再度バスに乗り込み、他戸親王様墓を車窓からお参りして宇智陵へ。
こちらが井上内親王様が改葬されたという御陵。
因みにオイラよくわからないのですが、こういった場合の改葬って、ちゃんと石室石棺を作っているものなのでしょうか?「遺骨を改葬」ってあるから、ちゃんと石棺におさめているのかなぁ。。。ただ見た目だけの土まんじゅうじゃないですよね?←当日聞けば良かった。。^^;
この神域の中に、整備のためでも入ると雨が降るそうです。
参道を綺麗にするだけでもダメだとは、井上内親王様お厳しい!
あ、もしかすると、近所の小学生などが授業の一環でお掃除に来るのだったら大丈夫なのかもしれませんね。
サイドに回り御陵の中を覗く。
ええ感じの木が生い茂ってて良かったですヽ(*´∀`)ノ
帰りにもう一度、他戸親王様のお墓を車窓から拝み、次の場所へ。
こんもり丸く木が見える場所が他戸親王様のお墓。
個人的に体力余りまくってたので、お墓まで歩きたかった。。。
最後のゆかりの地は、井上内親王様が最初に幽閉されたと言われる場所です。
現在は小さな祠があるだけの聖神社。
しかし古くてもきちんと清められているのが感じられる空間。
こんな小さな場所にも桜の木が植えられており、季節の巡りを感じることができるのも素敵です。
井上内親王様が慕われている証とも言えるのが、今では「須恵」という町名であるにも関わらず、今でも昔からの「井上」で呼ばれていること。
聖神社の前にあった消火器具箱にも「井上町自治会」の文字が見えました。
最後の最後に大和八木に向かうバスの中でお土産を頂きました。
やまとびとツアーズさんからはミルクのソフトキャンディを。
五條のパティスリー・クリアンさんからは「七虹(ななつのゆめ)」という、メレンゲのお菓子を。
このお菓子も井上内親王様をイメージし、和のフレーバーで作られているのです。
コーヒーを飲んだあとに口に含むと、至極の世界へ連れてってくれる魔法のお菓子でした。
文献などを見ていると、不幸なだけの人生のように感じられました。事実、最期の時にも疑惑が残るようですし。
しかし五條のまちの穏やかな空気には、そんなジメっとした暗い印象は全くなく、また井上内親王様に対する印象も荒んだ感じがしませんでした。
雅な都から遠く五條へと流されて、初めはきっと心を痛めておられたと思います。
ご自分の足元しかご覧になられなかった内親王様が、ふっと顔を上げられたとき、そこには殺伐とした都では触れられなかった優しい稜線のお山と里が季節を感じさせ、素朴な村の人のお顔があったのではないでしょうか。
きっとこの場所で痛めた心と体を癒されたのではないか。
お土産に頂いた「ななつのゆめ」の言葉通り、穏やかな時間の中で「風にそよぐ花を見る」「窓越しではない手の届きそうなお月様の光を浴びる」「村のお祭りをこっそり覗き見する」「人目を気にせず泣いてみる」・・・・そんな小さな夢をいくつもご覧になられたのではないかなぁと、そんな風に思えた今回の旅でした。
↑ とっても良いお天気で、井上内親王様に歓迎していただいたような五條の旅でした。またゆっくりお参りしに行きたいオイラのためにポチよろしく☆
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沢山書いたあるので読み応えがありました。
良く覚えていますね〜
感心しています。
体調管理が大変だし、着るものも微妙だしな季節です。
これ、よく覚えてるのではなく、、、めっちゃメモとってるんです(笑)
良いお天気ですね。
昨日ワインが🍷届きました。まだ開けてないけど形からワインだと思っています。
ありがとうございます。
頑張ってたしなめられる様努力します。